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【Special】ゴング格闘技の真実──なんて大袈裟ではない、ゴン格の話を亀池聖二朗氏に尋ねる─03─

GONG GRAPPLE 02【写真】これが、亀池氏にとって伝説のページ (C)GONGKAKUTOGI

4月23日売りをもって、ゴング格闘技の歴史に幕が下ろされた。2001年からゴン格に関わり、昨年3月をもって編集から外れた亀池聖二朗氏インタビュー第3弾。

笑って許して的なインタビューは、さらなる泥沼へ。思い出したくもない、過去が蘇ります。

<亀池聖二朗インタビューPart.01はコチラから>
<亀池聖二朗インタビューPart.02はコチラから>


──2002年10月をもって一度、宮地さん体制のゴン格が終わり、UPPERで2年ほど創られるようになる。その時、亀ちゃんはUPPERを経験し、2005年第二次宮地体制に合流しました。

「ゴン格が日本スポーツに戻るとなった時、自分も戻ることにしたのですが、その時点でゴンググラップルを創るということは知らされていなかったです(笑)」

──ダハハ。いきなり。

「以前のメンバーが集結する前に、あのレオ・サントスが表紙のゴンググラップルを創ることになったんです。今でも思い出すのは、あの号の徹夜で校了してから、家内のお義父さんに挨拶に行ったことです(笑)」

──あぁ、今では(以下、自粛)の奥さんと。

「まぁ、そこもイィとして(笑)。ゴンググラップルでは2号目は僕のなかでは伝説です。ADCC2005速報号、僕が関わっていたなかでは速報が必要な雑誌はその後もありましたけど、20ページ分ほどの速報を前提に1冊を創ったのはアレが最後だと思います。

高島さん、松山(郷※現時点で最後のゴン格編集長。当時の副編集長)さん、長尾(迪)さんがLAへ行き、現地で堀内(勇)さんと合流。4人体制の現地で速報分と本誌用の取材を行い、編集部ではとりあえず速報分の写真をメールで受け取って、デザイン出しをする。

確か高島さんは大会翌日にLAに残り、校了2日前に戻ってきてADCCと他、18ページ分ぐらいを翌朝までにやって韓国へ行くというスケジュールで。松山さんはそのまま向こうに残って、堀内さんの分と原稿を入れる。そんな感じだったと思います」

──人間は余りに辛いことは忘れるのか、ほとんどLAに居た記憶がない(笑)。睡眠不足と空腹で立っていられなくなり、堀内さんにエナジーバーを貰ったことは覚えている(笑)。

「確か戸倉(巌。2006年より松山郷体制のゴン格のデザイナー)さんと、クラッシュのページで初めて仕事をさせていただいたんですよ、この時に」

──そうなんだ、第3号のベレンのページだとばかり思っていた。

「なぜ、戸倉さんにお願いしたのか。それだけスケジュールが詰まって、お願いしていたデザイナーさんでは捌き切れなくなったからです」

──上手いなぁ……話の持っていき方が(笑)。

「とにかく、現地がどれだけ混乱を究めていたのか。それは実際にLAに居た4人の方にしか分からないことです。同時に編集部で写真を待っている僕と宮地さんの心情も、誰も分からない……。

いつまでたっても、写真が届かない。現地の進行に合わせて、これぐらいの時間で写真が送られてくるはず。だからっていうことで、デザイン事務所では5人ぐらいスタンバってくれていて。速報部分はホント、半日ぐらいでデザインを挙げないといけない状況でした。

しかも、1試合を何ページかっていう速報でなくて、階級ごとに1ページで5試合ぐらい入る複雑な創りで。トーナメント戦でも誰が勝つか分からないから、雑感ページも含めて、大会終了後から編集部サイドは作業がスタートするという」

──そうそう(苦笑)。

「でも、約束の時間になっても写真が来ない。全然、来ない。デザイナーさんには詫びの電話を入れ続ける。そんななか、ようやく高島さんから最初の写真が届いた。『宮地さん、最初の1枚が届きました!!!』って大声で叫び、宮地さんも珍しく興奮していて『おお、そうか』って返事をしながら僕の席まで来た。そして届いた写真を開くと。

ホアン・ジュカォン・カルネイロがパンツを脱いで、体重計に乗っていて、〇ン〇ンが丸見えの写真で」

──アハハハハハ。いやぁ、なんでそんなことしたんだろう(笑)。

「あの時、人生で2度目の最大限の放心状態。そして、宮地さんも完全に動きも思考も止っていました。何が起こっているのか、自分達が何を見ているのか。そこになぜ、モロにジュカォンのアレが写っているのか……」

──素晴らしいユーモアのセンスだ(笑)。

「そして、そこから写真がまた届かない。生きている心地がしなかったですよ(苦笑)。もうこれはとんでもない事態になるという事実を受け止めて、デザイナーさんのところに頭を下げに行ったんです。で、デザイナーさん達はマジ切れしているし……。

あの日以来、ジュカォンは僕にとって特別な選手になりました(笑)」

──ハハハハハ。

「編集部に戻って来て、ようやく写真が届くようになると、表紙はホジャー・グレイシーだという宮地さんとマルセリーニョ×リコ・ロドリゲスを推す高島さんが、国際電話で物凄い言い合いを始めて(笑)。宮地さんが『あんた、それは脅迫だろうっ!!』って怒鳴っていて……」

──あぁ、思い出した。マルセリーニョが表紙じゃなかったから、この時点で作業を止めて、ゴン格も辞めるって言ったんだ(笑)。ハハハ、酷すぎる……。

「本当に酷いです(笑)。現地にいない僕らは、無差別級で優勝したホジャーの写真を表紙にしようと思いますよ。構図も凄く良い、キング・オブ・カバーページのような写真もあったし。でも、後から映像を見たら──あの時、高島さんがマルセリーニョで譲らなかったのも理解できました」

──う~ん、でももう現地組は冷静な判断はできていなかったと思うよ(苦笑)。

「確かに。帰国されてからも、とにかく入稿に集中している。だから、何時に自宅に戻り、いつ自宅を出て──羽田に行けば、飛行機に乗ることができるのか。そこも頭になく仕事をされていて……。僕が調べてプリントアウトして、高島さんにそれを渡したんです。あの時、宮地さんに『それがお前に求められている仕事だ。あれで高島さんはゴールが見えた。だから、仕事を終えることができたんだ』って言われて」

──う~ん、良い話だ。でも、俺はタクシーで家に戻り、シャワーを浴びたことしか覚えてない。どんな時でも、シャワーだけは浴びるから。なぜなら、いつエレベーターで……。

「もう、そこの説明はイィです(笑)。で、高島さんが飛行機に乗ったぐらいの時間に、韓国に居たCMAの諸岡(秀克)会長から電話が入って『高島さんいる? 大会、キャンセルになっちゃたよぉ』って。

で、韓国に着いたであろう高島さんと携帯が繋がって、『GLDIATOR、飛んじゃったみたいです』って言ったら、『あぁ、今、ホテルに着いて聞いたばっか』って。さすがに、疲れが出まくりで(笑)」

──笑うかそこで(笑)。

「もう、笑うしかないですよ。それぐらい僕も図太くなっていました」

──参ったよ、すぐにその日の夜の飛行機にチケットを変更できないかと動いたけど無理で。で、宿泊先のホテルの人間が驚くほど大量のファックスがゴン格から届いて。校正しないといけなくて……。

「ハハハハハ。でも、なんかキックボクシングの大会がどこかでやっていたことを知らべて、取材していたじゃないですか。ほんと、この人、とんでもないわって思いました(笑)」

<この項、もう少し続く>

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