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【Special】ゴング格闘技の真実──なんて大袈裟ではない、ゴン格の話を亀池聖二朗氏に尋ねる<02>

EPSON002【写真】今となっては笑い話として、亀池氏の思い出に耳を傾けてもらえると幸いです (C)GONGKAKUTOGI

4月23日売りをもって、ゴング格闘技の歴史に幕が下ろされた。2001年からゴン格に関わり、昨年3月をもって編集から外れた亀池聖二朗氏インタビュー第2弾。

笑って許して的な内容に突入します。
<亀池聖二朗インタビューPart.01はコチラから>


──亀ちゃんはそうやって初っ端から、修羅場を経験し乗り越えたと。

「あの頃の自分の仕事は写真切りとそれに付随する写真選びとテープ起こしでした。それこそ500ワードぐらいの囲み記事を宮地さん、熊久保さん、高島さんが赤字を入れてくれて。きっと、僕より後の世代の子にああいう風に育ててもらった子はいないと思います」

──あぁ、思い出した。宮地さんから『面倒みてやってね』って言われた。そうだ、『なんでフリーの俺が……』って思った、あの時(笑)。

「そうなんですよね。初めてページ担当したGIの1ページの時も、ラフと切った写真を宮地さんに持っていったら、『高島さんに見てもらって』って(笑)」

──丸投げやん(笑)。

「で、編集部の奥の方でPCに向かってカタカタやっていた高島さんにそれを伝えたら、『エッ、俺?』って唖然としていました(笑)。

あの時も写真1枚しか掲載されない試合に関しては、フィニッシュとか決定的なシーンで勝者の顔を写っていないモノよりも、勝った選手の顔が写っているモノに変えろって言われました。

ああいう写真選びをしていたのはゴン格を通しても、高島さんと高島さんに教わった僕だけだったと思います」

──その大切さを教えてくれたのは、絶対的に格闘技通信の谷川(貞治)編集長、自分にとっては。だから宮地さんも亀ちゃんを俺に任せたんやと思う。俺は格通育ちだったから。

「あぁ、確かにその通りだと思います。伝えるのは人っていうのを写真選びから教わりました。僕、ネットがあるから雑誌が売れないっていう言い訳、大嫌いなんです」

──おぉ、突然くるねぇ……亀節(笑)。

「だってあの頃、格闘技バブルに一直線に向かっていて、TVが格闘技を取り上げるようになりつつあった時代です。もちろん、全てにおいてTVが優先でした。だから、TVがある前提で雑誌をどうするのかっていうなかで本が創られていた。

だからネット時代の今だって、同じですよ。ネットがあるから、雑誌がダメって言い訳をする人が大嫌いです。何が嫌かって、インターネットがあるから雑誌が売れないと言いながら、雑誌を創り続ける行為。なら、ネット時代にはネットではできない雑誌創りをすれば良いんですよ。そこを模索したのかって話で」

──そこは自分でも忘れがちだった。そうサムライTVがどんどん試合を流して、地上波でもプレビューがある時代に本を創っていた。いわゆる第一次宮地ゴン格と呼んでいた時代、亀池君は最後の約1年を編集部で過ごしていたけど、なかでも一番の思い出となっている一冊は?

「Dynamite!増刊号ですね。もう思い出が詰まりまくっています。まず個人的な思い出として、早川(光由)さんが黒帯になったことで師匠の平(直行)さんも黒帯になる。そういう柔術界ならではの話があって、それを宮地さんに伝えたところで、熊久保さんが書き手として記事になった。僕が発信し、ページができた初めてのケースだったんです」

──それは忘れられない一冊になるね。

「でも、それだけじゃないです。この号は。国立競技場に足を踏み入れた時の凄さ、アレは壮観でした。そして宮地さんの増刊号のスタイルというのが、速報号規模のビックマッチで増刊号を創り、そこに後楽園ホール・クラスの大会のプレビューをはめ込んでいくというモノでした。

宮地さんが言っていた『PRIDE、K-1時代はいずれ終わる。その時に今、後楽園ホールで大会を開いている総合格闘技、キックボクシング、そして柔術で格闘技雑誌が生き残れるようにならないといけない』というモットーが増刊号には詰まっていました。

そういう大会をDynamite!のカラーでサンドイッチして、モノクロや後ろカラーの一部に詰め込む。そのページを主に担当していた高島さんを補佐することが僕の仕事でした」

──また、高島ディスりが始まるわけ?(笑)。

「いえ、でも、これですよ。『どこかで見たことがあるブラジル人。14人に聞きました』(笑)。ブラジルに行っていた高島さんと今はUFCブラジルの正社員になっているマルチン・デニスが4ページで、誰だコレっていう14人の選手を紹介している」

──ハハハハ。なんだ、そのバカげた企画。いやぁ、全くもって忘れていた。

「しかも、英語で来たデニスの原稿とブラジルで録ってきたテープを並べて、一晩で創っていた(笑)」

──アハハハ。無駄な努力。

「それが今、こうやって見返すとルイス・ブスカペがいて、レオナルド・ショコラーテやイヴァン・バッチマン、アリソン・メーロがいる。で、最後のページにはミウトン・ヴィエイラとグレイゾン・チバウが載っているんです」

──ハハハ。それ聞いて、余計に笑える。

「でも、当時はどこかで見たことあるって、誰も見たことないですよ(笑)。あの頃、ブラジルでは国内でMMAがなかったから柔術とルタリーブリの試合レポートが主な題材で。柔術はカラーで、ルタがモノクロ。で、そのモノクロに出てきたような選手がズラリと並んでいて」

──まぁ、面白いことやっていたね。そこね、一番の思い出は?

