【Grachan80】フライ級王者=小田魁斗に挑戦、小林大介「あのケージの中で、1対1で負けたくない」
【写真】MMAはファイトスタイルも人それぞれ。始める理由も、続ける理由もそれぞれ――だから面白い(C)SHOJIRO KAMEIKE
2月1日(日)、大阪府豊中市の176BOXで開催されるGrachan80で小林大介が、小田魁斗の持つフライ級王座に挑戦する。
Text by Shojiro Kameike
インタビューと写真撮影が終了したあと、小林から「今まで取材されてきた中で、誰と似ていますか?」と訊かれた。「誰と似ているかは分からないけど、今までALIVEにいなかったタイプだと思う」と答えると、挑戦者は「あぁ、よく言われます」と笑った。
特に何が、というわけではない。ただこれまでの経歴を聞くと、格闘技をやっていなかった世界線も十分にあったのだろうと思う。野球に打ち込んだ少年時代から、とある理由でALIVEに入門。ジムの先輩たちを見て「プロのファイターとは何か」を学び、安定した仕事を捨ててMMAで生きることを決めた。
「あのケージの中で、1対1で負けたくない」その想いで試合に臨み、辿り着いた初のタイトルマッチ。しかも因縁の地・大阪——挑戦者は「何かあるんでしょうね」と笑顔を浮かべた。その「何か」が何なのかを求めて、小林はケージに入る。
野球をやっていて、中2で現実が分かっちゃったんです
――MMAPLANETでは初のインタビューとなる小林選手です。まずは格闘技を始めた経緯から教えてください。
「小学4年生から高校3年まで野球をやっていて、大学に入ってから3年生の夏に格闘技を始めました」
――それまではプロ野球選手を目指していたのでしょうか。
「ナゴヤドームが実家からメチャクチャ近くて、土日は野球を観に行くという環境でした。でも何があるというわけでもなく、とにかく周りが野球をやっていたから自分も始めたという感じで。
ポジションはセカンドで、中学の時に入っていた硬式野球チームが全国4位になったことがあります。高校も野球の推薦で進学しました。県予選の2回戦か3回戦で負けて、甲子園には行けなかったです」
――そこまで野球を続けながら、高校で引退したのですか。
「中学の時に……もう分かっちゃったんですよね」
――分かった、というと?
「中学の時は最初、地元の学校の野球部に入っていました。その野球部は市内でも強いところでしたけど、さらに上のレベルでやりたくて、中2で硬式の野球チームへ行ったんです。でも体験に行った時、そこには中学野球で名前が知られているスーパースターみたいな人たちしかいない。その時点で『こういう人たちがプロ野球選手になるんだな』と分かっちゃったというか」
――どの競技でも上のレベルで活動すればするほど、「自分はプロで通用しない」という現実を知るという話はよく聞きます。
「僕の場合、それが中2で分かってしまったんです。僕も地元の中学の野球部ならレギュラーで、目立つポジションでした。でも硬式野球チームとなると、自分なんて片隅にしかいられないようなレベルで。だけどそういうレベルで野球をやりたくて、片隅で続けていたけれど、その時点でプロ野球は難しいなっていう現実を知りましたね。なんとか高校で甲子園に行ければ、と。僕には高校に行く手段も野球しかなかったですし」
――では大学も、野球とは一切関係ないところに。
「はい。高3年の夏に野球部を引退したあと、ALIVEに入門するまでは大学の同級生とフットサルのチームを創って、遊びの延長で大会に出たりしていました」
――野球部を引退したあと、心の中にポッカリと穴が空いたのではないですか。
「空きましたね、もう暇すぎて(苦笑)。大学で入ったのは、トレーナーや消防士を目指すためのコースでした。だから、とりあえず体は鍛えておかないとダメで。筋トレはやっていたし、授業でも走ったりとかはしていて。そこで勉強して、将来は今までの経験を生かしたトレーナー業に就こうと考えていました」
――たとえば高3に野球部を引退したあと、筋肉や身体能力は落ちるものですか。
「ビックリするぐらい落ちます(苦笑)。それが分かったのはALIVEに体験に来た時で、ヤバイと思いましたよ。自分の脳内とスタミナとかのギャップが――要は思ったとおりに体が動いてくれないんです。昔は体育の授業で何か見たら『あぁ、こうね』と、目の前で見せてもらったとおりにできる。でもALIVEに来た時は、その感覚が鈍っていることがよく分かりました」
2022年に176BOXで試合をした時、1Rめに拳が折れたんですよ
――やはりブランクというものは恐ろしいですね。ただ、なぜ大学3年の時、ALIVEに入ったのでしょうか。
「大学が体育系の学校だったので、どう教えたら伸びるか、上手くなるかというトレーナー視点を勉強するんですよ。その時に――人には向き不向きがあって。たとえば球技に向いている人がいれば、それより何かやってみて最初に伸びるほうを続けたほうが良い人もいる。何かを極めるためには、後者のほうが良いという話を聞きました。
そう考えた時、僕は小学生の頃から運動は得意だったけど、球技は苦手だったんです」
――えっ!?
