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【Interview】ジェフ・カーラン(03) 「柔術やノーギで戦い続けたい」

Jeff Curran

【写真】マーシャルアーツの本質が失われつつあるというジェフ・カーラン。MMAを勝つという部分でとは違う意味で、マーシャルアーツ・スクールの役割は大きいのかもしれない(C)MMAPLANET

第1回UFCが開催されてから来月で20年、1997年から16年に渡りMMAを戦ってきたジェフ・カーランが現役から退いた。

米国軽量級のパイオニアのインタビュー最終回。13人の金曜日の舞台として知られるクリスタルレイクで、MMAジムを営むジェフの根底には、マーシャルアーツとしてのMMAが存在し続けている。

<ジェフ・カーラン インタビュー、Part.01はコチラから>
<ジェフ・カーラン インタビュー、Part.02はコチラから>

※ここで紹介したジェフ・カーランが指導するチーム・カーランMMAや、UFC世界ライト級王者アンソニー・ペティスの所属するルーファススポートの模様が「Fight&Life 格闘紀行=米国中西部編」として掲載されているFight&Life Vol.39は現在、全国の書店で絶賛発売中です。

──あくまでも身を守る術を先に教えるということですね。

「カレッジレスラーで、柔術で青帯ぐらいの技術があれば、デビュー戦やそこそこの相手なら自力で勝つことができるだろう。でも、そうなるとディフェンスを学ぼうという気持ちを持たなくなってしまう。いつも攻めるための練習をするようになるんだ。そうならないよう、しっかりと防御を指導している。自分の好きなことだけを練習しようとするのは、僕のやり方じゃない。しっかりと防御を身につけること、それは学ぼうという姿勢を植え付けることにもなるんだ」

──なるほど、好きな練習ばかりをしがちになる傾向は、多いと思います。

「攻撃よりも、先にディフェンスを身に付ける必要がある。攻撃面に秀でたファイターもいる。そして5連勝、10連勝、15連勝するかもしれない。そんなファイターが一度敗北を喫し、それ以降、勝ち星から見放されると、ファイトスタイルを全面から見直さなければならなくなる。もちろん、WECやUFCレベルの話じゃないよ。世界のトップで戦う時は、コンサバティブになることもある。でも、僕の場合は常に下からスイープやサブミッションを狙っていた。

最後まで、僕の信じるマーシャルアーツを代表して戦い続けてきたつもりだ。勝ったり負けたりがあるのがファイトだけども、そのことについては自らを誇りに思っている。ただ、スタンドに戻ろうという戦いをしていたんじゃない。ジャッジと戦っているわけでもない。ジャッジに勝敗を託したくなかった。

多くのマーシャルアーツは、そのルーツを失ってしまう。柔術はその最たるものだろう。MMAでのなかでは、オリジナリティもなくしてしまうマーシャルアーツも少なくない。それこそ、MMAがメインストリームにあるという証なのかもしれないけどね。現に僕は4つの階級で、ガードポジションを取って戦ってきた。極めることもできたし、スイープもできた。と同時にトップを取っても、ただ守っているだけの相手もいた。そして、インサイドガードのなかでお祈りのポーズをとっているだけのファイターを、ジャッジは勝者にしてしまう」

──そのMMA原義に即して考えると、水垣偉弥選手との戦いもジェフは負けてないということになりますね。下からコントロールしている場面が印象に残っています。

Curran vs Mizugaki【写真】2009年8月に行われた水垣戦。ジェフはスプリット判定で敗れたが、終盤に三角絞めを極めかけるなど、らしい戦いを通した(C)GONGKAKUTOGI

「明白に、ね。あの敗戦も含め、WECから通算して4敗目でUFCから切られた。あのカットで、僕の人生は変わった。MMAルールを有効に使うファイターが、判定勝ちできる。だから、ミズガキとの試合は苦い思い出だよ。もちろん、彼のせいじゃないよ。あの試合から、僕らは友人になったんだしね。最後の試合になったペドロ・ムニョス戦でも、凄くスリッピーで打撃戦なんてしっかりできないから、ガードからキムラ、三角を狙った。彼はパンチを落すこともほとんどなかった。修斗なら、僕の勝ちだ。僕は修斗ルールに適しているファイターなんだと思う」

