【on this day in】10月07日──2004年
【写真】2004年に既にケージが常設されていたシューターズMMAの総本山 (C)MMAPLANET
Shooters MMA
@スウェーデン・ヨーテボリ、シューターズMMA
「ヨーテボリはちょっとした思い出のある通りすがりの街だった。1994年5月、世界放浪中にノルウェーのオスロからオランダに向かう途中の全く知らない駅で列車を下ろされた。なんでも冬を終え、凍った土が溶け出し地盤が緩んでレールがたわむので運行は無理という話だった。代替バスに揺られ、到着した街がヨーテボリ。それから10年を経て、ヨアキム・ハンセン、ユノラフ・エイネモの活躍によって、北欧MMA界が脚光を浴びるようになり、再びこの地を訪れた。それまでにストックホルムやフィンランドのトゥルク、ヘルシンキで現地取材をしていたが、スウェーデン第2の都市に足を運ぶ機会は少し遅くなってしまった。先に訪れた街の格闘技関係者が揃いも揃い、忌み嫌うオーガスト・ワレンが率いるシューターズMMAの総本山だったからだ。もともと、ストックホルムでパンクラス&修斗を名乗っていてオマー・ブイシェともにMMA黎明期に米国で武者修行を行い、フロリダでバート・ベイル(!!)、カリフォルニアでエリック・パーソンに師事した。帰国後に袂を分かった両者、ワレンはヨーテボリでシューターズ・シュートファイティングというMMAを興した。防具の有無、使用できる技を3段階に分け、パウンド禁止の総合格闘技のこの街から発信し北欧に広めた。そしてパウンド有り全盛期になると、シュートファイティングからMMAと名称変更し、ケージを導入。ワレンがオーナーを務めるルプス・ジムには、既に金網が常設され、ヨーロピアンVTというイベントも主宰していた。コツコツとモノゴトを進め、先見の明のあるワレン。美人の奥方と、目に入れても痛くない愛息とも引き合わせてくれた彼が、なぜそんなに周囲の人間から嫌われるのか分からなかった。きっと、東洋から来た人間にそう思わせるソツの無さ、政治的バランスの良さが、彼をそういう評判の下に立たせたのだろう。ヨーテボリの空港にボルボで送ってくれてから7年5カ月後、彼が発足させた組織こそ今やアマチュアMMAで世界的な組織となったIMMAFである」
on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。