「先ほど言ったとおり、家の近くにナゴヤドームがあり、友達が野球をやっているから自分も始めた。それなりに練習するから、ある程度の位置まで行ける。でも一周してみると、自分は野球が苦手だったんじゃないか、と思って。大学の授業で学んだことをもとに今までの経験を振り返ると、球技ではなく何も道具を使わない競技であれば、ちゃんとした形に残るんじゃないか、と」
――なるほど。
「自分の人生を振り返ってみると、うまく行っていたのは走ることとかマット運動でした。実は小さい頃に空手の型をやっていて。そういう道具を使わないスポーツをやろうと思いました。そういうスポーツを学ぶことで、就職にも役立ちそうですし」
――――では格闘技の選手になろうということではなく、トレーナー業の勉強としてALIVEに入ったのですか。
「そうです。どうせやるなら道具を使わないスポーツのほうが上手くなれると思って」
――格闘技を始めるケースとして、そういったパターンは初めて聞きました。
「えっ、そうですか。あと野球をやっている人は格闘技が好きなんですかね。格闘技の試合があった翌日は練習の時も格闘技の話をしていましたよ。たまたま僕の周りがそうだっただけかもしれないですけど。
最初は柔術から始めましたが、そんなに試合に出る気もなかったです。少し強くなったら良いなぁ、というぐらいで。ジムに入ってから1年ぐらいして柔術の大会に出ました。普通に負けましたよ(笑)」
――先ほど自分の思っていることと実際の動きが乖離しているという話がありました。それが合い始めたのは、いつ頃だったのでしょうか。
「なかなか遅かったです。大学を卒業して一度、就職したんですよ。春日井市が運営しているスポーツジムの職員として、5~6年ぐらい働いていました。その期間は残業も多かったし、毎日来ることができるわけじゃないし。その仕事を辞めて朝晩練習するようになってから、その部分は完全に一致するようになりましたね。それが3~4年前、プロデビューする頃にようやくという感じでした」
――完全に一致しないなかでもアマチュアMMAの試合に出て、プロになろうと考えたのですね。
「いや、思っていなかったです(笑)。ずっとパンクラスのアマチュア大会に出ていて、そんなに負けなかったんですよ。ALIVEの先輩たちと比べたら、ほぼ練習できていない状態で。これは仕事を辞めて練習したら、ちゃんと強くなれるんかなぁという気がしました。
そのためには、まず練習量を増やさないといけない。ALIVEの先輩たちの基準でいえば、選手としての練習量は全然足りていなかったです。久米鷹介さんをはじめALIVEの先輩たちは朝から晩まで練習している人たちばかりで。自分もそれがプロなんだと思っていましたし。その基準に合わせるために、仕事は辞めなきゃいけない」
――市の職員という安定した仕事を辞めることに対し、周囲から反対されませんでしたか。
「反対されましたね。職場の人からも『マジで!?』みたいな感じで、1年ぐらい引き止められました(苦笑)。それこそコロナ禍でも市の職員として給料は出ていましたし。そんななか先輩たちは試合がなくてヤバイ、というリスクも目にしたうえでの決断でした。自分自身でも『それだけ格闘技がやりたいんだな』と思ったんです。
それからは自分でお客さんを見つけてトレーナーの仕事をしながら、ALIVEで鈴木社長の仕事を手伝わせてもらっていました」
――さらに一昨年には、愛知県あま市でALIVEのフランチャイズをオープンしています。
「2022年8月7日に176BOXで試合をした時(永井美自戒に判定負け)、1Rめに拳が折れたんですよ。さらに、ちょうど1年後の2023年8月7日に今度は練習中に同じところを骨折して。その時に『あぁ、もう自分は終わった』と思いました。もう年齢も30歳が目前だったし、次のステージを考えて、お世話になっているALIVEのフランチャイズを出したんです。セカンドキャリアを考えて」
試合が終わったら、また次の相手に勝つための日々が始まる。そうやって続けてきたことを形にしたい
――ここまでの人生を振り返ると、先を見据えて動くことができる人なのだろうと思います。でも、そんな状況になっても格闘技を続けている。
