【JBJJF】『荒拓祭り』=フルフォース杯主催、荒木拓也氏に訊くフルフォースカップと柔術の楽しみ方
【写真】荒木拓也フルフォース・プロダクション代表とサポート柔術家たち。左から添田航平、甲斐真由実、伊東元喜、荒木氏を挟んで関根秀樹、白石勝紀。現在はこのメンバーに佐々木美佳が加わり、サポート選手6名となっている(C)YUSUKE OZAWA
来年1月27日(日)、大阪府・豊中市立武道館ひびきで日本ブラジリアン柔術連盟(JBJJF)共催の『FULLFORCE CUP JIU-JITSU OPEN 02』が開催される。
2回目を迎えた今大会は、前回と同様に関根“シュレック”秀樹、伊東元喜、白石勝紀などフルフォースがサポートする選手6名を中心に黒帯のトップランナーが集結する。主催者は映像&デザイン制作会社フルフォース・プロダクションの荒木拓也代表。スター選手を続々とエントリーさせる仕掛け人の素顔に迫る。
Text by Takao Matsui
――フルフォースカップは2回目の大会が開催されます。今大会も、強豪選手が揃っていますね。
「みなさん年末年始で忙しい中、よくエントリーしてくれました。とても光栄です」
――荒木代表は柔術青帯ということですが、どのような経緯でブラジリアン柔術を始められたのでしょうか。
「話すと長くなりますが、97年前後に中井祐樹先生、平直行先生、エンセン井上先生たちが関西で初めてブラジリアン柔術のセミナーを開催したんです。そのセミナーに生徒として参加させていただいたのが始まりです」
――97年は、いわゆる格闘技ブームの真っ只中でしたね。
「そうなんです。ちょうど正道会館がキックボクシングに挑戦してK-1ができて、前田日明さんのRINGSも人気がありました。高校の時に空手を習っていたんですけど、本当は正道会館の道場に通いたかったのですが僕が住んでいた奈良県にはなかったんです。だからサークルのような形で仲間と空手をやっていました。そして、正道会館の新人戦に出場していました」
――そこからの流れで柔術ですか。
「柔術というか、いわゆる総合格闘技ですね。豊中の武道館ひびきで、総合系の選手が集まって合同練習会をやっていたんです。自宅から片道2時間半かけて、週2回、通っていました。それこそ三島☆ド根性ノ助さんのコブラ会やレッドスレイヤー・ガイ選手なども参加していました」
――レッドスレイヤー・ガイ!! 懐かしい名前が出ましたね。コスプレ入場の先駆けじゃないですか。古くは、力王というキックボクサーが本当の先駆けでもありますが……。
「(無視して)その合同練習会に参加して、あとは自主トレをやって柔術のワンマッチやアマ修斗の大会に出場していました。『格闘技通信』の読者ページで練習仲間を募集したんですけど、まったく反応がなかったです(笑)」
――それは、どうもすみません(汗※インタビュアーの松井孝夫氏は当時の格通編集部員)。それで、柔術にはどのように辿り着いたのでしょうか。
「19歳からそんな状況を続けていたんですが、25歳で区切りをつけることにしました。練習環境が整わなかったこともありましたが、選手としては4流で結果を出せませんでしたので。
プロの夢は諦めましたが、ちょうど大阪で一人暮らしをすることになってパラエストラ大阪に所属することになりました。2006年だったと思いますが、立ち上げ当初からのメンバーです。現在はパラエストラ東大阪所属です」
――今は映像会社の代表の立場ですが、当時から映像の仕事を。
「いえ、まったく映像には関わっていませんでした。20代はずっと定職を持ちませんでした。いわゆるフリーターです。高校を卒業した後、3年間、会社勤めはしましたが土日が休めない仕事だったので、試合に出るために退社しました。その後は、ずっとフリーターだったんです」
――何かビジョンは持っていた?
「何もありません(苦笑)。25歳の時に格闘技で食べていくことに見切りをつけておきながら、選手として成功したい思いがまだどこかにあったのかもしれません。パラエストラ大阪がパラエストラの主催大会等にスタッフとして関わっていたこともあり、裏方でお手伝いをしていました。
その時にビデオカメラで撮った選手の試合映像を編集して、DVDにまとめていたんです。もちろん趣味でやっていたので、選手にDVDを配って喜ばれました。そうしたことが当時、大会を仕切っていた若林太郎さんの目に留まり、仕事としてやらないかと声を掛けていただいたんです。そして、全日本アマ修斗大会のDVD制作の仕事をやらせていただきました」
――若林さん!!
「ハイ。若林さんです。それで『柔術魂』のDVD制作の依頼が来るようになって。次第にそれがメインの仕事になっていきました。当時は、結婚式や会社PRの映像など様々な仕事をしていましたが、今はほぼ格闘技の映像制作のみですね。会社を設立して10年なりますが、競合相手が少ないことが良い方向へ転がっているようです」
――選手へのサービスが、仕事になる。商売の基本原則を見た気がします。大会を開催するようになったのも、そうした気持ちからですか。
「雑談の中で、JBJJFの浜島事務局長からお話をいただきました。映像会社の人間なので最初はあまり乗る気はしなかったのですが、大会が増えることは単純に柔術界にとって良いことですし、主催者の色が大会の特色になると思いますので、そこは興味がありました」
――フルフォースカップは、どのような色が持っている柔術大会でしょうか。
「大会の運営やシステム自体はJBJJFの仕切りになりますので、あまり変わらないと思いますが、出場選手のキャラクターが前面に出る大会にしたいです。現在、6名をフルフォースがサポートしていますが、彼らはそれぞれ個性の強い選手ばかりです」
――リーダー格のシュレック選手は、たしかにキャラクターが立ちまくっています。
「他の5名も同様です。僕の中では、勝手に自分の名前を略して『荒拓祭り』と呼んでいるんです。自分が見たい選手が揃っているので、リストを眺めるだけでクラクラと眩暈がするほど楽しみにしています。
勝敗を超えた戦いが見られることになるでしょう。ご存知かどうかは知りませんが、ゲームで言えば、『大乱闘スマッシュブラザーズ』の世界です。スマブラの柔術版なんです!!」
――柔術のスマブラ!!
「はい、柔術のオールスター戦です。今回は場所の都合でアダルトのカテゴリーのみになりましたので、マスターに出ているレジェンドもエントリーしてくれています。もはや関西版の全日本選手権ですね」
――熱いですね。今後の展望も教えてください。
「フルフォースは『全力』という意味がありますが、勝敗を超えた温かい戦い、空気感を高めて行きたいと思っています。自分自身では現在、青帯ですが紫帯くらいは巻きたいですね。でも最近、気づいたんですけど柔術の仕事が楽し過ぎて、自分がやるのはいいかなと思うようになってきました」
――普通は、柔術があるから仕事は苦じゃないと思う柔術家が多いですよね。
「僕の場合は、趣味が仕事になってしまったので、逆の現象が起こっています。たまに選手の試合を見ていて向こう側に行きたくなる瞬間もありますが、柔術をやるよりも楽しいのが、今の柔術の仕事なんですよね(笑)」