この星の格闘技を追いかける

水垣偉弥、現役引退。「自信をもって今も言えることは、『本当にやって良かった!』ということです」

2020.06.03

【写真】個人的に一番の印象に残っているのは、やはり2014年9月のドミニク・クルーズ戦の敗北と、その夜にかわした会話──と涙か。そのドミニク、ユライア・フェイバー、コディ・ガーブラント、ハニ・ヤヒーラ、ミゲール・トーレス、ルスタン・ケリモフ、これだけの世界の強豪と戦ったバンタム級選手は水垣だけだ(C)MMAPLANET

過日、水垣偉弥から3日(水)になったら現役引退を──MMAPLANETを通して、ファンに知らせてほしいという連絡があった。

2004年、全日本アマチュア修斗フェザー級(※現バンタム級)優勝。翌2005年2月にプロ修斗でデビューし、同年の新人王を獲得する。2007年にCage Forceに参戦するようになり、北米を目指すとトーナメントを勝ち抜き、初代ケージフォース・バンタム級王座に就きWECと契約。2009年4月にWEC世界バンタム級王者ミゲール・トーレスに挑戦し、北米メジャーでの戦いを始める。

当時の軽量級の最高峰であり、その後のUFC時代と比較しても限られた席についたWECファイターたちのレベルは一様に高く、水垣はWECでの戦いを2勝3敗で乗り切ると、2011年からWECを吸収したUFCで戦うようになる。最初の4試合は2勝2敗とWEC時代から続く、敗北&勝利を繰りかえしたのち、2012年11月から2014年5月にかけてオクタゴン5連勝を達成し、9月にはドミニク・クルーズとの対戦を実現させる。

このクルーズとの戦いから1勝4敗と星を落としリリースとなった水垣だが、WECと合わせて世界トップのステージで岡見勇信の14勝7敗に次ぐ、10勝9敗というレコードを残している。

その後もUFC復帰を目指し、最恐ロシアのACBと契約。さらにシンガポールを拠点としながら中国ベースのREBEL FCを戦場に選択も、大会が延期続きで1度も試合をすることなくフリーとなり、DEEPからRIZINへ。キャリアの一発逆転、打倒・堀内堀口恭司→UFC再契約という賭けに出るも、昨年8月にマネル・ケイプに敗れ──この試合が現役生活最後の雄姿となった。

ライト級以下の大舞台が国内になかった時代に、世界のトップと20戦近く戦い、あくまでもオクタゴンが目標だった日本MMA界のエースは、通算成績23勝14敗2分─という勲章を胸に静かに現役生活を終えることとなった。

以下、水垣からのMMAファンへのメッセージだ。

水垣偉弥
「この度、選手生活を引退することにしました。

去年の8月の敗戦で、もう一度UFCで世界の頂点を目指すという事が自分の中で現実的ではなくなりました。

世界一になるという目標を諦めた途端に、一気に試合に臨む気持ちが創れなくなりました。

もちろんMMAが好きという気持ちは変わりません!!

ただ自分が選手として1番を目指すということは出来なくなりました。

2005年にデビューしてから、15年間沢山の人に応援して頂き支えられてきました。

本当にありがとうございます。

自分が目指した事は何一つ達成出来ませんでした。

悔しい記憶ばかり蘇ります。

ただ自信をもって今も言えることは、「本当にやって良かった!」ということです。

最高の格闘家人生でした。

今は、今年の1月から格闘技やトレーニングを教える仕事をしています。

全く格闘技をやったことのない方達に格闘技を楽しんでもらっています。

これからもMMAと関わり続けていきたいです。15年間ありがとうございました!!」


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