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【Special】ゴング格闘技の真実──なんて大袈裟ではない、ゴン格の話を亀池聖二朗氏に尋ねる─最終回─

Kameike suneo shojro【写真】亀池氏は格闘技雑誌編集の激務を乗り越え、今は謎のパフォーマーとして活躍されています。フェイスブックのいいねが日々の活力となっているので、友達になっている皆さんはいいねを極力してあげてください (C)MMAPLANET

4月23日売りをもって、ゴング格闘技の歴史に幕が下ろされた。2001年からゴン格に関わり、昨年3月をもって編集から外れた亀池聖二朗氏インタビュー最終回。

今は格闘技に関わっていない氏が、15年余の雑誌創りの日々を総括してくれました。

<亀池聖二朗インタビューPart.01はコチラから>
<亀池聖二朗インタビューPart.02はコチラから>
<亀池聖二朗インタビューPart.03はコチラから>


──ゴンググラップルが存在した2005年、激務と精神的な負担もあり亀池君は体調を崩してしまいました。

「ハイ。自宅にいながらお手伝いする感じのなかで……2006年の2月売りで、宮地さんが編んでいたゴング格闘技は終了します」

──もう急激にネットというものが発達し、記者でない人たちが自らの意見を述べることができるなか、マスコミの役割は変化し、ネットにはない特色としてロングインタビューに力を入れた雑誌へとゴン格も変って。よりスタイリッシュに、俺からすればスナッピーになった。エディ・ブラボーをインタビューして、5段組で1ページで掲載した時代が懐かしくもある……。

「正直に言えば、あの頃に戻りたいかといえば──絶対に戻りたくないです(笑)」

──でも笑って振り返ることができるようになった。

「戻りたくないのは、戻ってももうできない。それだけのことを経験をさせてもらいました。あの頃、僕はボンクラ過ぎて……声を絶対に荒げることがなかった熊久保さんまで、切れさせてしまいましたし(笑)。僕はそれだけメチャクチャやっていました。

やらないといけないことをその時間までやっていなくて、高島さんに『忘れとったんか?』と怒られた時に、『忘れていませんけど、やらなかったんです』ってもう自分で何を言っているか分からない言い訳をして……」

──アハハハ。頭を小突いて『ここには何が入っとんじゃぁ』って怒鳴った時だ(笑)。

「ホントに色んなことがありました」

──う~ん、15年も昔に亀ちゃんに自分が何を言っていたのかを改めて聞かされて……これは自分で自分の首を絞めることになった(笑)。いやぁ、初心忘るべからず。ゴン格休刊……負けて兜の緒を締めないと。

「僕のなかでゴン格の最後の号で、見出しでUWFってあって。なんで最後の号で格闘技でないモノを語る必要があるんだって思ったんです。でも、熊久保さんを茂田さんが取材するという、ライターがライターに取材する。ライターがライターのインタビューを受ける。嫌な仕事を二人とも受けられて──当時のゴン格の人間として答えた熊久保さん、書き切った茂田さん、素晴らしい記事でした。

そして、内容的にはダシに使われたような谷川さんが原稿にOKを出した。谷川さんも、あそこでは紙媒体出身の人というのを見せてくれた。業界の大先輩たちが、最後の最後にプロの姿を見せてくれました。

その谷川さんがやっている巌流島に対して、高島さんが安全面で注文をつけている。その前にカポエイラ、レスリングのスイッチ、ムエタイの首相撲、空手の追い突きについて書いている。もう、全然最終号じゃない。これからやっていくんだってことの意志表示じゃないですか。僕はそう捉えました」

──まぁなぁ、やっぱり好きことを書いていきたいしね。

「ゴン格を創っていた時、『好きなことを仕事にして良いですね』ってよく言われました。そう言われること、ないですか?」

──そうやね。格闘技が好きで、格闘技雑誌を創って食えている。良いですねってね。

「でも飲食店をやっている人だって、飲食店を営むことが好きなはずなんです。料理をするのが好きなだけなら、家でやれば良い。もっと割が良く、安全にお金を稼げることがあると思う。でも、飲食店をやっているのはお店で食べ物を創るのが好きだから。

それと一緒で、僕は格闘技雑誌を創るのは、格闘技が好きなのは当然として、本創りが好きじゃないとできないことだって思います。格闘技が好きで、出版社にいる人は多いですよ。でも格闘技雑誌を創ってきた人間はどれだけいるんだって話で。

料理を創って、お客さんに振舞って、対価を得る。それが好きだからお店を出す。僕はもう戻りたくないけど、格闘技雑誌を創ることが好きだった。もちろん、格闘技が好きですよ。それ以上にゴング格闘技、ファイト&ライフで格闘技を伝えることが好きだった。それが仕事ってもんだし。