「いえいえ、これからがメインですよ」

──まだ、ある???

「ありますよ(笑)。久保(豊喜GCM代表※当時)社長インタビュー」

──あっ、あれか。あれは……(苦笑)。

「新宿フェイスがリキッドルームだった頃、慧舟會がオールナイトイベントをやって。慧舟會が唯一手を出していなかった裸の総合、デモリッションを行うということで高島さんが久保社長にインタビューをしたんです。

まぁ、当時の久保社長と高島さんの関係を考えると、この両者がヒザを詰めて話すことに、当時の格闘技界の人間はザワついていたんですよ(笑)。そして雑誌の進行上、何一つ落とせない。ミスがあってはいけないという厳戒態勢モードでした。何一つです」

──くどいな(笑)。

「夜中に久保社長のインタビューをやって120分のテープを高島さんが自分に嬉しい顔を見せながら、『あのオッサン、相変わらずや。頼むわ』って渡して、自宅に戻られたんです。次の日に五味(隆典)選手のインタビューがあるから、少しでも寝るって。

で、自分はすぐに入稿しないといけないから編集部でテープ起こしをしようと思ったら……『アレッ?』って」

──凄い、嬉しそうやな(苦笑)。

「早送りしても2人の声が出てこない。10分経っても、15分経っても何も聞こえない……。ザァーっていう雑音すら入っていない。もう、一瞬で頭の中が空っぽになり、すぐに編集部から高島さんの携帯に電話して……。

『高島さん、久保社長のインタビュー──録音されていませんッ!!! 録音できていません!!!!!』って、超焦りまくって伝えたら……。もう、あの時の返答は僕は絶対に忘れることはないですよ(笑)」

──ハイ、ディスりの頂点ね(笑)。

「『阿呆かッ!! 俺を誰やと思ってんねん?? そんなことでイチイチ電話してきて、睡眠時間削るなッ!!!!!』……。ガチャーンって」

──いや、ガチャーンは盛っている(苦笑)。携帯やったのに、ブチッでしょ。

「いや、そんなことより──えっ、何で僕が怒られないといけない……って思いましたよ(笑)。それに入稿どうしようって焦りまくりで」

──悪いヤツやん。それ。あの時、ちょっとでも寝たいから編集部に『この時間は絶対に電話かけないでほしい』って言っていたのよ。でも、起こされて何よりも先にブチ切れた(笑)。

「もう放心状態でしたよ。今からしても、人生最大の放心状態。でもあとから聞いたら、すぐに宮地さんに高島さんが電話をかけて、『事情は分かりました。今すぐ、記憶だけで書いてください』ってことで思い出しながらインタビューを創った。それが、また完璧な内容で(苦笑)。原稿チェックで全く赤が入っていなかったです」

──もうね、亀ちゃんには怒鳴ったけど、そのあとはカウパー腺液出まくりで必死に思い出して書いた。

「カウパー腺液じゃないですよ。アドレナリンじゃないですか(笑)」

──あの頃はロングインタビューなんてなくて、要点を纏めて書くのがインタビューだったからできた。最後の方のゴン格の方針のようなロングインタビュー形式だったら、絶対に無理だった。

「あのページは、それだけでなくてGCMの大会の振り返りっていう囲みがあって。そこが凄く細かくて、自分は写真と大会インフォを書いて──高島さんがキャプションを加える。その後、何年も続いたライターさんと編集者の間柄が、あのページで築けたと思います」

──なるほど、俺を落としながら最後は良い話に持っていくと(笑)。23歳の若者も大人になりました。そこが最初の1年の最大の思い出?

「そうですね。ページを創るということに関しては。あとは仕事への取り組み方として、みなが睡眠不足でフラフラになって風呂は当然としてシャワーも浴びることもできない状況のなかで、高島さんに言われた一言も強烈な印象に残っています」

──もう何でも言ってください(苦笑)。

「では遠慮なく(笑)。『お前な、そんな汚くて。臭くて……。もし、編集部から出てエレベーターに乗って、凄いキレーなお姉ちゃんがお前の〇ン〇を咥えようとするような事態に陥った時に、そんな汚い〇ン〇でおってえぇんか』って」

──……。

「あの時はこの人は本当に頭がおかしいって思いましたけど、あれも後から分かったんですよね。高島さんはこの仕事をしていて寝ない自慢が大嫌いで。寝ないと終わらないのは、自分のなかの情報処理能力が足らない、自己管理ができていないから自慢するなって。

そして、変な体臭かざして会場や取材場所には絶対に行くなって……」

──まぁね、寝ない自慢と忙しい自慢は誰も幸せにならない。それに変な臭いがしているヤツが、良い仕事ができるなんて絶対に思わないから。

「でも、もっとマシな例えを使った方が絶対に良いって思いましたよ(笑)」

<この項、もっと続く>

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