──ここで修斗の名がでることが、ジェフらしいです。

「僕はハワイやインディアナで修斗ルールで戦っている。日本で戦ったのはPRIDEとZSTだったけど、日本で戦うことは僕にとって、UFCで戦うこと以上に大きな目標だった。だから、日本で試合が出来た時は本当に嬉しかった。モンテに『日本でキャリアを積みあげたい』って伝えたこともある。ただ、モンテは日本だけでなく米国でも戦うように僕を導いた。ルミナ・サトーと戦うというチャンスもあったけど、大金を得るということではなくて、指導の方が稼げるという状態では試合はできなかったんだ。

Curran vs Kid Yamamoto【写真】2003年5月にハワイのスーパーブロウルで行われた修斗公式戦で山本KID徳郁と戦ったジェフ。この他、インディアナのフックンシュートやIHCで修斗ルールの試合に出場したが、日本でプロ修斗の大会で戦うことはなかった(C)MMAPLANET

旅をする必要がなくて、こっちの方がファイトマネーが貰えるなら、やはり米国で戦うことを選ぶ。僕は修斗ルールが好きだったし、もっと修斗で戦いたかった。PRIDEとサインして、ハツ・ヒオキと戦った。そして、UFCがPRIDEをパーチャスして、WECで戦うようになった。もっと日本で戦いたかった。だから、今もOFCで戦って日本大会の実現を待つという選択肢もあることはあるんだ。でも、どれだけ待てばよいか分からないし、あんまり良い判断とはいえないだろう?」

――……。

「アジアにも良いオーガナイゼーションが増えてきた。でも、日本が特別だ。ルールもプロモーションも、ファンも最高だった。MMAに関して知識があり、ファイターを尊敬してくれた」

──日本のファンはファイターに対して、同列でなく自分たちではできないことにトライしている人だという尊敬の念を持っていることは確かだと思います。

「静かな会場で、何か試合が進捗すると拍手が起こる。コーチの声もよく聞こえる。本当に戦いやすかった。PRIDEがなくなってからも、DREAMで戦いと思っていたけど、ちゃんと支払がなかったということで躊躇するようになった。まさか、日本のMMA人気が下がってしまうとは思いもしなかった。悲しいことだよ。ダナ・ホワイトが本気になって、TUFを日本でやり、フィーダーショーに金をつぎ込みニュータレントを育てるだけの情熱を持っていれば、日本のMMA人気も復活するだろうけどね……」

──そこにUFCジムやアマチュアのケージファイトがあれば、光明が差しこむのではないかと思います。ただ、日本よりも中国の方がマーケットとして巨大なのと、日本の状況を鑑みるとあまり期待できないですが。

「う~ん、あまり中国で戦いたいっていう気持ちには僕はならないな。北京で開催されるADCCに招待されたけど、辞退したしね」

──そんな日本への思い入れるも強いジェフですが、16年のMMAキャリアを振り返り、ベストメモリーは何になりますか。

「難しい質問だ(笑)。う~ん、XFOの第1回大会でダン・スウィフトに勝った時かな……。ちょっと負けが込んでいた時期だから。マット・セラ、KIDヤマモトに負け、ボクシングで2連敗、グラップリングでも2連敗していて、2年も勝ち星から遠ざかっていた。なんだか負け犬のような気持ちになってしまって。そんなはずじゃないって、自分では思っていたから、どうしても勝利が欲しかった。スウィフト戦に勝って、またトップに戻ることができた。忘れられない試合だよ」

──ではこれからの目標は?

「現役として、柔術でゴールドメダルを取りたい。まずはローカル大会から、そこからワールドのアダルトでメダルを取りたいね。ノーギでもそうだ。パンナムもアダルトにまずは出てみる。そこに自分の居場所がなければ、マスターやシニアに出ることになるだろう。心身ともにグッドシェイプをキープするために、柔術やノーギの試合に出続けたい。出来る限り長い間、トーナメントに出場し続けたい。

ジムではクラスのクォリティをあげ、自ら戦って投資してきた分を回収したい。そして、従兄弟のパットのようなスター選手をどんどん育てたいと思っている」

――MMAファイターとして現役を退いたジェフですが、今後の活躍も期待しています。今日はありがとうございました。

「こちらこそ、わざわざクリスタルレイクまで足を運んでくれてありがとう」

<Bio>
Jeff Curran
1977年9月2日、イリノイ州クリスタルレイク出身。
プロ修斗アメリカス・ライト級、APEXフェザー級王座を獲得。
ヒクソン・グレイシー系ペドロ・サワーの黒帯。
MMA戦績34勝16敗1分

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