ここもしっかりと言っておきたいのですが、格闘技雑誌を創っているのに『僕はそれほど格闘技が好きじゃない』って言って、ちゃんと仕事をしない連中もいました。

何を言い訳にしているんだよ──ですよ。だったら、好きになれよって。好きになって、良い仕事しろよって。好きなぐらいで、良い仕事ができるなら……ね。好きなだけで良い仕事なんてできるかよって、僕は最後だから言わせてもらいます。

高島さんに言ってもらったことで──やっぱり僕のなかで大きな部分を占めていたのは、『別に頑張らんでもエェ。それでエェもんが創れるなら。でも、俺らにはそんな才能も能力もないから、頑張るしかないんや。雑誌を完成させることを終着点にするな。良い雑誌を創るってことを常に思い続けるんや。でないと、締め切り、タイムアップだけ気にして仕事を終わらせるようになるからな』って言葉です。

今の仕事をしていても、その精神は……何を仕事にしていても変わらない。納期を守って、良いモノを創って、買ってもらって、喜んでもらって。また買ってもらう。それを永遠に繰り返す。

そんな単純なことを気付かせてくれたのは、間違いなくあのゴング格闘技編集部のピリピリした空気でした。あのピリピリは皆さんが持っていた自分への責任感。何も誰かを貶めようとか、嘘をついたり、そんな濁った空気じゃなかった。

良いモノを創って、それを編集長に認められて──格闘技を知ってもらう。それが売り上げに貢献できる。結果、自分の実績になる。前向きな競争だった」

──世の中ね、前向きな競争に勝てない人への心配り、思いやりは必要なんや。俺はこの年になってようやく、そこが理解できた。だから、格闘技ファンでこの記事を読んでくれている、優秀なのになかなか上手くいかない人には、正のパワーで負のパワーには対抗できないですよって伝えたい。

「貶め合う空間があるのかどうか、それは知らないです。でも、あのピリピリしたゴン格編集部の空気は資本主義社会に適していた。そして、良いモノが出来上がる。それが15年前にはあった。あそこで学ばせてもらって……、選手の皆が格闘技で学んだことを第2の人生に生かすのと同じで、あの2001年から2005年にかけて、ゴン格でやらせてもらったことが、僕の今にもつながっています。

実際にそのように言ってくれる人もいます。何より僕も今ではエレベーターに乗ると、どんなことが起きるかもしれないですから、どれだけ忙しくても絶対にシャワーは浴びて、身の回りをキレーにするようになりました(笑)」

──ハハハハ。

「風呂を入らずに仕事をするなんて、ただの自己満足。寝ずに頑張っているなんて、自己満でしかない。そんなことをしても良い原稿なんて書けない。良い雑誌にはならない。寝ないとか、風呂に入らないとかはダメ。

僕は今、11時に寝て5時に起きていますよ(笑)。『寝たいんだったら、もっと仕事ができるようになれ』って言われたこと、ホントに忘れていないです」

──それは誰から?

「高島さんです」

──僕って、良いことたくさん言っているねぇ(笑)。

「まぁ、15年分ですかららね(笑)。でも、ある程度仕事ができるようになると……眠れるようになると──また眠れないだけの厳しい量を任される。仕事の難易度も上がる。全く睡眠時間は変らない。それもあとから気付かされましたよっ!!」

──結局、最後は落としてくるんやないけ(笑)。

「その繰り返しの結果、『亀ちゃん、5分後に起こしてくれ』って編集部のソファで横になって、4分後に自分で起きてくる人間になれるんです(笑)。

で、最後の校正紙をファックスして──『ハイ、お疲れ様でしたぁ』──パチパチパチってなる直前に『皆、集まれッ!!』って、次号の企画会議を始める宮地さん(爆)」

──ハハハハ、鬼過ぎる(笑)。

「でも、編集部員とライターの方はやっぱり仕事のサイクルが違うし。ゴン格が校了を迎えると、それまで溜めて込んでいる他の仕事をしないといけないから、もう編集部で一同が顔を合わせることなんて、1週間、10日となくなる。だから、あの鬼の一言が凄く大切だった」

──今は編集部に行かずに、各々の仕事場で原稿を書くようになって、デザインもデータでチェックするから、もうそういう時代でもないんやろうけどね。雑誌一本で食えなくて、自分の媒体をネットで持つようになったしね。

「それでも根底には人と人の触れ合いがあると思います。雑誌創りには。宮地さん、熊久保さん、高島さんに教えてもらったことは格闘技を通じて人を伝えること……。人間を伝える。これは、言われ続けてきました。

だから、試合前にしても試合後にしても、対戦相手がうんたらっていうだけのインタビューは好きじゃなかった。それだけで終わるインタビューは……。そこから何かないのか、探す。それはインタビュー中ではなくて、企画段階で探すモノ。それが僕にとって格闘技雑誌創りでした。そして、その人と人の触れ合いという考え方は、繰り返しになりますが……今の仕事に通じているし、格闘家、格闘技ファンの皆さんにとっても、あらゆる仕事に当てはまることだと思います」

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