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【DEEP129】実話誌的(笑)平松翔の半生と雅駿介へのリベンジ戦「不器用なりに、そこで戦うしかない」

【写真】大晦日の福田龍彌×安藤達也戦については「絶対に福田さんに勝ってほしい。絶好調の福田選手に勝つ自信があるので。負けたらベルトを返上してほしい。でも、勝てると信じています」ということだった(C)MMAPLANET

14日(日)に東京都港区のニューピアホールで行われるDEEP129で、平松翔雅駿介と事実上バンタム級次期挑戦者決定戦と目される一戦を戦う。
Text by Manabu Takashima

2023年7月に戦い判定負けを喫している雅にリベンジを誓う平松が1年7カ月振りにMMAPLANETのインタビューに登場。KNUCKLESPLANETかと思うようなエピソードを過去形でしっかりと話した平松からは、MMAファイターとして直球勝負で生きる姿勢が伝わってきた。

その肝の据わり方は、驚くようなヤンチャ時代を経たからなのか。あるいは天性のモノなのか。そんな気持ちの強さを持つ平松は、世界で戦うチームメイトから受けた刺激を経てプロMMAファイターとして、見たい世界が変わってきていた。


『もう一発入るだろうな。このままやったら地元を離れないと変われんな』と思って

――前回のMMAPLANETのインタビューは急遽受けた元谷戦に特化して話を伺いました。今回は平松選手の格闘家人生から聞かせていただきたいと思います。大阪の藤井寺出身だそうですね。

「そうなんですよ」

――世代が違いますが、神戸出身の関西人として藤井寺のガラの悪さは我々の耳にも届くところでした。近鉄バファローズがまだ健在で、藤井寺球場を日生球場を本拠地にしていた頃の話ですが。

「まぁガラは悪いですね。もう31歳になったので、僕らはそういうことはないのですが……瀧澤(謙太)戦で勝って、地元で祝勝会とか開いてもらっていたら、藤井寺駅前とかで喧嘩している連中がいますしね(笑)」

――凄いですねぇ(笑)。メジャーリーガーのダルビッシュ有選手もあの辺りだったかと。

「隣ですね。羽曳野です。昔は藤井寺の方がヤンチャやったと思います。僕らの年代やとその大リーガーの方と弟さんがなかなかでしたね(笑)」

――といいつつ平松選手も年少に入っていたとか。そんなにヤンチャだったのですか。

「まぁ、ちょっとですね(笑)」

――そういう手の人は、皆が「ちょっと」と言いますからね(笑)。ヤンチャからMMAを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

「少年院に2回入って、出てきたときに『もう一発入るだろうな。このままやったら地元を離れないと変われんな』と思って。最初は京都ぐらいに行こうとしたら親から『京都に行っても何も変わらんやろ』と言われて」

――確かに。90分も北上すれば京都ですし。

「そうなんですよ(笑)。で、叔母が沖縄に住んでいたのでそこに行くことになりました。それが17歳の終わりごろですね」

――では高校に行っていたわけではなかったと。

「高校は中退していたので、なかで高卒認定を取りました」

――なかで(笑)。

「ハイ(笑)。資格とかも、なかで取ったので仕事も決まっていないけど取り敢えず沖縄に行ってしまえって。で住み込みでゲストハウスでバイトをしていました。そこに叔母の知り合いがきて、『格闘技、今からやりにいくけど、どう?』って誘われて暇やったからついて行ったんですよ」

――それが当時のパラエストラ沖縄だったとか?

「それやったら、ストーリーとしても最高なんですけど。地下格系のジムでした(笑)」

――アハハハハ。

「体育館で練習をする程度やったけど、僕は松根さんのことは認識していました。当時はアマチュア修斗もなかったので、パラエストラ沖縄の選手は地下格はでないけど、アマチュアとの間みたいなところの試合には出ていました。地下格みたいヤツもいるけど、ちゃんと練習している選手も出るというような大会で。

そこでないと試合経験が積めないので、パラエストラ沖縄の選手と僕みたいな半端者が一緒の会場にいましたね。だから松根さんのことは知っていたんです」

――そこからしっかりとMMAを始めようと思ったのは?

