【Bu et Sports de combat】続・武術的な観点で見るMMA。斎藤裕✖平本蓮「武術の極意、調和」
【写真】 試合後、平本はテイクダウンを「こらえられた」と言っていたが、それは「流れに任せた」調和が存在していたという……(C)MMAPLANET
MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。
武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは間、質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。
引き続き武術的観点に立って見た斎藤裕✖平本蓮戦とは。
<武術的観点に立って見た斎藤裕✖平本蓮戦Part.01はコチラから>
──斎藤選手に敗れた平本選手が武術の片鱗、調和を見せたというのはどういうことでしょうか。
「型の内面を試合で使いました。あれが試合で出来た人間を見たのは、初めてです。1Rと2Rの間のインターバルで蓮に『パンチは遠いか』と尋ねました。すると『遠いです』という返答で。つまり遠いと感じるということは、斎藤選手の間ということです。『なら当てようとしないで良いから打って、蹴って、打っていけ』と話しました。
彼なりに模索していましたね。正直をいえば一番危なかったのは1Rです。組まれて、そのまま終わるかもしれないという場面があったのは。ただし相当に練習をして来た成果もあり、そこを凌ぐことができた。だから組みの部分ではやられるというのはなかったです。だから、2Rの途中から3Rと色々と模索するようになった」
──模索というのは戦い方に何か変化を加えようということですね。
「ただボクシングのようにステップを踏むとか、距離を測ってジャブを測るということではない。なのでお客さんやPPVを見ている人に、分かる模索の仕方ではないのも事実で。ただ対峙するなかで斎藤選手と調和した時間がありました」
──いや、その調和がいわゆる調和であれば、相手に勝つ戦いをしている格闘技の試合中に起こり得るモノなのでしょうか。
「そうですよね。格闘技とは真逆、格闘技とは衝突の世界ですから。武術とは調和が極意なんです。打とうと思った人間が打てない。組もうと思った人間が組めない。それをサンチンと通じて、動きの際中に少しは教えてはきてはいました。その瞬間、斎藤選手もその瞬間があったかどうか頭に残っているかどうか分からないですが、距離を狂わされていました」
──その瞬間とは何Rの何分何秒のことだったのですか。
「そこは……まだ、私も彼もしっかり理解してから話させてください。その瞬間は確かに存在していたんです。何より、大切なことは調和後です。斎藤選手と調和が見られたことで、そこからの攻撃となるとこれまでのようなボクシング、キックボクシングという打撃を使うことができない。なぜかといえば入れないからです。
空間──間を制して自分のモノにすると後は手を伸ばすだけ、基本の突きを使うだけ良くなります。ただし、あの場でそれをやろうとしたら蓮も瞬間、居着いていました。スっと入っていけなかった」
──あぁ……難しいですね。そこまで来ても、やはり相手があって競い合うことは。しかも1万人の観客の前で、高額のファイトマネーが手に入る試合をしているのだから。勝つという意識が、もう居着くことに通じるかと思いますし。
「一瞬、それを消したんですけどね……。型とは我を消すことですから。こんな話はね、毎日のように型をやって、移動稽古をしていないと分からない……と言うと、ここで話す意味がなくなってしまいますよね(苦笑)」
──まぁ、自分も某ゴング格闘技で平本選手や岩﨑さんの取材をしてほしいと言われても……もう受けることができないんですよ。だって、人様の媒体で読者が読んでも面白くない……いや、面白くならないであろう読み物はプロとして書くことはできなくて……。
「アハハハハ。分かっているんですね、そこ。まぁ、そういう日本で何人が理解できるのかということをやっていて、蓮はその片鱗をあの場で見せた。あの瞬間、私もビックリしましたよ」
──実は試合の1週間前のインタビューで平本選手は後ろを使うことに関して、実際に動いて説明をしてくれました。下がるわけでも、呼び込むわけでもない。ただ、その動きをするには本気で基本稽古に取り組んでいないとMMAには使えないと思いましたし、そこは試合後に説明しなおしてもらおうと記事から省きました。
「いや、仰る通り。真面目に基本稽古を続けていないと、それは動けないし理解もできない。蓮はまだ天の型、地の型も上手ではないですよ。けど一本一本、手を抜くことがない。そこに意味があるということを意識してやっています。
