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【Bu et Sports de combat】武術の叡智はMMAに通じる。再確認、武術と格闘技の違い─02─「ヒクソン」

Christian Lee met Gokikai【写真】3月、ONEで来日していたクリスチャン・リーがTVの取材も兼ねて剛毅會で出稽古を行っていた(C)GOKI-KAI

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで勝利を手にするために生きる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にする。そして、ここまでその武術的な視点とあり方を同連載で説明してきた。

武を修める方法、実践について話を進める前に改めて武術と格闘技、コンバットスポーツの差を明確していくなかで、そのコンバットスポーツにおける武の要素が見られた試合について剛毅會空手・岩﨑達也宗師に掘り下げてもらった。

<武術と格闘技の違いについてはコチラから>


──武術の稽古は約束稽古でしか成り立たない。コンペティションもない。それでもコンバットスポーツのなかで武の要素をもって戦っている選手もいます。

「ハイ。確かにその通りです。今年に入ってからでいえば、クロン・グレイシーですね。2月にアレックス・カサレスを相手にUFCデビュー戦を戦った時に、彼には絶対の間がありカサレスに何もさせませんでした」

──絶対の間?

「ハイ。絶対には対語で、相対という言葉があります。絶対というのは、『何が何でも、ゼッタイッ!!』という捉えられ方がされがちなのですが、実はそうでなく対を絶つという意味なのです。対して相対は相対するということになります。

例えばムエタイの選手を見ていると……もちろん、彼らも勝つために試合をしています。それでも試合の動きを見ていることで、彼らが蹴りやパンチ、ヒザ蹴りを試合で出したときに、どのようなミット打ちをやっているのかが見えてきます。

それがなぜかというと、ムエタイのミットでは呼吸であったり、間を教えているからです。もともと空手の型稽古にも回し蹴りのようなモノがありましたが、まっすぐ立ったままで回り蹴りを入れるなんて凄く不自然なモノなのです。

回し蹴りというのは、ミット打ち有りきの蹴りなんです。それを無理やりのように基本稽古や移動稽古のなかに組み込んでいる。これは私自身がフルコンタクト空手をやっている時から、疑問を持っていました。

対して、ムエタイではミットのなかで何を教えているのか。それが先ほども言ったように呼吸であったり、間であったりします。タイの子供がミットをやっている動画を見ても、それは凄いモノです。そして以前にもこの連載で話しましたが、時空……時間と空間を一つにまとめたものが間になります。」

──ムエタイのミットが……。

「ハイ。そこでクロンですが……私は柔術は門外漢です。でも、彼の父親であるヒクソンは他の柔術家とは違うということを聞きいていたので、彼の試合も会場で見るようにしていました。空手もグレイシーから学べるモノがあるはずだとお思っていたのです。そして、実際に見たヒクソンはスタンドのやる気が一切なかったですよね」

──独特の構えで、組むために拳を上げていました。

「あの当時は、何でああいう風になるのか分からなかったです。突っ立っているだけで、打つわけでもなく蹴るわけでもない。たまに関節蹴りをして。それなのに対戦相手のストライカーは、いつものように攻めることができない。

今となっては……選手にも日々言っていることに通じていきます。打たない、それは怖いから。なぜ怖いのか。それは打とうとするから怖いんです。私自身がMMAの選手の指導をしていて最も困るのが、MMAルールであの小さなMMAグローブをつけ、躊躇なく踏み込んで顔面を殴らせることなんです」

──でも、そうしないと勝てない競技です。

「その通りです。ただし、MMAファイターに空手というか、打撃を指導して分かったことは、大変なのはパンチを避けることではない。一歩踏み込んで殴ることだったのです。なぜ、それができないのか。もちろん、踏み込むと相手のパンチが当たる距離になり、自分も殴られるからです。攻めた時が一番危ないのが戦いです」

──だから、MMAでは距離がなかなか近づかない試合が見られるわけですね。

「殴られるから躊躇してしまうんです。相手のパンチを避けることができないのではなくて、殴りにいけない。そういう選手が多かったです」

──ちょこちょこと手を出して、回ってしまうと?

「軽くチョコチョコと突く……まぁチョコチョコと突くのであらばそれで構わないんです。そこからぶっ倒してやろうというエネルギーのある突きがあれば。そして、実際に当たった時に効くのか──全てはその質量で決まってしまいます。ぶっ倒してやろうというパンチに対して、距離を測ってチョンチョンとやっても、現象面としての結果は出てしまっています。

だからこそ、実際に入るということがどれだけ大変か。ひょっとすればパンチからいかなくても良いかもしれない。蹴りからいった方が良いかもしれない。前に出るよりも、下がった方が良いかもしれない。それはケース・バイ・ケースで違いますが、そういった点でヒクソンがなぜあんな風に勝てたかというと、ヒクソンは殴る気持ちがゼロだったからです」

──殴るつもりがないと、殴られないから怖くないということですか。

「殴る気がゼロで組める人が相手の場合、ボクシングやキックをやってきた人は殴ることができなくなる。それはボクシングもキックも相手が殴ってくる、蹴り返してくることが前提の攻防を練習してきたからです。殴りも蹴りもなく、スっと組んで来るとか、関節蹴りを見せてボディロックに入ってくる人間と戦うという前提でボクシングもキックも作られていないんです。

だから打てないし、蹴ることができなくなる。ヒクソンが日本で試合をしていた最初の頃は、今のように距離を取って戦うMMAでも、下がりながら相手を誘うMMAでもなかった。当時のバーリトゥードと呼ばれていた戦いは、ヒクソンやホイスと戦う相手は組み技も含めて、正面から戦うことが前提にありました。打撃を使うかどうかという以前にある、あのような距離を取った戦い方ができていのが柔術家であり、グレイシー一族であった。なかでもヒクソンは秀でていたということです。ただし、私もそんなことは当時、全く分かっていなかったです」

──ある意味、私たちも試合で成果を出した技術という側面だけを見て学んだので、間ということには気づくこともなかったです。

「だからヒクソンは組んで倒してポジションを取る。で、殴って背中を向けさせて、絞めるという戦いができたのです。その点、スタンドの打撃という部分においては今のMMAが成立しているなかで、クロンとヒクソンは戦い方が違っていましたよね。クロンはUFCを消化したスタンドが必要になっていました」

<この項、続く>

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