【Bellator144】ISAOに一本勝ち、ゴイチ・ヤマウチ<01>「子どもの頃から毎日6時間練習していた」
【写真】打撃ではISAOに分があると思われたが、柔術で削り3Rにはダウンも奪ったヤマウチ(C)KEITH MILLS
10月23日(金・現地時間)にBellator 144でISAOに一本勝ちしたゴイチ・ヤマウチ。
日本生まれのブラジリアンにISAO戦の勝利、そしてこれまでのキャリアを尋ねた。
Text by Keith Mills
──日本の強豪ISAOにキャリア初の一本負けを与えたゴイチだけど、試合内容については満足しているかい?
「この試合は僕にとって、本当に危ない試合になると思っていたんだ。だって、ISAOはマルロン・サンドロに勝っているような相手だからね。柔道ベースだけど、打撃も強い。そしてスタミナがある。スタンドでは距離を取って、柔術で削ろうと思っていた。そうやって、日本のナンバーワンファイターと戦おうと思っていたんだ。
どの試合もタフだけど、ISAO戦は僕のなかで最も大きなチャレンジだった。だから、凄く神経質になっていたんだ。ISAOと戦えて良かったよ。彼は次のBellatorの試合で、必ず勝利を挙げることができるだろう。本当に強かった」
──ところで君は日本で生まれて、ブラジルには3歳の時に渡ったんだって? いつから格闘技を始めたの?
「3歳のときだよ。5歳の時に初めて柔道の試合に出た。柔術を始めたのは9歳の時だった。ホイス・グレイシーの試合を見てから、PRIDEやK-1をチェックするようになったんだ。サクラバ、ヒョードル、クロコップ、ゴミ、それにマサトが僕のアイドルだったよ。特にマサトに憧れた。彼のようになりたいと思っていた。今でもマサトの影響を強く受けている。格闘技に関しては、本当に子供の頃からハードにやってきたんだ。毎日6時間、練習していたよ」
──6時間も……。
「全く苦にならなかったよ。練習と学校以外の時間は、ずっと家でPRIDEかK-1を視ていたしね。日本に住んでいる叔父が、ビデオをブラジルに送ってくれていたから、もう石に噛り付くように視ていたよ(笑)。
格闘技を習っていたのは、別の叔父から。技術練習に時間を割き、技に対する理解度を深めるという指導を叔父はしてくれた。プロになってからは、より体作りに気を回すようになったかな。そうだね、より多角的に格闘技のことを考え、練習するようになった。セルディフェンスのために格闘技の練習をしたことないんだ。ファイターとして、チャンピオンになることを念頭においてトレーニングしてきた」
──実際に試合にでるようになったのは?
「15歳の時にアマチュアMMAの試合で戦った。16歳になる1カ月前だったよ。学校の友達がたくさん応援に来てくれて、凄く驚いていたのを覚えているよ。あの頃は、高校生がMMAを戦うなんてなかったからね。試合のチャンスもそれほど巡ってくるものじゃなかったし。対戦相手は常に年上だった。でも、戦うことは他に比較できるモノがないくらい、僕に喜びを与えてくれたんだ。
家族や友人の和から離れて、戦いに向かう。『これが僕のやるべきこと。夢を叶えるぞ』って思った。そして、一つの試合に勝てば、次の試合に向けて練習する。男として、常に前に進みたいと思っていた。練習自体も大人に混じって続けていたしね」
──プロMMAデビューは17歳と9カ月の時。この時はどのような感情が胸に去来したのかな。
「気持ち良かったよ。対戦相手は筋肉隆々だったから、ちょっと怖かったけど(笑)。でも、絶対に負けるかって。自分に誇りを持って戦おうと思った。やっぱり初めてのプロの試合に出た時のことは忘れられないよ。物凄く家族に助けてもらっていたし、僕一人の戦いではなく、家族一緒に戦っていたという思いは今の持っているよ」
──その後、キャリア5連勝を飾ったけど、2011年10月にホドリゴ・カルバーリョにキャリア初の敗北を喫したね。
「あの試合は負けたとは思っていない。今でも腹立たしく思うよ。あれは謀略だよ。スコアをごまかされた。全く馬鹿げた判定で、今も僕の負けじゃないと思っている。でも、あの敗北を認めないと、前には進めなかった。だから、あらゆる感情を飲み込んで、次へ向かうことにしたんだ。もう、あの試合のことは気にしないよう努めている。負けは負けと思うようにして、ね」
<この項、続く>