【All Japan JJC】茶帯F級に怜音、LF級に飛龍の丹羽兄弟が参戦「気持ちを仕上げていければ絶対勝てる」
【写真】2000年5月生まれ、大学1年生の兄・怜音(れおん/左)と、2001年7月生まれ、高校3年生の弟・飛龍(ひりゅう/右)。イヤゴ&チアゴのウエノ兄弟と共に、国内軽量級を牽引する兄弟柔術家へと成長している。(C)SATOSIH NARITA
4日(日)、東京都文京区の文京区総合体育館にて開催されるJBJJF主催の全日本ブラジリアン柔術選手権。
エントリー締切直前に、日本柔術界の次世代を担う2 人の選手が加わった。兄・怜音、弟・飛龍の丹羽兄弟は、父・良次氏(AXIS横浜インストラクター)の影響で小学生から柔術を始め、国際大会にも早くから参戦、ワールドプロやヒクソン杯等で好成績を残してきている。
特に飛龍は今年のIBJJFパン選手権で決勝以外の全試合を一本勝ちで優勝。ムンジアルでも紫帯ルースター級3位入賞と、イヤゴ・ウエノの同階級準優勝に次ぐ好成績を挙げ、怜音もムンジアル入賞こそならなかったが、2017年、18年のアジア選手権では表彰台、4月のワールドプロも4位に食い込む等アダルトカテゴリーで存在感を見せている。
共に昨年の全日本王者であり、茶帯に昇格したばかりの2人の全日本参戦で、強豪ひしめく茶帯トーナメントがより熱くなることは間違いない。所属先のAXIS横浜で、柔術との出会いから全日本に賭ける想いまで語ってもらった。
──そもそも、柔術の練習は2人同時に始めたのでしょうか。
怜音 ハイ、“ほぼ一緒”です。
飛龍 父がここ(AXIS横浜)で練習していて、まず僕を連れて来てくれたんです。そして、子ども用の道着をパウロ(ジョン・パウロ倉岡)先生からいただいて練習したのが初めてです。
怜音 飛龍が7歳、僕が8歳の時ですね。僕はその翌日から始めたんですけど、たまたまその日がレオジーニョのセミナーで(笑)。内容は全然分かりませんでしたが、セミナーが終わった後、レオジーニョが一緒に遊んでくれたことを覚えています。
──当時はどのような練習をしていたのですか。
飛龍 子どもは僕らだけで、キッズクラスもまだなかったので、大人のクラスに交ざって、スパーリングの時は護身術を習っていました。で、たまにスパーに参加して。
怜音 パウロ先生とカルロス(ジョン・カルロス倉岡)先生から交互で教えてもらっていました。柔術を習っている子どもは周りにいなかったけれど、楽しかったですね。やっぱり兄弟で始められたのが大きいと思います。
──試合には出ていたのですか。
怜音 小さい頃からずっと出ていますね。JJFJやDUMAUの大会に、ひと月に1回くらいのペースで出場して。
飛龍 デビュー戦は確かコパ・アクシスで、僕も怜音もキッズ時代はほとんど負けていないです。僕はデビュー戦でAXIS本部の女の子に負けてしまって、その後はハッキネン・シウバに無差別で、ヒクソンカップでAOJの選手、小学6年生の時に出たワールドプロ(2013年)の決勝で、鶴谷浩さんの次男の怜君に負けたくらいだと思います。
怜音 その時は2人ともオレンジ帯で、僕が優勝して飛龍が準優勝、翌年は2人とも優勝できました。
──早い段階から国際大会にも参戦する中、どのような気持ちで試合に臨んでいたのでしょうか。
飛龍 う〜ん、僕は嫌いでした(苦笑)。プライドが高かったというか、負けるのがホントにイヤで、試合が近付くと気持ち悪くなって会場の隅で寝ていたり……。外国人ってすごく強そうに見えるじゃないですか。それも恐かったし(笑)。中学生くらいになると、そこまで酷くならなくなりましたけど。
怜音 僕も緊張はしましたけど、試合は好きでしたね。楽しかったし、勝ったら余計に嬉しいって感じで。