でもね、正面立ちしてさ、右手を突く。左手を突くって、スパーで動いている人間をあれだけ倒すことができるんだから、本来はつまらないと感じるはずです。でも、言われているからやっているという空気を、蓮の稽古から一度も感じたことはないです。だから(平本)丈や(佐藤)フミヤも蓮に憧れているから、彼について行くように一生懸命やっていますよ。
下がるということに関しましては、『斎藤選手を相手に下がるのは危険』という指摘をしてくれる人もいました。それは理解できます。組まれるだろうって。でも、そういう稽古をやってきた平本蓮だから、その重心があってテイクダウンをされなかった。フィジカルが強いといっても、そんなにフィジカルをやっているわけではないです。ウェイトは一切やっていない。
ではどういうフィジカルかというと、倒れることができないという意志が存在するフィジカルなんです。型、基本稽古をすることで統一体として体が繋がってくる。統一体になると腹がすわる。だからテイクダウンを取られないという気持ちも強くなる。ただし、それでは衝突なんです。斎藤選手がてこずったのは衝突の抵抗でなく、ある種調和した抵抗だったんです。
衝突ではないので、力点と支点という梃子の原理ではなくなるので、普段MMAに見られる抵抗の仕方とは違ってくるので。それは蓮自身が試合後に『こらえられた』と言っていたのですが、ある意味『流れに従っていた』ということなんです。
そういう基本稽古を繰り返していると下がるような動きが、後ろを使うということに通じて……空間を制することができる。ただし、それが今回の試合に出来たかというと……ケージの狭さを想定できておらず、使えていなかった。だから、そういう意識のない斎藤選手の方が逆に後ろを使えていました」
──結果論として、ですね。
「ハイ、結果として──です。あの瞬間、ヤベェと思いました。T-GRIPの長い方を全て使ってやってきたので。ちょっと狭かったですね。それもあって、試合で後ろを使うことはできなかった」
──テイクダウン防御力が高くなったことで、倒されないなら打撃はボクシングやキックになっても構わないという見方も成り立つのではないでしょうか。
「テイクダウンを切る重心が受けに回っていると最初に申し上げましたが、そこから打つという重心にならないといけない。カッターナイフを一本持つだけで、素手とは違う重心になる。受ける、攻めるというせめぎ合いがあって、なかなか手が出なかったんだと思います。そこで私も最後は『突っ込んで打て』という指示を出しました。
でも、それを最初からやると賭けになって、普段の稽古が意味をなさない。相手が居着いている時に打つ。これは型で学ぶ呼吸に通じています。それは打撃でも、組みでも同じことで。斎藤選手は実はそれが組みで出来ている選手でした。相手の打撃の質量が高い時は打撃を打って来る時にテイクダウンは入らない。相手が居着いている時に入れるようになっている。朝倉未来選手との試合映像をみても、そういう風になってきた。自分の質量が高い組みを出している。
そういう試合ができる斎藤選手との試合だから、蓮とやってきたことは斎藤選手の呼吸を外して戦うという稽古でした」
──その呼吸は息をする呼吸ではなく、阿吽の呼吸の呼吸で。
「そうです。だから調和した時、斎藤選手は勝負勘のようなモノで、『アレ?』っという心境になっていた。中心が消されたんだと思います。中心が消されると、打つにしても組むにしてもラグが生じてしまいます。それを試合で見せたのは……繰り返しますが、大したものです。よほど信じているんだと思います。妄信することはダメですが、信じていて──そこに理があることをやっていました。武術空手に依存してはダメですが、私の空手を信じ切っていないと出せないこともあります。
でも妄信はしてはいけない。私が空手の先生についていた時、全てを身に着けようとやっていました。その気持ちがあったから、身についたということはあります。妄信でなく、疑うことなく教えを受ける。まぁ、負けはしましたが良い弟子に恵まれたと思います。ただし、UFC云々というならばこんなもんじゃない。そこに関しては、本人が現状に満足しないように稽古をしていかなければならない。
彼が本気でMMAに取り組んでいるのは分かります。ただし、現実的にUFC世界チャンピオンを目指す道を往っているわけではない」
──ハイ。
「そこは違うよというのは……彼自身が本気で求めないと。相談されれば、言いますよ。でも、そこに疑問や不安を感じるのかどうかは本人次第。そこに気付いて本気で目指すなら、私や大塚も去年だってそこだけを見て本気でやってきた経験があるので……辿り着かせてやることはできなかったけど、本気で目指しているヤツとやっていました。そこをやるというなら、とことんやりますよ。だってね、蓮の試合の翌日にやっていたUFCを見ると……やっぱり別モノですから。やっていることが」