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【Special】29歳と2カ月、キャリア5年で引退。中田大貴―01―「『辞める勇気』というモノが存在している」

【写真】和術慧舟會HEARTS、その入り口で(C)MMAPLANET

6月1日、KOPフェザー級王座に挑みKO負けを喫した中田大貴が引退を公表した。
Text by Manabu Takashima

プロMMAデビューが2020年7月、4年11カ月半弱の現役生活はMMAという競技を見渡し、専門メディアレベルで注目されることがあった選手としては絶対的に短い。とはいえ、注目を集めるだけの結果を残したプロ5戦目以降は、勝ったり負けたりという戦績が続いた。29歳と2カ月で決めた現役引退、その決断を尋ねた。

富も名声も求めることができるプロスポーツだ。一方で、当然のことながら富と名声を手にできる選手は一握りだ。実質、プロとはいってもMMAで食っている選手は少ない。事実上、多くの場合は経済的には副業であり趣味でもある。これだけで食っているファイターと、中田の置かれた状況は違うだろう。と同時に本気で強さを追いかけるという背景を持つファイターが、命を削るファイトを続けた故の結論。「ここから続けて、自分が得られるモノは何なんだと考えちゃいました」という中田の声を――既に引退を公表してはいるが、現役生活最後の声としてお伝えしたい。


体を傷つけて戦い続けることが、僕にとって価値のあるモノなのか

――6月1日に三宅輝砂選手の持つフェザー級KOPのベルトに挑戦し、KO負け

2日後にSNSで引退を発表ました。やりきったということでしょうか。

「やりきった……やりきったのかもしれないです。試合を止められた時は、その現実を受け止めることができなかったです。『俺の人生、ここで終わるんだ』って。自分がチャンピオンになると、絶対的に信じ切っていたので。ホント、あの瞬間は現実を受け入れられなかったです。『夢じゃないよね』みたいな。

でも、本当に今回の試合の準備期間は、これ以上ないっていうぐらい創ってきました。他の人からすると『違う』と言われるかもしれないですけど、自分のなかではやれるだけのことをやりました。それもあって、現実を受け入れらえるようになると、すぐに『もう思い残すことはないな』という風になっていました。控室に戻った時には『もう、終わりだ』という気持ちでしたね」

――それはすぐに周囲に伝えたのでしょうか。

「翌日に勤め先で色々とお世話になってきた、さいとうクリニックの齊藤(直人)先生に伝えました。でも、先生は気が動転して引退を口にしたと思ったようです」

――そうですね。正直なところ、自分も敗北直後の選手の「引退します」は話半分以下で聞いています。大抵の場合は数日後に「もう少し考えます」となり、10日も経てば「まだ、できる」という流れになるので(笑)。

「ハハハハ。先生に伝えた翌日には、SNSで公表しました。僕、決めると早いんです(笑)。格闘技を始めると決めた時もそうだし、辞める時もそうです。『こうだっ!』って思ったことは曲げることはないです」

――1995年からこの仕事に就いている自分からすると、2020年デビューって、つい最近のことに感じられるんですよね。その中田選手が引退を決めた。綺麗な言い方をすると、太く短いMMAファイター人生だったかと。

「そうッスね。もう、自分が目指していたところには届かない。何より体のこともあります。最後の試合はジャブを貰っただけで、頭の後ろまでビリビリビリって痺れる感覚があって。そういうことは、余りそれまでなかったです。

でも試合に向けての練習中でも、被弾すると『今までと、ちょっと違う』っていう感覚がありました。僕、感覚を大事にしないと格闘家じゃないと思っていたんです。ケガをするときって、『これ、なんかヤバいな』と思っても練習し続けた時なんですよ。何か違和感があった時に病院に行ったり、何かケアをするとその感覚はなくなります。

今回は頭だったので、『これは辞めた方が良い』というサインだと捉えました。確かに海外も行きたかったし、パンクラスのチャンピオンになりたかった。RIZINでも、また戦いたかったです。ひょっとしたら勝ったり負けたりしながらでも、そこに行けるかもしれない。でも、そこまで体を傷つけて戦い続けることが、僕にとって価値のあるモノなのか。

そこを考えた時に、もうそうは思えなくなってしまった。単純に行けなくなったしまったということではなくて、そこに対して僕は気力を失ってしまったことが大きかったと思います」