「……続けちゃうんですよね。正直、自営業として仕事を頑張ったほうが、良い思いはできると思います。でも何ですかね……。辞められないんですよ、格闘技が好きだから。
自分としては好きだから続けてきただけで、今までベルトを意識したこともないんです。とにかく目の前にいる相手に勝ちたい。あのケージの中で、1対1で負けたくないという気持ちだけでやってきました。試合が終わったら、また次の相手に勝つための日々が始まる、という感じで。
そうやって続けてきたことを形にしたいです。まだ形になっていないから辞められないんだろうな、とは思います」
――今までやってきたことを形にする。それがベルトを巻くということなのでしょうか。
「それも今回オファーを頂いてから『あぁベルトか』と思ったぐらいなんですけどね(苦笑)。今回も目の前にいる小田選手に勝つ。その先に――いつもは勝てばメダルが首に懸けられるんですけど、今回はベルトが腰に巻かれるんだと考えています」
――そのタイトルマッチの舞台が一度拳を骨折し、もう格闘技を続けるのが無理かと思った発端の地・大阪になるとは。
「マジかぁ、と思いました。巡り巡って、人生で一回格闘技を辞めるかもと思った場所で――何かあるんでしょうね。相手は福岡で、自分は名古屋。その2人が、僕が拳を折った大阪の地で戦うという。プロで初めて負けた場所でもあるし、格闘技を続けるのはヤバイと思った発端の場所でもある。そうなったのも何か意味があるんだろうなって思います」
――これまでチャンピオンの小田選手との絡みはありましたか。
「控室が一緒だったことがあるぐらいですね。小田選手はトントントーンと勝ち上がって、ONEでも試合をしていたじゃないですか。だから原口伸選手みたいに、Grachanでも違う枠の選手だと思っていました。
ファイターとしては、とにかくあれだけ動くことができるのは本当に凄いと思います。全くバテないですよね」
――小林選手もまた、テイクダウンから動きを止めずにアタックし続けるタイプのファイターです。
「そうですね。でもグラウンドの動きはまた違うタイプではあります。小田選手は海外にいうなタイプで……あのスタイルは強いですよ。殴って上を取って殴る、だからフィニッシュできなくても判定でも勝てる。しかも四つで倒すから、テイクダウンした瞬間に良いポジションを奪っているじゃないですか。うまく行けばマウント、そうでなくてもハーフガードとか。そこから漬けてしまえば、ラウンドを撮ることはできますし」
――それだけ強い王者と、挑戦者としてどのように戦いますか。
「どう戦うかは、もう決まっています。あの空間の中で、自分がそれを実行できるかですね。ぜひ見ていてください」
■Grachan80 視聴方法(予定)
2月1日(日)
午後2時~ GRACHAN放送局、GRACHAN公式YouTubeメンバーシップ
■対戦カード
<フライ級/5分2R+ExR>
滝川結都(日本)
津野智輝(日本)
<フライ級/5分2R+ExR>
天馬(日本)
岡田達朗(日本)
<ライト級/5分2R+ExR>
堀田大智(日本)
フラビオ・ジオゴ(ブラジル)
<バンタム級/5分2R+ExR>
前田snake海(日本)
田岡桂萌(日本)
<バンタム級/5分2R+ExR>
フェルナンド(ブラジル)
中西テツオ(日本)
<フライ級/5分2R+ExR>
森渕俊太(日本)
麦谷悠成(日本)
<ウェルター級5分3R
青木忠秀(日本)
イ・ソルホ(韓国)
<Grachanフライ級選手権試合/5分3R>
[王者] 小田魁斗(日本)
[挑戦者] 小林大介(日本)
<ヘビー級/5分3R>
ハシモト・ブランドン(ペルー)
マイティー村上(日本)
<ライト級/5分2R+ExR>
松本光史(日本)
丸山数馬(日本)
<フェザー級/5分2R+ExR>
高橋孝徳(日本)
八木匠(日本)
<ライト級/5分2R+ExR>
村瀬賢心(日本)
姜信一(日本)
<ライト級/5分2R+ExR>
山下康一朗(日本)
ハタダ・チアゴ(ブラジル)
<ストロー級/5分2R+ExR>
大城正也(日本)
尾崎蓮(日本)
<フェザー級/5分2R+ExR>
平野堅吾(日本)
おいなり翔(日本)
<バンタム級/5分2R+ExR>
辻郁也(日本)
片岡巧嗣(日本)
