「格闘技以外、何もなかったです。ただプロになろうと思っていなかったので、当時流行っていたOUTSIDERでチャンピオンになるわっていうノリでしたね。20歳になって、成人式の際に沖縄を離れることにして、大阪に戻りました。

成人の日がだいたい1月10日ぐらいじゃないですか。その前にハッピーニューイヤー、元旦の日に藤井寺の道明寺天満宮に行って……」

――ハッピーニューイヤー……初詣ですね(苦笑)。

「ハイ、その1時間後ぐらいに集団リンチにあいました。20分ぐらい、ボコボコにされて。歯も折れて……」

――なんとも……。

「後輩が不意打ちで、なんかやられて。それで僕もビックリして殴ってしまったんですよ。いきなりやったから。それでばぁって始まって。でも、僕がやり返すと17歳の時と同じじゃないですか」

――ハイ。

「だからずっとガードをしていて。そこからは手を出さなかったです。そいつらも練習はしている奴らやったんで、『なら、ここやなくて試合しようや。それでエェやろ』って言いながら、ボコられていました」

――沖縄では、それだけ真面目に練習をするようになっていたのですか。

「もともとのチームはすぐに解散して。自主練をしていたら、松山っていう繁華街に僕が出ていた地下格闘技の代表が、ジムを創ってくれたんです。なかなか練習仲間もいなかったですけどザ・ブラックベルト・ジャパンで柔術の方で活躍されている宮城(貴志)さんだとか、DEEPに出ているBaggioさんがいたので、一緒に練習をしていました。それと砂辺(光久)さんのCROSS LINEにいる当真佳直が、地下格に出るヤンチャ仲間と一緒に練習にくることもありましたね。その程度した」

――でも、暴行を受けても耐えることができたと。

「ハイ。で、3日後ぐらいにそいつらの道場に行って……」

――お礼参りじゃないですか……。

「いや『スパーリングをしよう』って(笑)。あの時に一番殴ってきた90キロぐらいあるヤツとスパーをして、ボコボコにしてやりました。まぁ、あんな奴には負けない。沖縄での練習でも、それぐらいにはなっていましたね。

でも気分は晴れないというか。ボコボコにされたことが、悔しくて。そこでプロになろうって決めて、成人式が終わってから上京しました」

――大阪でプロになろうとは?

「大阪におったら、また同じことになると思って」

今もヤバいですけど、当時の木曜日のプロ練はマジでヤバかったです

――あぁ、なるほど。そして当時のパラエストラ千葉ネットワークに?

「最初は赤羽にあるGRABKAに入会しました。沖縄でトレーナーやっていた人の知り合いが、GRABAKAで指導をしているということで紹介してもらったので。ただGRABAKAのプロ練は大きな人しかいなくて。プロ練に出ることもなく、クラスにたまに出てサンドバッグを叩くとかしているうちに3年ぐらい経ってしまっていました。

OUTSIDERには出ていたのですが、『何しとんのやろう』って思って。プロ練に参加したいということをSNSにアップしました。そうしたらパラエストラ松戸所属で、OUTSIDERとかに出とった人……会ったことはないけどつながっていた人が『おいでよ』と言ってくれて。

で調べたら、タイミング外れていたかもしれないですけど、扇久保さんがTUFに出ているようなジムで。世界中のチャンピオンと戦っているのを知って、パラエストラ松戸に行きました。そうしたら扇久保さんが、ちょうど指導中で対応をしてくれて。で、そのまま入会しました」

――ようやくプロレベルで、本格的なトレーニングができるようになったと。

「今もヤバいですけど、当時の木曜日のプロ練はマジでヤバかったです。扇久保さん、内藤(のび太)さん、もちろん征矢(貴)もいてたし。もう、今は引退された人とか、色々なジムから選手が集まっていて。斎藤(裕)選手も出稽古できていましたね。

怜が中学を卒業するぐらいで、僕より下は全然いなくて。その前は知らないですけど、僕のなかで一番盛んな木曜日でした」

――自分が平松選手を認識したのは、一昨年4月のDEEP大阪大会でDEEPキック王者だった谷岡祐樹選手をKOした試合でした。谷岡選手軸で見ていると、打撃で勝った。そこで注目したのですが、次の試合で雅選手にテイクダウン&コントロールで判定負けに。

「あぁ今、思い出しただけでも腹が立ってきます」

僕は日本で日本人を代表して、海外の選手と戦いたい

――でもすぐに魚井フルスイング戦では、ギロチンで一本勝ちし、サブミッションもあるのかと。その次の試合がスクランブル出場の元谷選手との試合に。敗れはしましたが、一発当てた。結果論ですが、あの試合を受けてから上昇気流に乗ったかと。元谷戦に向けて、意識が違って来たということはなかったですか。

「意識はまぁ、変わらないですよね。誰とやってもぶっ倒すという気持ちでやっているんで。それは元谷さんだろうが、他の選手だろうが変わらないです。

ただ、何か名前を残せるような選手になれればと思っていた程度だったのですが、元谷戦を経て3連勝できた。今はDEEPだけでなくRIZINのベルトは当然獲りたいですし、外国人とやり合いたい。日本人を代表して、外国人選手とやりたいと思うようになりました。

