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【Special】『2018年中に話しておきたかった人』。嶋田裕太─02─「柔術を職業とし、稼ぐことが許される」

Yuta Shimada【写真】NYで始まる生活。その決意が固まった経緯とは…… (C)MMAPLANET

2019年を迎え、MMAPLANETでは2018年の間にどうしても話を聞いておきたかった格闘家を5人ピックアップした。

『今、この人と話しておきたい──2018』。後編『2018年中に話しておきたかった人』、第2弾はNY移住を決めた嶋田裕太に、夢の前に立ちふさがっていた現実と、打開できるきっかけになった申し出、NYでの生活の現状について話を続けてもらった。
<嶋田裕太インタビューPart.01はコチラから>


──NYでマルセリーニョに柔術を習いたい。短期滞在でなく、毎日そうしたいという想いを嶋田選手は持ち続けていたと思います。ただし、現実問題として断念していた。

「はい、ずっと行きたいと思っていました。2年前、大学を卒業する時にNYに移り住みたいと本気で考えていましたが、ヴィザを取ることがまず難しいし、取れたとしてもNYの物価を考えると、暮らしていくことでギリギリになり練習に集中できなくなる。苦労してヴィザを取った挙句、柔術が思うようにできなくなる……そういう現実を目の前にして、NYで柔術をしながら生活するという想いは断ち切ったんです」

──日本で良い練習ができる。向こうは短期、日本で磨く。声高に言い続けていたのは、その気持ちを隠すためだったのでしょうか。

「ムンジアルの前に、特に言うようにしていたのは……その裏で、ヴィザ習得と向こうで柔術をしながら生活ができるという話が浮上してきたので、頭の中や気持ちをムンジアルに集中させるために強く言い続けていたというのはあります」

──逆にいえばNYでの柔術ライフが現実的になっていたわけですね。

「ハイ。3月のパンナムで3位になった時、エノイスというLAにある柔術ブランドのオーナーから、スポンサード選手になってくれないかと声を掛けてもらえました。パンの3位という結果は全く納得できないモノでしたが、表彰台に上ったことでこのような話があった……結果の重要性を感じました。

エノイスのオーナーのデイヴィッド(テルファー)が出資したジムがあり、調整に使わせてもらっていたんです。そのデイヴィッドからスポンサード選手になってくれたら、アスリート・ヴィザを取ってくれると話がありました。

この話とは別のブランドから月に500ドル支払うというスポンサードもあり、ちょうどALMAのスポンサードの更新の月で3つの選択肢があったんです」

──そしてエノイスを選択する方向で動いたというわけですね。

「月々にお金を貰える、それはありがたいことです。ただし、トランプ政権に代わり移民により厳しくなった米国で、アスリートの就労ヴィザを習得するということは本当に難しい状況のなか、ヴィザを取ってくれるという話は特別なモノでした。今後パン以上の結果を残したとしても、ヴィザを出してくれるという人はなかなか現れないはずです。柔術を職業として、柔術でお金を稼ぐことが許されるという好条件は逃せなかったです……。

僕ももう2019年で27歳になります。マイキー(ムスメシ)は4歳も若いです。コブリーニャの息子のケネディはもっと若い。若い柔術家が次々と出てくるなかで、NYで生活できる機会を逃してしまうと、ムンジアルで世界チャンピオンになる確率が下がってしまう。

日本で練習していて成長するスピードと、下の世代が強くなるスピードを考えると……NYに行って練習しムンジアルに挑戦したいという気持ちに抗うことはできなかったです。

ただし、急にエノイスに乗り換えるということはできなかったです。やはりALMAにはそれだけお世話になってきたので。パンの後にエノイスから今回のような話が来ていることは、ALMAさんには話しました。

そして、自分の気持ちを尊重してくださり、1年間の更新をしたうえでALMA道着にエノイスのパッチを貼ることも許していただけたんです。そこまででした、ムンジアル前にNY行きを考えるのは。とにかくムンジアルに集中したかったので」

──そしてムンジアル後に本格的に話を進めたと。それでも大きな決断です。現役生活後を考えて、悩みはなかったですか。

「僕も僕なりに自分の人生プランがあり、そこに向けて準備をしていることもあったのですが、NYに行くとその将来はお預けというか、無期延期のような状況になります。そういう他のヴィジョンがあったので、実は最初にこの話を貰った時は、この条件を受けるだけの心の準備が出来ていなかったです。

『無理です』というのが、その時の偽らざる心境でした。でも、家に戻ってから……もう一度、しっかりと考えたいと思うようになり周囲の人に相談するようにしました。そこで『やりたいようにやるべき』と言ってもらえて、心は決まりました。

なのでムンジアルの時にも、デイヴィッドのジムで調整をしていたので、その時にはこれからの話をするようになっていました」

──そこまで話が進み、気持ちも固まっているのにNYへ行くのが2019年のムンジアル後になったのは? 少しでも早く行きたいということはなかったですか。

「それは日本で指導もさせてもらっていますし、急に話を進めることは不義理になります。各ジムの方にも事情を説明して、納得していただけないと恩を仇で返すことになります。

何より色帯の頃からお世話になった植松先生に話をするのは、正直なところ……なかなか踏ん切りがつかなくて。最近は2人で会う時間が持てなかったですし。そんななか9月にネクサセンスでお世話になった方がタイで結婚式を挙げられて。その時に植松先生に話をしようと決めていました。

でも、二次会の席で皆の前でNY行きを宣言するという状況になってしまい、植松先生には不義理をしたと思います。それでも植松先生にタイで伝えることができて、「そうすべきだ」と言ってもらえました。そこから各ジムの方に報告するのに、また時間がかかったということもあるなかで、渡米の時期に関しても2019年の最初にという考えから、ムンジアル後という風に考えなおしました。

ヴィザを申請するためのペーパーワークというのは、本当に簡単なモノです。ただ提出してから発給されるまで3カ月ほどかかります。年末になって、手続きに入るとヴィザがもらえるのはムンジアルの少し前です。そこで渡米してもムンジアルまであっという間です。もうドタバタして、練習に身が入らなくことは明らかなので、ムンジアル後にNYに行くようにしました」

──NYでの生活は、どれぐらいの期間を考えていますか。

「ヴィザは3年間有効です。更新はこの間の自分の実績にもよってきます。ムンジアルで優勝するまでは、NYに居ようと思っています」

──実際、アスリート・ヴィザでは柔術で生活の糧を稼ぐ必要があります。その辺りはどのようにやりくりしていく計画ですか。

「まず住むのもマンハッタンなんて絶対に無理ですから、MG所属の人間でブルックリンに住んでいる人がいて、シェアさせてもらうことになっています。それとエノイスから月々のスポンサードがあります。

もちろん、アパートをシェアしても2000ドルは生活費が掛かるNYで、やっていける額ではないです。だからMGでのスタッフとして雇ってもらう方向でいます。NYで練習してきたことで親交が深まった方たちもいて。息子さんのプライベート・レッスンを僕に任せてくれるという形で、サポートしてくださる方もいてくれて。

それとボストンBJJのタダジ・タカシマさんが、所属はボストン柔術ですがお住まいが……確かクィーンズかどこか、マンハッタン周辺なので、日本人コミュニティで自分が指導できるように動いてくださって。柔術で生まれた絆で助けてもらっています」

<この項、続く

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