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【DEEP CAGE】キム・ドンヒョンに勝った韓国の視聴率男=ミドル級チャレンジャーRYO<01>

Ryo【写真】非常に興味深いを話を聞かせてくれたRYO。次回は中西戦に関する意気込み、現役への拘りをお届けします(C)TURTLESPRING

11日(日)、大阪市阿倍野区の阿倍野区民センターで開催されるDEEP CAGE IMPACT 2015 in OSAKAで中西良行の持つDEEPミドル級王座に挑むRYO。

脚光を浴びる韓国MMA界でキャリアをスタートさせたRYO、今回の王座挑戦を前にして、その知られざるキャリアのスタートを尋ねた。MMAヒストリアin KOREA──をお届けしたい。

――プロキャリアのスタートは、米国のMMAサイトだと2000年9月29日、タイタンファイトからになっていますが……。

「あれは間違いですね。弟(崔領二=プロレスラー、ZERO1 MAX所属)と混同されていると思います。僕のプロデビューはスピリットMCです」

――スピリットMCは2003年に初めて韓国で開催されていたMMA大会です。RYO選手の国籍は韓国ということですが、生まれも育ちも大阪だと聞いています。

「はい。高校を卒業してから語学留学のため、韓国の大学に進みました。当時は格闘技をやるつもりはなく、弟がプロレスをやる前にタイタンファイトに出ていて、その練習台としてボコボコにされていました(笑)」

――格闘技を始めたのはいつですか。

「韓国で大学を卒業する頃です。それまではバスケットボールや剣道をやっていました。今でもなぜ自分が格闘技を始めたのか、よく分からないでいるのですが(苦笑)、当時は韓国でそれほどやることもなく、週に1度BJJの練習を始めたんです。今でこそ韓国ではBJJが盛んになっていますけど、当時はまだBJJの道場なんてなく、どこかのジムを間借りして練習を行っていました。だからギの人もいるし、ノーギの人もいるという。それが2003年の終わり頃ですね」

――2003年といえば、日本はまだPRIDEとK-1を中心とした格闘技の人気が絶頂の頃です。対して、韓国ではそれほどMMAも盛んではなかったかと思います。

「はい。僕が総合格闘技を始めたのは、福岡で真武館にいらした奥田正勝さんが、韓国で開いた道場でした」

――奥田正勝さん、1996年から『全日本格闘技選手権』6連覇を果たした方ですよね。

「その奥田さんと韓国でBJJの練習仲間になり、奥田さんが韓国で開かれた道場のお手伝いをしていました。だから僕の最初の所属は、真武館韓国本部だったんです」

――その当時、韓国ではBJJ、ブラジリアン柔術というものが、どれほど知られていたのでしょうか。

「みんな知っていましたよ。BJJをやる人は、マニア中のマニアだったので(笑)」

――なるほど。本当に好きな人たちが集まって練習していたのですね。

「今でこそ韓国にはROAD FCもあるし、選手たちが次々とジムを開いていますけど、当時はまだキム・ドンヒョンがいろんな大会で勝ち始めていた頃でした。そういえば僕は、スピリットMCのインターリーグに出て、キム・ドンヒョンに判定で勝っているんです」

――えぇっ!?

「公式記録には載っていないんですけどね。その時はミドル級とヘビー級の2階級のトーナメントで、ミドル級優勝が僕、ヘビー級優勝がデニス・カーンでした」

――今考えてみると豪華なメンバーですね。

「ただ、こうしたトーナメントはプロかアマかの基準も曖昧でしたし、向こうでもプロのレコードとしては認めていないのかもしれません」

――まさに韓国MMAの黎明期ですね。当時の練習環境は、どのような状況だったのでしょうか。

「今から考えれば手探りでした。僕はほとんど打撃の練習をしたことがなく、寝技のスパーばかりで。今のコリアン・トップチームは2003年に活動をスタートさせているんですけど、当時はまだ自前の道場を持っていなかったです。だから彼らがどこかの体育館で練習する時に、僕も行ってレスリングを教えてもらっていました。常設の道場を出したのが2005年だったかな? その時も奥田さんと一緒に練習に行かせてもらいました」