──ちなみに柔術以外に柔道やレスリング、その他の習い事はされていましたか。
怜音 習い事は、柔術を始める前に水泳とか英会話教室に通っていたくらいです。柔道は中学生の時に4カ月だけやりました。同門の(森)さくらが通っていた朝飛道場に連れて行ってもらって、朝飛姉妹とも練習して。受験が始まるタイミングで辞めてしまったんですが。
飛龍 立ち技ができなくて始めたんですけど、朝飛道場なので強豪選手がたくさんいるんですよね。で、僕らが一番小さかったので遊ばれてしまって……。
怜音 中学生だけど小学生と良い勝負みたいな(苦笑)。
──さすが名門道場ですね。“コンペティター”としての目標は、キッズの頃から持っていましたか。例えば「ムンジアルのチャンピオンになる!」というような。
怜音 ハイ。
飛龍 パウロ先生やカルロス先生がムンジアルで戦っていたので、自然と意識していたと思います。大人に交じって練習していたので、習い事感覚でクラス中にふざけることもなかったし。
──大会はもちろん、海外の出稽古にも積極的に行っている印象があります。
怜音 大会は小さい時から行っていましたが、出稽古は2年前にアメリカに行ったのが初めてです。その時は僕一人で行って、向こうに住んでいる方にお世話になりながら、夏休みの1カ月間、グレイシー・アカデミーやクロン先生の道場、AOJで練習しました。
グレイシー・アカデミーの護身術にも、AOJで同世代の選手がたくさんいたことにも、すごく刺激を受けました。道場の運営の仕方じゃないですけど、柔術以外にも学べるところがたくさんありましたし。
飛龍 その次の年に、僕も怜音と一緒に初めてアメリカに行って。正直、世界のレベルも分からなかったので初めは緊張しました。でも、そんなに離れているとは思わなかったです。AOJではパンナムで準優勝したブラッド(・ジョンストン)ともスパーしたんですけど、意外と戦えるんじゃないかと思えたし。1カ月後、日本に戻ってきたら、周りの人から強くなったと言ってもらえて。
──どのような変化があったのでしょう。
飛龍 向こうでは毎回、「負けたくない」という気持ちが強いスパーリングだったんです。僕はコパ・ブルテリアで来日したザック(・カイナ)と一番練習して、多い時は1日5回くらいスパーしてたんですけど、いつも精神的にキツい戦いだったから、気持ち的にも技術的にも向上できたんじゃないかと。
怜音 日本ではいつも、学校が終わって夕方から練習するんですけど、AOJでは朝から夜まで練習できて、同世代の強い選手ともスパーできました。スパーとはいえ気持ち的には試合という感じで臨まないと倒されてしまうので。それが成長に繋がったんだと思います。
──現在はどのような形で練習に取り組んでいるのですか。
怜音 今は夏休みですけど、学校がある時は、キッズクラスがある日は夕方から指導に入って、18時30分から22時くらいまで練習という感じです。
飛龍 キッズクラスがない日も道場に早く来て、二人で自主練しています。あとは週1回、本部のコンペティションクラスに参加しています。同じ体重の選手が集まるし、もちろん(佐野)貴文君ともスパーリングして。
──兄弟だと、家に帰ってからもテクニックの復習をすることはあるのでしょうか。
怜音 いや、さすがにないです(笑)。柔術の話をすることはありますけど。
飛龍 FloGrapplingを見ながら黒帯のトップ選手の研究をしたり。
怜音 あと、AOJオンラインは見ています。
飛龍 最近はインスタに色んなテクニックがアップされているので、それを見て試してみることもあります。
——フィジカルのトレーニングは?
