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お蔵入り厳禁【Pancrase】ISAOを粉砕=キルギス・フェザー級第3の男カリベクが話していた強さの秘密

【写真】シェイドゥラエフ=14勝0敗、アブドゥラエフ=12勝0敗、アルジクル=12勝1敗。ウルルというのは息子とういう意味でキルギス人の名前の最後に入ることが非常に多く、この名前で呼ぶことはないそうだ(C)MATSUNAO KOKUBO

7月27日(日)、東京都立川市の立川ステージガーデンで開催されたPANCRASE 355でフェザー級初戦=ISAO戦を戦ったカリベク・アルジクル・ウルル。
Text by Manabu Takashima

KOP二階級制覇、2度のBellator参戦経験のあるISAOに跳びヒザから右フックを決め、107秒で勝利したカリベクだが4月には透暉鷹の持つバンタム級王座挑戦予定も計量失敗。王者も緊急搬送され、61キロでのタイトル戦は流れた。

この試合直前にMMAPLANETではカリベクをインタビューをしていた。計量失敗もあり、ISAO戦前も記事化することがなかったが、階級変更を勝利で飾ったタイミングで4月にカリベクが語っていたことを公開したい。強さは絶対、その強さの裏にあった苦難の日々。逆境に負けず、チャンスを手にすれば結果を残せると厳しい時を乗り越えた――フェザー級転向後も変わらぬ強さを見せたことで、ラジャブアリ・シェイドゥラエフ、アクバル・アブデュラエフに続き、キルギスMMAフェザー級第3の男のインタビュー(※透暉鷹戦について語った部分はカット)を改めて、お届けしよう。


MMAを続けることができなくなって、工事現場で働くためにモスクワに出稼ぎに行った

マネージャーとヘッドコーチにと。4月の来日時のカリベク

――以前はカザフスタンが頭抜けていた中央アジアのMMA。

今やキルギス、ウズベキスタン、タジキスタンと次々の人材が出てきています。カリベクにとって初めてのコンバットスポーツの経験は何だったのでしょうか。

「レスリングだ。父親もレスラーで、8歳か9歳の時に自分が出場していたキルギスのナショナル選手権の会場に僕を連れて行ったんだ。兄も弟もレスリングをやっていた。皆、キルギス土着のレスリング……アリシュ(ベルトレスリング)をやっていた。あとはクラッシュもやっていたよ。それからフリースタイルレスリングもね。

実は僕は喧嘩ばかりにしていて、父親が犯罪に走らないようにレスリングをさせようと思ったみたいで(笑)。キルギスの男は高校を卒業するまで、喧嘩ばかりしている。理由は分からないけど、それがキルギス人の血だと思っている。だから親はレスリング、柔道というタフなスポーツに通わせることがとても多いんだ」

――もう7年も前ですがキルギスで取材をした時に、柔道や柔術の指導をしているコーチも「ケンカはこの国の文化だ」と言っていました(笑)。

「そう、そうなんだよ(笑)」

――でも、カリベクの場合は喧嘩よりレスリングに夢中になった?

「初めてレスリングの試合に出て勝った時、お小遣いがもらえた。それが嬉しくて、レスリングを続けていたようなものだよ(笑)」

――ハハハハ。なるほどです。

「ただ父も兄も仕事を優先してレスリングを辞めた。僕は続けていたけど、村にあったジムのレスリングクラスがなくなってしまったんだ。丁度、そのタイミングでMMAジムがオープンしたから、そこに通うようになった。

正直、初めてMMAの練習をした時は顔面にパンチを貰うことが怖かったよ。でも、ガキの頃のストリートファイトの経験が生きたね(笑)。つまりMMAはレスリングができなくなったから、仕方なく始めたんだ。MMAジムだから、キックボクシングやムエタイの練習も当然始めることになった」

――記録では2020年にプロMMAデビュー戦を戦っていますね。

「2020年に9月にデビューし、12月には2試合で勝利した。3連勝できたけど、僕の家は貧しくてファイマネーも十分でなかった。結果2021年に、MMAを続けることができなくなって、工事現場で働くためにモスクワに出稼ぎに行ったんだ」

――アリベクは2001年生まれなので、18歳や19歳の時ですよね。

「そうだよ。モスクワで1人暮らしをしていた。本当に家が貧しかったから、僕も働いて金を稼ぐ必要があった。両親を助けないといえないから。叔父が先にモスクワに出稼ぎに行っていて、僕に声を掛けたんだ。同時に叔父は僕のファイターとしての技量を認めていたから、モスクワならもっとレベルの高いMMAの練習ができると考えていて」