――当時は韓国でもPRIDE人気が高かったのですか。

「高かったですね。僕が韓国にいた頃はPRIDEが全盛期で、世界の頂点=PRIDEという認識がありました。格闘技関係者はみんなPRIDEに憧れていましたし、ヒョードルが韓国サンボ連盟を通じて訪れた時はものすごい人だかりが出来ていましたよ」

――RYO選手も総合格闘技、MMAをやるうえで、目標はPRIDEだったのでしょうか。

「いえ、僕はまだ格闘技を始めたばかりの頃でしたし、PRIDEはただ憧れるだけの存在で、自分がココに出ることはないだろう、と思っていましたね」

――そのRYO選手が日本に活動の場を移すのは……。

「まず2006年から2007年にかけて、韓国のリアリティショーに出演したんです。『GO SUPER KOREAN』という番組で、4人の選手に密着する内容でした」

――ROAD FCの『チュモギオンダ』以前に、韓国にMMAのリアリティショーが存在していたのですね。

「手前味噌で申し訳ないのですが、韓国のケーブルテレビで放映されていて、全部のチャンネルの中でも高視聴率を叩きだしたのは、僕が出ている回だったんです」

――韓国の視聴率男だったと!!

「しかも番組の企画段階から関わるようになって……」

――企画段階から、というと?

「一度、僕が出た回の視聴率が良く、その後は数字が悪くなっていったんです。そこで番組のスタッフさんから、『一緒に何か考えてくれないか』と相談されまして。しかも僕以外の選手がみんな怪我をして、最終的には僕の密着番組みたいになっていました(苦笑)。そのおかげで、今でも韓国で『あの時の……』と声をかけてくださる方がいます」

――お話を聞いていると、韓国で好調な格闘技生活を送っていたように思えるのですが……。

「ただ、残念なことに番組スタッフの中で金銭トラブルが起こったんですね。当時は韓国MMAもファイトマネーは高くなく、言ってみれば韓国格闘技界の未来が見えていない状態でした。僕も極貧生活を送っていたので、金銭的な理由で日本に戻ってきたんです。すると戻ってきた直後に韓国でMMAがブームになって(笑)」

――2007年といえば、反対に日本ではPRIDEがなくなった年になりますね。

「そうなんですよ(笑)。でもROAD FCもなかったですし、初期の頃はそれほど大きなイベントではなかった。仕方ないですね。それよりも生活のことを考えると、日本に戻る以外の選択肢は無かったです」

――しかし、格闘技は続けようと思ったのですね。

「もともと韓国でも就職活動をしている間に『もっと面白い人生を歩んでもいいかな』と思って、格闘技の世界に飛び込みましたからね。ただ、結果論かもしれませんが、今は日本に戻ってきて良かったと思います」

<この項、続く>

■DEEP CAGE 対戦カード

<DEEPミドル級選手権試合/5分3R>
[王者] 中西良行(日本)
[挑戦者] RYO(日本)

<ウェルター級>
中尾受太郎(日本)
住村竜市朗(日本)

<フライ級>
柴田MONKEY有哉(日本)
ホン・スンヒョク(韓国)

<フライ級>
赤尾セイジ(日本)
南出剛(日本)

<バンタム級>
鍵山雄介(日本)
石田ガリット勝也(日本)

<ライト級>
長田拓也(日本)
小川道的(日本)

<バンタム級>
dark陸斗(日本)
ソン・ジンス(韓国)

<ストロー級>
いちょうSnufkinともなが(日本)
MAGISA(日本)

<バンタム級>
中本龍平(日本)
鈴木崇豊(日本)

<フェザー級/5分2R>
鈴木敦順(日本)
名田英平(日本)

<フライ級/5分2R>
平田丈二(日本)
坂井一貴(日本)

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