――中田選手に関しては、本人にどのような感覚があるかは分からなくても、あのスタイルからダメージの蓄積は誰もが心配するところだったかと思います。

「それは、そうですよね」

――自分は選手が「頭で受けているから、効いていない」という意見が凄く怖くて。今はそうでも……と。

「効かなくても、ダメージは残ります。それは間違いないです。永遠に残りますよ。蓄積されていくだけで」

――選手は行くべきところで行くべきで。でも、大概の選手はいけない。だから、大沢代表も、そこを声高に言う。一方で中田選手は言われなくても、行くタイプでした。

「そうですね(笑)。僕は行っていました」

想いが足らないと指摘されるなら、『そうだ』と思います

――実はタイトル戦の前に、その大沢代表から「ヒロタカがチャンピオンになった時、LFAとか海外で戦えないですかね」という話をされたことありました。なので、これから先を考えているのだと思っていました。中田選手自身も、試合に負けたからプツンと切れたような感じだったのでしょうか。

「実際は高木凌に負けた時から、厳しいと感じるようになっていました。このレベルから先に進めない。ここまでは到達できたけど、そこから先のチャンピオンクラス、RIZINに出る選手クラスには勝てない。このまま続けていると戦績的にも勝ったり負けたりが続き、体も本当に壊れる。

僕の中では高木に負けてからは、どうすれば良いんだろうとかなり迷っていました」

――スタイルチェンジをして、現役生活を続けるという考えはなかったですか。金原正徳選手など、ダメージが蓄積したように感じられる時期から、ケージレスリングを磨き結果もさらに残せるようになりました。

「結局、そこを突き詰めると僕の格闘技への愛は、あそこで止まってしまうぐらいのモノ。自分でもそういう風に思っています。スタイルチェンジをしてでも続けたい――本当に好きな人なら、そういう風になるんだと思います。僕はどこまで行けるか、自分を試してみたかった。いうと、それだけのモノだったんです。ここから続けて、自分が得られるモノは何なんだと考えちゃいました。

このまま続けて、ダメージがさらに増える。そうしたら年を食うとパンチドランカーの症状が出て、体がボロボロになる。回りも、勝ったり負けたりの僕を心配し続ける。それで格闘技を続ける意味があるのかなって。だから、僕に格闘技に対して愛が足りなかった。そこまで尽くすことはできない。想いが足らないと指摘されるなら、『そうだ』と思います」

引退するかどうかは『自分の責任』というけど、その結果として大切な回りの人を巻き込むことになる

――レギュレーションがなくて、選手が続けたいと思えば試合に出られ続けられるのが日本のMMA界です。きっと引退すると明言していなければ、パンクラスからオファーが続いたかと思います。あるいはパンクラス以外からも。ただし、想いがあれば、続けて良いのか。そこを自己判断に任すのが、競技として正しいのかという問題は存在しますね。

「ハイ、それでパンチドランカーになったら、面倒を見るのは家族だったり、僕にとって大切な人で。引退するかどうかは『自分の責任』というけど、その結果として大切な回りの人を巻き込むことになる。今回、僕のインタビューが目に入って、読んでくれた人達には『辞める勇気』というモノが存在していることを知って欲しいです。

自分が人生を賭けているモノだから、辞め辛いですよ。でも、その先に進むには撤退することも大事だと僕は思っています。辞め時を考えるからこそ、その日に向がって日々を頑張ることができる。いつか辞めるから、いつかやらなくなるからこそ、その間にやり切った方が良いんじゃないかと。

これからやりたいと思う人、やり続ける人には『いつか辞める時がくるから、その日のために1日1日を大切にしてほしい』と思います」

――中田選手は、ご家庭が裕福ですよね。

「そうですね。ザ・リッチなので。アハハハハハ」

――他に何かをやる選択肢もある。家業を継ぐことは?

「それはないですね。家業の業界の人たちを小さい頃から見てきたので。あの人達の直向きさと、その裏にあるストレスとか見て。病んじゃう人もいるし、そういう人の面倒も見ていて。そういうのを見てきて、アレは僕にはできないし、やりたくない。いえば興味がなかったんです。そういう風に思って育ってきたので、家の仕事に関わることはないですね」

――プロMMAファイターを引退しても、さいとうクリニックのお世話になり続けているのですか。

中田は終始笑顔だった

「今は一般職員として働き続けています。

本当にお世話になり、練習に集中させてもらう環境を与えてくれていたので。海外遠征の費用を捻出してくださったり、投資していただいたモノを返せないのは申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ただ格闘技繋がりで出来た縁なので、齊藤先生との縁が切れるわけじゃないですけど、クリニックでの仕事は区切りをつけるつもりです」

<この項、続く

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