でも、まだそれだけの力はないので、今回しっかりと勝ってベルトに近づきたいです」

――「今、思い出しただけでも腹が立ってきます」という発言があった雅選手との再戦です。

「当時と比較しても、雅選手が強くなっていることは分かります。ただ僕もあの時より断然強くなっているんで。それは自分自身が一番分かっているし、僕も仕事をしているなかでずっと朝、昼、晩と練習してきました。寝技でこられても、打撃できても……何できても勝負はできるし、その上で勝てると思っています」

――千葉と沖縄、チーム内に2人のUFCファイターがいることは刺激になっていますか。

「達郎君と怜がいることは、もちろん刺激になっています。ただ、以前は別の世界にいる選手という感覚でした。怜にしろ、達郎君にしろ。UFCで戦っていて、僕はそういう世界には行けない。こっちで戦っていくと」

――最近、ザ・ブラックベルト・ジャパンの若い選手たちは「勝って、世界に出る」という確信めいた感覚を持って戦っているように見えます。と同時にキャリアがある程度ある選手の中にも、佇まいが変わった選手がいます。その1人が平松選手でした。先ほど言われた「日本人を代表して、外国人選手とやりたい」という言葉の真意は、海外を目指すということでしょうか。

「いえ。僕は日本で日本人を代表して、海外の選手と戦いたいと思っています。そういう風になったのも達郎君と怜がいてくれたからです」

3R、キツい戦いをして最後は失神させたいです

――では福田龍彌選手の持つベルトに挑む権利を得るために、今回はどのような試合をしたいと考えていますか。

「気持ちは喧嘩スタイル。でも、そんなアホみたいな戦いをしても、勝っていけるような相手はここからはいないんで。自分が身につけてきた技術を使いながら、結局のところは気持ちでぶつかることになると思います。そこで上回りたいですね」

――MMA、格闘技は喧嘩と違う。自分のなかで喧嘩は誰でもできるけど、プロ格闘技は違うと思っています。日頃の鍛錬があってこそ、お客さんの前で戦える。それだけの努力をして、気持ちもある選手が戦う特別なこと。その一方で、ここで打ち合わずに引くのかと感じることもあります。本当に凄いことをしているのに、喧嘩ができないのかと。

「僕個人としては、やっぱりゴングが鳴ったと同時に殺しに行くぐらいの気持ちでないと生き残れない世界だと思っています。そうでないと、しんどい時に前に出られなくなる。それって気持ちが出てしまっているからで。やっぱりそこで『殺ったる』っていう気持ちがないと、弱い自分になってしまうと思います。

本当に強い人は冷静でサイボーグのように戦うことができる。正直、それが一番強いと思います。そうやって練習でやってきたことを試合で出せる人が。けど、僕は気持ちで戦わないと勝てない。技術力があって、それを試合で出せる選手は別に冷静に創っていけば良いと思います。

僕は練習でどれだけやっても、気持で戦わないと試合として成り立たない。そういうスタイルやからこそ、僕はこうやって感じるのかと思います。真面目に練習はしています。ここ数年、人生で一番頑張っているなと自信を持って言えます。だからといって扇久保さんのように、しっかりと技術で戦える選手ではないので。不器用なりに、そこで戦うしかない。それが僕の長所やと思っているんで」

――では、そこも踏まえて雅戦ではどのような試合をしたいと考えていますか。

「向うも色々とやってくるはずなので、綺麗に戦いたいと思います。でも、最後はぶん殴っているだけになる。まぁ1R で勝とうとも思っていないし。3R、キツい戦いをして最後は失神させたいです」

■DEEP129 視聴方法(予定)
12月14日(日)
午後4時35分~U-NEXT、サムライTV、DEEP/DEEP JEWELS YouTubeチャンネル メンバーシップ

■DEEP129 対戦カード

<DEEPフェザー級選手権試合/5分3R>
[王者] 青井人(日本)
[挑戦者] 水野新太(日本)

<フェザー級/5分3R>
高橋遼伍(日本)
相本宗輝(日本)

<フェザー級/5分3R>
武田光司(日本)
奥山貴大(日本)

<バンタム級/5分3R>
石司晃一(日本)
河村泰博(日本)

<バンタム級/5分3R>
雅駿介(日本)
平松翔(日本)

<メガトン級/5分3R>
水野竜也(日本)
稲田将(日本)

<フライ級/5分2R>
杉山廣平(日本)
橋本ユウタ(日本)

<フェザー級/5分2R>
高橋正親(日本)
杉野亜蓮(日本)

<フライ級/5分2R>
横内三旺(日本)
石原射(日本)

<ライト級/5分2R>
荒井銀二(日本)
平石光一(日本)

<アマチュア フライ級/3分2R>
琥(日本)
斎藤冬翔(日本)

<アマチュア メガトン級/3分2R>
TAKUMA(日本)
ハチミツ大魔王(日本)リロン・サントス(ブラジル)

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