【RIZIN Y.E.S.P.Festival】1年5カ月振りの試合でYA-MANと対戦、斎藤裕—01—「皆が見てくれていた」
【写真】試合間隔が空いても、彼が戦ってきた歴史を忘れるはずもない。ファンの声を受け、再び斎藤はリングに立つ(C)SHOJIRO KAMEIKE
31日(水)に埼玉県さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナで開催される「RIZIN 師走の超強者祭り」で、斎藤裕がYA-MANと対戦する。
Text by Shojiro Kameike
昨年7月、久保優太に敗れて以降、リングから遠ざかっていた斎藤。今年1月には東京都千代田区にラーメン屋『麺ZINさいとう』をオープンし、店長としての活動がクローズアップされていた。そんななか、11月5日に行われた記者会見で斎藤が登場した瞬間、ファンは大きな声援で彼を迎えている。なぜ斎藤はここで復帰戦に臨むことを選んだのか。インタビュー前編では久保戦、ラーメン屋の開業、そして復帰戦を決めた心境を訊いた。
練習環境を整えるのが難しくなってきたと感じていました
――昨年7月の久保戦以来、1年5カ月振りの試合を控えている斎藤選手です。これだけ試合間隔が空いたのはラーメン屋の開業も影響はあったかと思いますが……まず率直に、久保選手に敗れた時は現役を続行しようと考えていたのでしょうか。
「それはすぐに決められない、という状態でしたね。ただ、続けるにしても続けないにしても、すぐ試合はない。僕のほうから『試合がしたいです』と言えば組まれるかもしれない。でも自分自身がどこに向かっているのか分からないまま、ダラダラ練習して過ごしていくのって、人生にとって良くないと思うんです。自分の人生を進めるために何かを始めたほうが良いかな、とは感じていました」
――その「何かを始める」ことが、ラーメン屋の開業に繋がるのですか。
「ラーメン屋に関しては、結構前から話し合いを続けていました。それは名前貸しではなく、僕自身がしっかりと中に入ってやっていくプロジェクトで。となると僕の現役生活に左右されてしまいますよね。僕がそれだけ関わることができないと、そもそもお店の進め方自体が変わってくる。そんななか久保戦で負けたあと、しばらく試合はないので自分がこの企画にコミットできる状態にある。じゃあここでしっかりと物件選びから進めていくか、と」
――斎藤選手は選手としての活動はもちろん、他のことにも自身のこだわりがあり、自分で納得しないと進められないタイプだと思います。飲食店経営も自分でこだわり、自身で回していこうとすれば、もう他のことを並行して続けていくことは難しくなりますよね。特に飲食店の新規オープンの場合は。
「そうですよね。どういうふうに進めていくか。初期段階の構想はお店によって違うとは思いますけど、飲食店経営は名前貸しでうまく行くほど甘くはない。僕もいろんな方のお話を聞いて、そう考えていました。今のお店は共同経営でやっていて、自分がお金も出す、時間も使う――となれば、それだけコミットできる状態にしておかないと企画倒れに終わる気がしていました。自分自身も勉強させてもらいたいという気持ちがあって」
――それだけ厳しい世界に飛び込むからこそ、ラーメン屋を開業した時点で「斎藤裕はもうMMAを辞めてしまうのか……」という声もあったかと思います。
「実際、当面の間は試合ができる状態ではなかったですね」
――RIZINのYouTubeチャンネルで、榊原信行CEOが斎藤選手のお店に行き、「いつ試合するの?」と訊かれてメチャクチャ言葉を濁していました(笑)。
「アハハハ。『試合やる?』と訊かれても、すぐに答えられるような状態ではなくなっていましたから。榊原さんがお店に来た時はオープンから半年ぐらい経っていて、その頃にはいろんなことが見えてきていました。そのあと試合をすることについても、お店のスタッフの方たちとも話し合いを進めていましたね」
――これは推測に過ぎませんが、斎藤選手にとって敗れたとはいえ久保戦がもっと競った内容であれば、その後の活動も変わっていたのではないかと思っています。もちろん勝利した久保選手の戦いは素晴らしかったです。同時に、過去の試合と比べて斎藤選手の動きが良くなかった。
「あぁ~、なるほど……。試合が終わって、取り組み方について色々と考えました。
どこまで言っていいんだろう? ……実は東京で練習することが難しくなってきたな、と思っていたんです。とにかく人目が気になり、それまで当たり前にできていたことが、できなくなってきた。だから練習に集中するために、1カ月ほどタイに行ったりとか」
――以前にインタビューで言っていた、街中で声を掛けられることが多くなったりと。
