【Interview】あの敗北とその後──加古拓渡<01>「『やっつけたろう』という気持ちが強すぎた」
【写真】2017年GSB練習初日、9時半からの初稽古前に取材を行った(C)MMAPLANET
ムンジアルで初めてベスト8に入るなど、着実に成長の跡を見せていた加古拓渡。日本の柔術界ライトフェザー級のトップが、9月のアジア選手権で茶帯から昇格したばかりの嶋田裕太に大敗を喫した。
ストイックな姿勢で日本の柔術をリードしてきた加古が、日本人相手には見せたことのなかった姿を見せ、今後の現役生活を危ぶむ声すら聞かれたほどだ。
あの敗戦から3カ月半、今年もムンジアルへの出場権を獲得し、6月へ2017年の第一歩を踏み出した加古に──あの日の敗北とその後、これからを尋ねた。
──加古選手にはどうしても、9月のアジア選手権における嶋田裕太選手との試合のことを尋ねておかなければならないと思っていました。あの20-0の敗北、柔術人生に影響を与えるモノではなかったのかと。
「試合中はそんなことは考えていなかったのですが、映像で確かめてみると動きは悪かったですね。それには色々な要因があって、後付けの理由になってしまうのですが、周りからも言われたのは減量が厳しいということですね。
自分ではそんなつもりはなかったのですが、コンディションが悪くて、動きが悪かったと多くの人に言われたので、そうなのかなぁっていう気もするし。そういう視点で見ると、あの試合の動きは完全に悪いですね。
それと変に気合を入れ過ぎて……。嶋田君に対しても、アジア選手権に関しても。MMAPLANETの嶋田君の事前インタビューを読んで、『何だ、この野郎』っていう気持ちには正直なりました。
『やっつけてやろう』という気持ちで戦いました。いつもそうなのですが、特にそういう気持ちが強かった結果……序盤とかも『絶対に極めてやろう』と仕掛けて、動きが荒くなってしまっていましたね」
──インタビューが影響してしまっていたなら、申し訳ないです……。
「いえ、それは大会を盛り上げようとしてくれているわけですし。嶋田君に関しても意識はしていましたし。試合で当たるのも初めてで、あの大会の1年半ぐらい前に何度か練習したことがあって、その時の印象で行ってしまった。
練習は練習なのに、過小評価してしまっていた感は若干あります。あの練習をした時から1年少し、彼は伸び盛りなのに見誤っていました」
──嶋田選手自身が、加古選手の力はあんなもんじゃないと言っていました。
「う~ん、あの事前のインタビューでも『練習はやったことはあるけど、練習は練習なんで』というようなことを言っていて、その練習では結構、自分ではやっつけていた感があって……。『まだ大丈夫だ』、『まだ負けねぇぞ』という気持ちで戦ってしまいましたね」
──なるほどぉ。
「もっと慎重にというと何ですけど、変に感情が入ってしまいました。技術的な部分でいえばハーフガードで結構パスされて。あの形はかなり自信があって、ワキを差させても、入らせてもカウンターで取れるという過信がありました。
後から試合を見直すと、いくらなんでも簡単に入らせ過ぎています。全然、ブロックもせずカウンターばかり狙っていました」
──加古選手は本来、簡単に相手を懐に入れるような選手ではなくて、慎重に戦うタイプなのに。
「ハイ。その通りです。『やっつけたろう』っていう気持ちが強すぎました。それは嶋田君だけでなく、アジア選手権に対して。そしてあの試合が初戦だったので、気持ちが逸ってしまっていました」
──ポイントを重ねられている最中はどのような心境だったのですか。
「最初にパスされた時に『アレ? パスされちゃったな。拙いな』と感じつつ、まだ大丈夫だという気持ちでした。でも、さすがに10点以上差をつけられると、もうパニックでしたね(苦笑)。
試合を諦めるとか、そういう感情ではないんです。ただパニクってしまって。そして、余計荒くなっていました。多分、コンディショグも良くないのに、それも自分で気付いていなくて……何ていうのか頭と体がリンクしていなかった。だから、自分が思ったように体は動かないし、反応もできていなかったです」
──では敗戦直後の気持ちは? もう会場では声を掛けられる雰囲気ではないし、現役を続けることはできるのか。マスターに転向するのではないかと……。
「それに近い心境には一瞬なりました。色々な感情が頭を巡りましたね。終わった直後は『ついに若手に抜かされる時が来たのか』って。そういう環境になくて、自分が上の人を越えていくという状況でずっと戦ってきたので。
国内で下の世代にやられるというのは、初めての経験でした。今まで追い抜かされたという感情を持ったことがなかったので──ついに来た。俺も歳食ったなって(苦笑)。
でも、次の日の夜には翌週の試合のエントリーをしていました。まだ気持ちの整理がついたというわけではなかったですけど。たまたま関西柔術選手権があって、締切が延長されていたのでエントリーしたんです。
あの敗北を払拭したかったんでしょうね。柔術新聞の岩井(洋一)さんや、自分の交通費を出してくれたりサポートしてくださる人と相談したら、『ぜひ、出ましょう。応援するんで』と言ってもらえて。ホント、整理はついていなかったのですが、頑張ろうっていう気持ちにさせてもらえました」