――ではモスクワでMMAの練習も持続できていたのですか。

「そうだよ。現場監督に1時間早く仕事を終えて、練習に行くことを許可してもらった。朝の8時から、夜の6時まで工事現場で働いて。7時からジムで練習をするようになった。11時か12時頃に家に戻り、また朝から仕事だ。モスクワでは、そんな生活を1年間続けたよ。

そんな時に現地の小さなローカルショーから、MMAを戦わないかという誘いがあった。しかも、タイトル戦で。相手は77キロ、僕は68キロだった」

――どういう経緯でオファーがいったのかも気になりますが、まぁメチャクチャな話ですね(笑)。

「そうかい? 最高のチャンスだと思ったよ。相手はダゲスタンのレスラーで、電話を貰ってから3時間後に戦うことになったんだ。相手は僕を見て『そんな小さな体で、どうやって俺と戦うんだ。レスリングマッチにするか』と言ってきた。その一言で余計に燃えたよ。で、TKO勝ちした(笑)」

――いやはや……それが2021年の話とは……。それはプロの試合だったのですか。

「そうだよ。オールロシアなんとかっていう大会だった。あんまり団体名は覚えていないけど(笑)。それからロシアのACA Young Eagleで試合をした。あの時の対戦相手は本当に強かった。米ドルで300ドルぐらいファイトマネーが出て、両親も喜んでくれたよ」

――300ドル……。

「でも、続ければ勝って手にする額は大きくなる。だから、それで十分に嬉しかった。モスクワにでは3試合を戦ってキルギスに帰国した。キルギスで、続けて3試合戦ったよ」

――今はキルギスに住んで、練習もしているのですか。

「キルギスではオリンプ・ジムに所属している。ヘッドコーチはタイのプーケットにもテイワズ・ストライキング・ジムを開いたから、キルギスの有名ファイターがトレーニングキャンプを行っている」

ファイターなら誰だってUFCで戦うことが目標のはずだ。僕はただUFCで戦うことでなく、チャンピオンになる

――キルギスのMMAファイターと言えば、ヴァレンチーナ・シェフションコを除けば、RIZINフェザー級王者ラジャブアリ・シェイドゥラフ、そしてONEで圧倒的な強さを見せているアクバル・アブデュラエフの名が鳴り響いています。彼らとの関係は?

「ラジャブアリは友人の1人で、アクバルは以前タイで一緒に住んで練習をしていた。ラジャブアリもアクバルも本当に厳しい環境にいたんだ。僕のようにね(笑)。タイで一緒に練習していた時は全く金がなかったし、食事にも困っていたぐらいだ。

それが2人の強さ、チャンピオンになれる理由だ。あの厳しい状況を与えてくれたことを神に感謝している。これまでの厳しい状況を乗り越え、我慢するたびに僕は強くなることができた。人生は楽じゃない。厳しい時間がある。でも、それを乗り越えると絶対に良いことがある。何があろうが、耐えることができれば人生は上手くいく。

そこから逃げると、ファイターに成長はない。耐えられなくて、落伍していった選手はいくらでもいた。厳しい練習、辛い生活に耐えるだけじゃない。チャンスが巡ってこない日々を耐える必要がある。でも、その間もしっかりと練習をしていれば、手にしたチャンスは逃さない。ラジャブアリやアクバルがそうだったように、僕は去年パンクラスでその機会を手にした。

ホントに日本で戦えるなんて思っていなかった。CIS諸国(ロシア、ベラルーシ、モルドバ、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アゼルバイジャン)で戦っていくことになると思っていた。

それが日本で戦えることになった。実はルイ・イムラがランキング1位なんて知らなかった。でも、誰が相手でも負ける気はしなかった。マネージャー、フクイさん(福井幸和パンクラス代表)、サカモトさん(坂本靖パンクラス統括本部長)がパンクラスで戦う機会を与えてくれたことを心の底から感謝している」

――ではMMAファイターとしてのゴールは?

「今はパンクラスでチャンピオンになることに集中している。でもファイターなら誰だってUFCで戦うことが目標のはずだ。僕はただUFCで戦うことでなく、チャンピオンになる。そのためにパンクラスでチャンピオンになり勝ち続ける」

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