【UFC ESPN36】平良達郎&松根良太に訊くUFC初勝利─02─「苦しい場面を想像してからケージに」(平良)
【写真】左足が平良を支えた功労者、ナオコ・シンガーさん (C)RYOTA MATSUNE
14日(土・現地時間)、ネヴァダ州ラスベガスのUFC APEXで開催されたUFC on ESPN36「Blachowicz vs Rakic」で、UFCデビュー戦で勝利した平良達郎と師匠=松根良太の対談、第2弾。
国内ではなかった思い通りに終わらせることができない試合展開にも、平良は落ち着いてペースを乱すことなく戦えた。良いイメージが崩れ、心身ともにバランスが崩れて敗れることは少なくない。平良が初めてのオクタゴンで、初めての状況に動揺することがなかった理由を尋ねた。
<平良達郎&松根良太対談Part.01はコチラから>
──つまり国内で連勝街道を突っ走っていても、その良い勝ち方が通じなかったり、崩れなかったことを想定して松根さんは指導していたということですか。
松根 選手によって指導方法は当然変わってきますが、達郎に関してはオフェンス力が強いので指導する時もセコンドに就いた時も最悪を想定します。つまり如何に防御が大切になってくるのかということは、常に意識させてきました。
これまで試合で鼻血を流したり、目を腫らすことなく戦ってきて。本人はそういうことを経験したいというのですが、幸いソレがないままで来ることがデキました。だからこそ、そうなった時を想定しておきなさいということはいつも伝えていました。相手のパンチを被弾し尻もちをつく。でも、それでも大丈夫。そこからの戦いようはいくらでもあると。そうですね、常に最悪は想定して試合に臨ませています。
今回の試合もキャンデラリオのレスリング力を事前の映像でチェックして、達郎が下になることも完全に想定内でした。
平良 本当に『目をカットすることもあるからね』とか、試合前も言われてきたので、自分自身も自分が負ける時はどういう風に負けるのかとか考えて練習にも取り組んでいます。それに試合前も苦しい場面を一度、想像してからケージに上がっています。
松根さんにそう言われ続けてきたので、上手くいくことだけをイメージして戦うことはないです。
──つまりRNCを極め切れなかったり、三角絞めでフィニッシュにならなくても気持ちやペースが乱れることがなったということですか。
平良 チョークに関しては、相手が『ググォ』って苦しそうな声を挙げていたので、極めることができると思いました。なので極め切れなかった時は、『うわっ、極められなかった』とはなりました。でも、同時に松根さんから『バックキープはマストだぞ』っていう声が聞こえて。
さっき言った試合中の会話ということなんですが、松根さんのアドバイスがあったのでペースが乱れることはなかったです。三角絞めは実はどっちもできるように練習はしてきたのですが、得意じゃない方が組みだったんです。だから極まるという確証もなかったです。抜けそうだと感じながら、仕掛けていました。なら拘らずに上を取ろうと思って、その流れでバックに回ることができました。
松根 信じられる方がじゃなかったから、早目に切り替えていましたね。
──メチャクチャ冷静じゃないですか。
松根 キャンデラリオが2017年のコンテンダーシリーズで勝った時の相手が、ブラジル人の柔術家でした。
──ホナウド・カンジドですね。TUF24にも出演した修斗ブラジルのフライ級でチャンピオンで。ノヴァウニオン所属ですがATOSでやってきた柔術家だったんです。
松根 その選手がキャンデラリオを極めそうになっても極め切ることができなくて、失速して負けました。あの試合もそうですしグラップラーは極めに行って極められないと、守りに入ってしまうことが多いです。結果的に、そこから攻め込まれてしまう。
達郎には極めることができなくても、気落ちすることなくまた一から作り直すということは習慣づけさせてきました。これまで日本ではスパッと極めて終わりでしたが、今回の試合では初めての経験にも関わらず、極めることができなくても気落ちを切り替えて作り直すことができていました。
極められない、やり直し。極め切れない、なり直しと繰り返して復旧作業ができたことは、必ず次からの試合にも生きると思います。
──松根さんの話を伺っていると確かに設備とスパーリング相手は重要ですが、同時に師弟関係も日本人選手が強くなるために欠かせないと改めて築かされます。
松根 僕だけじゃないです。今回は岡田遼が、1月のラスベガスの練習からずっと平良に寄り添ってくれたことが大きかったです。試合前も僕は修斗の沖縄大会があったので、前乗りできなかったです。でも岡田に任せることができた。それは僕が岡田を信頼しているからです。岡田も僕の生徒だからと達郎のことを親身になって世話をしてくれました。
僕と2人でいるよりも、岡田がいることで場が和むことも多くて。本当に岡田には助けられました。
──岡田選手は、なりたかった自分を上手く平良選手に投影したようで、グッとくるものがありました。これでキレーさっぱり、ケージを離れることができるのではないかと。
平良 岡田さん、試合後に『俺ももう1試合ぐらいやろうかな』と言ってくれましたよ。
──えっ、そうなのですか。なら、ホントに彼の臨む試合を組んであげて欲しいですね。
平良 ホント、今度は僕が岡田さんの役に立ちたいです。
松根 岡田が引退試合を戦うように、僕も仕向けています(笑)。
──良いですねぇ。鶴屋浩門下パラエストラ千葉ネットワークと沖縄の一体化した姿勢は。まるで岡田遼の腹黒さを松根さんと平良選手が浄化しているようです(笑)。
松根 アハハハハ。千葉でいえば扇久保が色々と協力してくれました。そもそもエクストリーム・クートゥアーで練習ができたのも扇久保の繋がりですし、試合前の減量やリカバリーに関しての助言など、本当に助けてもらいました。
扇久保も岡田もUFCに行きたかった。そのUFCで達郎が戦うことを兄弟子として凄く喜んでくれて、本当にそこは僕も嬉しいです。変なプレッシャーにせず、2人の気持ちを背負って達郎には頑張らせたいです。
──その通りですね。あと、試合後に関してですが……英語のメモを読みました。あの必死さは現地のファンに凄く受けると思うのですが、勝利後のことを用意することに関して抵抗はなかったですか。
松根 イリディアム・スポーツ・エージェンシーの日本人の担当になってくれたナオコ・シンガーさんが、やろうって言ってくれて。僕は本来、試合前に試合後のことを考えるのは集中力の欠如に繋がるという考えは持っていました。でも、チームで一緒にやってきた。僕らはナオコさんがいてくれたから、航空券の手配から、ラスベガスでの時間と何も困ることなく試合に集中できました。そのチームの一員のナオコさんからのアイデアだったし、今回は勝ってそこまでやることが勝利を意味すると思って実行することにしたんです。
<この項、続く>