怜音 高校生になってから始めました。ちょっと遅かったかなと思うんですけど、高校1年生でルースターだったのが、今はフェザーまで増えたので。食事にも気をつけて、タンパク質を多く摂るようにして。
飛龍 それまではプロテインも飲んだことがないくらいだったんですけど、筋トレとプロテインで一気に増えました。本部にいたトレーナーの方にアドバイスしてもらったり、ジムに通ったこともあります。今は2人で試行錯誤しながら、ですね。
──さて、2人は今年のムンジアル後に揃って茶帯に昇格し、茶帯デビュー戦が先週末のアブダビ・グランドスラム東京でした。怜音選手は初戦がシードで2回戦でホベルチ・オダ選手と対戦し、0-5で敗退。飛龍選手は2回戦で井手智朗選手に0-2で破れました。まだ1大会だけではあるものの、紫帯との違いは感じましたか。
怜音 やっぱり、一つミスをしてしまうとそこを突かれてしまうというか、紫帯まではリカバーできたようなことでも命取りになると感じました。ホベルチ選手とは初めて戦ったんですが、そのミスを攻められてしまって……。凄く上手い選手でした。
——飛龍選手は?
飛龍 う〜ん、井手選手との試合は、バックも取りかけたしパスもしかけたんですけど、怜音と同じように小さなミスで負けてしまったのと。あと、今年はパンナムを獲れたので日本じゃ負けられないという気持ちがあって、それで焦ってしまったのが……。
──パン選手権優勝、ムンジアル3位がプレッシャーになってしまった、と。
飛龍 あと、1回戦がモスクワ大会で優勝したモンゴルの選手で、パワーが凄かったんです。そこも足りないと感じました。ムンジアルでもそうだったんですが、トーナメントの早い段階でそうした選手と当たると体力が削られてしまうので、試合数が多くても戦い抜けるフィジカルが必要だと思いました。
──週末に控える全日本は昨年、共に青帯で優勝し、連覇が懸かっています。まだブラケットは発表されていませんが、エントリーリストを見た印象は?
怜音 僕の階級(フェザー級)にはCARPE DIEMの選手が4人いて、貴文君と決勝をクローズアウトすることを考えると、カルペの選手と2回対戦することになるので……。
──今、さらっと話されましたが、やはりクローズアウトを狙っていますか。
怜音 ハイ。ホベルチ選手にはアブダビで負けていますから、もう一回やりたいですし。大柳(敬人)選手とは昨年のLASCON GAMESで戦っているんですけど、その時は腰を怪我していて全然動けないまま、延長(サドンデス)で負けているので、リベンジしたいです。
──飛龍選手はどうですか。ライトフェザー級には8人の選手がエントリーしています。
飛龍 タフなメンバーだと思います。(石黒)翔也君は日本のトップ選手だし、井手選手もいますし。ただ、テクニックどうこうよりも、気持ちを仕上げていければ絶対勝てると思っています。
実は、翔也君は小さい頃から知っていて、ワールドプロも一緒に行っているんです。その時からずっと試合をしたいと思っていて、一昨年に開催された帯色が関係ないトーナメント(JJFJ全日本体重別柔術選手権大会)の決勝で初めて対戦したんですが、あとちょっとのところで負けてしまっているので。
——兄弟揃ってリベンジを果たし、連覇を狙うと(※取材後ブラケットが発表され、怜音は初戦でホベルチ・オダ、飛龍は両者が順調に勝ち上がれば石黒翔也と決勝で対戦することが明らかになった)。では柔術家としての目標も伺えますか。
怜音 近い目標はムンジアル茶帯で優勝することです。そして、いずれは自分たちの道場を開きたいと思っているので、そのためにも黒帯でムンジアルを獲りたいです。ヒーロンとヘナー、メンデス兄弟みたいに、僕らも一緒に道場を出せたら良いなって。
飛龍 僕も似たような感じですけど、今年初めてムンジアルに挑戦して、2人とも優勝した選手に負けたんですね。足りないところはたくさんあったと思うので、来年は茶帯ですし、優勝を目標にして練習していきたいです。先生や周りの選手を見ていて、厳しい世界だとは分かっているつもりですが、だからこそ周りの人のためにも自分たちのためにも世界チャンピオンになりたい。
カルロス先生がガロ・カルナバルでブルーノ(・マルファシーニ)に負けていて、茶帯時代にも負けているので、そのブルーノにも勝ちたいです。
——おぉ! それは急がなければいけませんね。
飛龍 ハイ、昨年引退と言った時は焦りました(笑)。それで日本人初の兄弟で黒帯チャンピオンになることが目標です。