お蔵入り厳禁【Arzalet FGC01】母国ブラジルの記者にマルキーニョスが語ったこと<01>
【写真】会場には大勢のボンサイ柔術メンバーが集まり、マルキーニョスをサポートした(C)KINYA HASHIMOTO/FIGHTING GLOBE
2月11日のブラジルのサンパウロで行われたREALの海外ブランド=Arzalet FGC01。同大会でファビアーノ・アラウージョを肩固めで破ったマルキーニョス・ソウザ。
Text by Pedro Marques
母国凱旋を果たした彼を現地の記者がインタビュー。我々としては日本にいることが当然のように思いがちだったマルキーニョスが、ブラジル人記者に語った過去とは。
お蔵入り厳禁――改めて知るマルキーニョスの真実。
──ブラジルでの初めてのファイトを勝利で終えることができたね。
「夢が現実になったよ。今の気持ちを言葉で言い表すことはできない。この勝利を今は亡き父(アジウソン・ソウザ)に捧げたい」
──そもそもなぜ日本でキャリアを積んできたんだい?
「多くの人に同じことを何度も聞かれたよ。なぜ、米国やヨーロッパでなくて日本を選んだのかって。でも状況として、選択云々ではなかったんだ。
僕の兄──マウリシオには娘がいて、かなりの額の借金があった。兄は僕ら兄弟も含め、ファミリーがより良い生活を送るために日本へ渡り、働くことにしたんだ。
その直後に僕は黒帯を巻き、2005年にはブラジルの国内王者(コパドブラジル、ミッドヘビー級)になった。そして兄から『もし良かったら、日本に来ないか』って誘われたんだ。最初は1カ月だけの予定だった。でも、日本へ行くと毎日のように兄が朝の6時に起きて工場へ働きに行き、終わると夜中まで柔術の指導をしているのを目の当たりにしたんだ。
『こんなの人生じゃない。仕事だけじゃないか』って感じ続けていた。そしてマウリシオに『いつまでこんな生活を送るんだ?』って尋ねたんだ」
──お兄さんは何て?
「マウリシオは『日本でアカデミーを創りたい。柔術を指導して生活できるようになるんだ』って言ったよ。僕は直後に日本の柔術トーナメント『Domau 黒帯トーナメント』に出場し、当時の日本のトップだったダイスケ・スギエに勝って無差別級で優勝した。
トーナメントで勝つことは良い宣伝なる。そのまま日本に残り兄を助けることを決めたんだ」
──その後、日本の生活にはすぐに馴染めることはできたのかい?
「思っていた以上に大変だった。他の国に出て手っ取り早くお金を儲けることを容易に考える人が多いけど、そんな簡単にはいかないよ。正反対だ。僕もそう、すぐにそんな風に人生を変えることはできなかった。
父が病気になった時もお金が無くて、ブラジルに仕送りも十分にできない有様だった。良い治療環境を与えてあげることも無理だった。ばかりか、飛行機に乗ってブラジルへ戻ることすらできなかったんだ」
──日本での生活を諦めようと思ったことは?
「あるよ。特に父を亡くした時はね……。あの時はもう殆ど体も動かしていなかったし、自分が決めたことにも疑いを感じていた。家族と遠く離れて生活をしているにも関わらず、飛行機のチケットを買うだけの余裕もなく──最後の日々を送る父と会うこともできないなんて……」
──もう心も折れかかっていた?
「父が亡くなったのが2011年で、その翌年に弟のサトシがワールドプロ柔術で優勝した。あの時、このままサトシを一人で戦わせちゃいけないって思った。そしてサトシをサポートするには、自分も戦い続ける必要があると心に決め、この年の12月にReal FCでMMAデビューを果たした。そして、トーナメントに優勝してベルトを巻くことができたんだ。
Realでチャンピオンになってから生活も好転するようになった。なんだか急に良いことが増えてね。そして僕はMMAで、サトシは柔術で勝ち続けることができたんだ」
(この項、続く)