「それも含めて、ですね。たとえば自分の練習風景などをSNSで発信する。すると、その場所に人が集まってきてしまう。実際、パラエストラ小岩で練習する時も、クラス外の時間を利用していました。そこにファンの方が見に来たりしていて。
『ジムに行けば斎藤選手がいるのかなぁ』と思ってジムに来てみたら僕がいる。もちろんそれで喜んでくれるし、自分も写真撮影などに応じたりします。とはいえ、なかなか練習環境を整えるのが難しくなってきたなぁ、とは少し前から感じていました」
――さらに今年1月からお店の営業も入ってくると、練習の調整は難しくなりますよね。
「そうですね。振り返ってみれば、久保戦もどこまで自分のモチベーションがあったのか。あくまで振り返ってみれば――ですけども(苦笑)」
――正直なところ……失礼な言い方になるかもしれませんが、クレベル・コイケ戦や平本蓮戦の時にあったような「内なるもの」を、斎藤選手の中に感じられなかったです。
「あぁ~、はい。それは自分が勝って、どこに進んでいくのかということも含めてです。
さいたまスーパーアリーナのスタジアムバージョンで開催される超RIZINに、自分が出場すれば集客にも貢献できるのかな、とは思いました。でも勝って自分はどこに進んでいくのか。別にタイトルマッチに進むわけでもないし……。相手にとっては利のあるマッチアップだけど、なかなか自分の気持ちがどこに進むのかが分からない。結果、試合内容も良い方向には進まなかったと、振り返ってそう思いますね」
僕としても2年後、3年後はない。やるなら今しか――
――今年1月にお店をオープンしてから今回の試合が決定するまで、練習はしていたのですか。
「久保戦からお店がオープンするまでの間は、ずっと体は動かしていました。僕は運動が好きだし、健康のためにも――ただ、試合に向けた練習ではなかったです。
オープンしてから最初の頃は、それほど十分にスタッフさんの人数を確保できていなくて。そこで自分が練習して、怪我をしてお店に出られないというのは無責任ですよね。それはあくまで自分の都合ですから。だから、しばらく対人練習はしていませんでした。ある程度お店の中が固まるまでは、自分がお店に出て切り盛りしていかないといけない。そのために、試合のことは全く見えていなかったです」
――では本格的に体を動かし始めたのは、試合のオファーが来てから?
「正式なオファーは、榊原さんがお店に来た時の動画がアップされてから、少し先でした。その前に半年も経てばお店のこともだいたい決まってきて、自分が常に出ていなくても良い状況になっていたんです。少しずつ自分もお店を抜けることができるようになり、その時間にお店のプロモーションに回ったり、練習を始めたり。少しずつ自分の時間を創ることができるようにはなっていました」
――そしてYA-MAN戦が決まり、11月5日の会見で正式発表されています。各階級のタイトルマッチが並ぶなか、斎藤選手が登場した時に、会場に詰め掛けたファンから大きな声援が送られていました。
「……お店にいると、常連さんたちは僕がお店にいるのは慣れてくれています。でも、僕は普段いないだろうと思って来てくれる方は『本当にいる!』という感じで、たいてい『次の試合、頑張ってください』と言われるんですよ。
お店の味には自信があるし、ウチのスタッフも自信を持って提供しています。でも僕がやっているお店である以上、試合を期待してくれている方、応援してくれている方が来てくれている。『斎藤裕はいつか試合をしてくれる』『何年後でもいいから、また試合をしてほしい』というファンの方の期待をすごく感じていました。
僕としても2年後、3年後はない。やるなら今しか――」
――ファイターとして2年後、3年後に戦うことはない、と。
「いえ、3年も試合が空いたら無理だな、ということですね。今は若い選手もどんどん出てきています。どういうマッチアップなのかにもよりますけど、僕も今38歳で、試合間隔が空けば空くほどキツくなってくる。
それこそ相手を問わず、条件を落として戦うとすれば何とかなるでしょう。でも、そこまでして現役を続けるというのは、プロのファイターとしては違うと思うところもあって。
だから、やるとすれば今年の大晦日、というのは選択肢の一つとしてありました。そうやってお店に来てくれる方の温かさも感じるし、会見に出た時『皆が待ってくれていたんだな』と思いましたよね。その声に救われる。選手として続けてきたこと、頑張ってきたことを皆が見てくれていたんだな、って……」
<この項、続く>
■視聴方法(予定)
12月31日(水)
午前11時~ ABEMA、U-NEXT、RIZIN LIVE、RIZIN100CLUB、スカパー!

















