【Special】中田大貴の「MMA引退ノスヽメ」―02―「『どうなったら辞める』パターンを創っておくべき」
【写真】5年間、命を燃やしたHEARTSで現役最後の声を聞かせてもらいました(C)MMAPLANET
中田大貴引退インタビュー後編。29歳、プロ生活約5年という中田は、今は格闘技に代わり情熱を燃やす対象はないという。
Text by Manabu Takashima
それでも、これからは生活の軸となる部分で努力を続け、格闘技との付き合いは精神の健康を保つためと言い切った。
中田大貴に、「MMA引退ノスヽメ」と引き続き訊いた。
<中田大貴インタビューPart.01はコチラから>
――なかなか辞めることができないMMAですが、その話を伺っている限り他に明確にやりたいことがあったということでもないようですね。
「ないです。引退を公表して練習もしていないですが、さいとうクリニックで仕事をしていると、今も格闘家という感覚で接せられることがほとんどですし。僕のなかでは普通に職員として働いているつもりなのですが、やはり格闘家から踏み出せていない。生活環境が変わるまで、次に進めないだろうと思っています」
――情熱を燃やす対象がなくても、踏ん切りをつけることができたのですね。
「ハイ。30歳になった時に戦績が芳しくなかったら、辞めようという気でいました。僕はガンガン行くスタイルなので、長く続けると体にダメージが残る。本当に周りからも『壊れる』、『壊れる』とずっと言われてきて。十分に言われていることも分かるし、自分の納得できるところまでやろうと続けてきたんです。それで、そろそろ良い頃合いになったなと(苦笑)。30歳になる前に、20代の最後に10年遅れで社会に出る感じですね」
――27歳だったら、続けていたかもしれない?
「続けていたかもしれないですけど、ホントに戦績、パフォーマンス、他からの評価、立ち位置を考えていたと思います」
――なるほどです。インタビューの時間調整が難しかったようですし、仕事の方が忙しくて練習はこう続けていないのですか。
「できていないです。ただ、走っています。格闘技から離れられない人は、練習をしていないとマインドが落ちてしまうというのがあると思うんです。格闘技をやることが、人生の自己証明のようになっているから。
試合に出なくなっても格闘技から離れると、自分の人生、軸がブレてメンタルが落ちてしまう。そういう人は結構、いるかと思います。僕もそうなるだろうから、休みの日や早く仕事を終えられる日は走ったり、ウェイトをやっています。そこは結構、追い込んでやっています。ストレス発散じゃないですけど、これまでの生活と落差が大きすぎて。そこでバランスを取っている感じです」
――続けてきたモノから離れることによって、自分は価値がなくなったと思ってしまうのも分かります。
「自分も変わった部分はあります。HEARTSに入った頃とか、若さもあって本当に死んでやるみたいなことをやっていて。まぁ、僕の試合を見てくれたことがある人は分かると思いますけど(笑)」
――ハイ。刹那的ですらありました。
「ハイ、死んでも良いと思っていたので(笑)。それが本当に大切は人ができて。その人が自分ことを心配していると、もう自分だけの人生ではなくなりました。もちろん家族はいたのですが、家族に対しては甘えているとういうか。『自分の好き勝手な人生で生きさせてもらいます』というスタンスでいました。
それこそ、長男でも家の仕事を継ぐことは拒否していましたし。自分のやりたいようにやってきて、その結果MMAをしているとなると、親は『いったい何をしているの?』となりますよね」
――ハイ。
「ホント、僕の教育とか相当にお金を使ってもらっていたし。それなのにMMAに夢中になっていたら、『ここまでしてきたのに、格闘家になるのか? 』って。僕が逆の立場だったら、そうなりますよ。
それが結婚して大切な人ができると、自分だけが好きにやって良い人生でなくなりました。ちょっと大人になったなと思います」
――未だに耳が痛くなる話ですが……。でも、引退する利点もあることは皆も分かっていると思います。でも、辞めることができない。
「自分のなかで『どうなったら辞める』というパターンを創っておくべきだと思います。僕の場合は30歳になった時の成績を絶対の基準にしていました。そこがないと、ズルズル続けるようになるので。
あと一回辞めたけど、戻ってくる人多いですよね(笑)。またやりたくなる気持ちも凄く分かります。それこそ戦績と立場が違うから、引退撤回はあると思いますし。同時に僕のような戦績と立場なら、引退撤回はない。辞めたら、それを貫く。格闘技を戦ってきた自分とは違う、別の人格を自分のなかで創っていかないといけないと思っています。
でも僕は5年間、プロでMMAを戦ってきて本当に良かったです。人間として本当に成長できたと思います。格闘技を始めるまでに、何か一つのことを頑張るということができない人間でした。なんとなく頑張る。受験があるから、その時は勉強を頑張るみたいな。
本当に情熱を持って取り組んだモノがなかった。でも格闘技を始めて、少しでも強くなるために頑張ることができました。この5年間の経験があるから、これから何をやるにしても自信を持って臨むことができます。一生懸命にやるという姿勢を、格闘技をやって学ぶことができたので。
本気で勝つために、どうすれば良いのか。物事を考える習慣がつきました。そのために辛いこと、しんどいことがあっても立ち向かえる、逃げないという習慣ができたので。本当に格闘技をやって良かった。普通の人ができない経験や出会い、仲間ができました」
――押忍。では引退インタビューっぽく、一番の思い出は何でしょうか。
「一番の思い出(笑)。良いことも悪いこともありますね。勝ち負けでいうと……勝った試合なら田村(一聖)選手に勝った試合です。周囲は絶対に負けるだろうと思っていたけど、僕のなかでは若さもあって謎の自信がありました。そして勢いで『行ってやろう』と戦い、行き切ることができました。それだけ勢いの乗っていた時期だったんですよね。
逆に負けた試合でいえば、RIZIN TRRIGERの堀江(圭功)選手との試合ですね。あの時は、初めて全身で敗北を経験しました。だからこそ、アレはアレで良い経験になったと思います。普通の人生、負けるって体感できないじゃないですか。敗北を受け入れらない、敗北したことも気づかない。その勝負の場にすら立てない」
――問題が起こっても自分をそこまで見つめて、原因を解明しないです。
「それが堀江選手に負けて、全身で敗北を感じて。自分を全否定しそうになった。あの時から、俺の格闘家人生は始まったと思っています」
――最高の勝利も、最悪の敗北もこれからの人生に生きるはずです。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、凄く嬉しいです。それに生かすしかないですよね。そうでないと『この5年間何をやっていたの?』ってなってしまうので。アハハハハハ。この5年間が社会人になるのに無駄だったと言われないよう、絶対にこの時間を次の人生で生かします」
――次の人生が落ち着いた時、何か付き合い方を変えて格闘技をやるということは?
「そうッスね。体は動かしたいです。ただコンペティションに出るつもりはないです。自分の人生の軸にあるモノに集中したいので。あくまでもエクササイズとしてやるだけ。僕はジムを開くこともないし、これからの人生……生計を考えると、20代で辞めて良かったと思えるように頑張ります。
40代で伸びるために、30代の10年を如何に頑張ることができるか。そこで必死に頑張らないといけないです。なので格闘技とは、あくまでも精神状態を健全にするための付き合いをしたいと考えています。社会人としては10年遅れましたが、ほとんどの人が経験していない5年間を送ってきたので。それを生かして、生きていきます」