【Special】Fight&Life#102より9年5カ月振り、復帰を決めた山上幹臣インタビュー「デビュー戦のつもりで」
【写真】10年近いブランク、それはもう復帰という再デビューというほうが正しいだろう(C)MMAPLANET
5月5日(日)に大阪府豊中市の176BOXで開催されるGLADIATOR026で山上幹臣が9年5カ月振りに復帰、今井健斗と対戦する。
Text by Manabu Takashima
山上は2007年の全日本アマ修斗フライ級(※52キロ=現ストロー級)3位、修斗新人王を格闘するのと同時に、2008年にはRISEのアマチュア部門KAMINARIMONの55キロ級トーナメントで優勝を果たし、プロのリングも経験してきた。組み技に軸があった当時の国内MMAで純粋な立ち技の試合にキックボクサーとして出場するケースは稀だった。
打撃のセンスは誰もが認めるところだった山上は周囲の期待通り修斗世界ストロー級王座を獲得し、フライ級でUFCを目指すように。VTJでは同階級のパイオニア=マモル越えを果たすも、アジアでの実績創りにROAD FCに参戦し連敗。2014年12月を最後に第一線を退いた。あれから9年と5カ月が過ぎ、山上が実戦復帰を決めた。1月のTOPBRIGHTSで現役復帰という噂も流れてきた山上だが、現役復帰の場は意外にもGLADIATORを選択。DEEPとパンクラスで6勝3敗の戦績を残す、今井健斗と戦う。
そんな山上がMMAから離れていた期間の社会人生活で学んだこと、復帰へのプロセスを語ったインタビューが現在発売中のFIGHT & LIFE#102 に掲載されている。そんな山上幹臣インタビューを全文掲載。人として、夫として、父として成長した山上は、ファイターとしてどのような姿を見せるのか──。
──5月5日、GLADIATORで実に9年5カ月振りの実戦の舞台に立つ山上選手です。改めて、あの時に引退を決めたのはどのような理由からだったのでしょうか。
「修斗ストロー級世界チャンピオンになって、フライ級でUFCと契約をすることを目標に戦っていました。その過程で韓国のROAD FCで結果を残し、UFCを狙うというシナリオができていた。でも、その韓国で2連敗をしてしまって、ケガもした。あの時、このまま格闘技を続けて家族を養っていくことができるのかと考えるようになりました。27歳になり、結婚もしたのに収入がない……」
──家族との将来を考えるようになったということですね。
「ハイ。格闘技だけで食っていくことはできない。格闘技のことを一番に考えることができなくなっているのであれば、一度離れようと。一旦、社会に出ようと思いました。あの時に続けていれば違う世界を見ることができたかもしれないですが、自分はちょっとビビッてしまって。そんな気持ちで続けていても、応援してくれる人に申し訳ないという気持ちになりました」
──当時、酷い椎間板ヘルニアの手術をしたばかりでした。
「韓国での最初の試合(2014年2月9日、チョ・ナムジン戦)で負けたあとに出術をして、本当ならもう少し体を休めないといけないのに、年齢的なこともあって焦って試合のオファーを受けてしまいました。もちろん勝てると思っていましたけど。そんな風に焦ること自体が格闘技に集中できていない表れで、気持ちも中途半端だったと思います」
──働きながらMMAを続けている選手はたくさんいます。そこまで線引きをしたのは?
「僕も兄のところで働いていましたけど、格闘技を離れたのを機に不動産系の会社員になりました。パソコンも打てないばかりか、コピーの仕方も分からないのような状態でゼロから始めたので、まずはちゃんと仕事をやらないといけない。そこを第一に考えると、格闘技を続けるという選択はなかったです。子供も生まれたばかり、奥さん1人に子供を任せることもできないですし」
──そこも家庭第一だったのですね。MMAに未練はなかったですか。
「未練だらけでした(笑)。ただ、あの状態でやっても上手くはいかなかったはずです。ちゃんと社会人として地盤を創って、格闘技としっかり向き合ってから練習を再開しようという考えでした」
──そして復帰を決めたのは?
「2年前に会社を辞めて、今は個人事業主になりました」
──おぉ。
「塗装の営業をして、一戸建てや公共事業になるのですが、学校や公園の遊具の塗り替えなんかを受注する。それを兄に振るのですが7、8年と不動産をしてきたことで回りが良く見えるようになり、その経験が生きています。それにほぼ在宅勤務で自由にできる時間が増えました」
──そうなると、またMMAを戦いたくなったと?
「ハイ、練習も週に2度から5日間できるようになりました。しっかりと格闘技に向き合える環境が、整いました」
──サラリーマン時代に練習をすることは?
「それこそ年末年始の休みに、(箕輪)ひろばと一緒に動く程度でした。ほぼやっていなかったです」
──30歳を過ぎ、35歳に近づくなかで再びMMAを始めるなら急がないといけないと思ったことは?
「なかったといえば嘘になります。ヤバいという想いもありました。でも自分の感覚でいえば、2年前に今のような練習ができていたかと考えると、間違いなく無理でした。環境が整うところまできたから、試合を戦う準備が可能になります。だから今も焦りはなく、最後の勝負だけど『やってやろうか』という気持ちです。正直、どこまでできるのか分からないです。ここでケジメをつけるというわけではないですけど、しっかりやりきりたいです。
──箕輪選手が「2022年7月にボカン・マスンヤネ戦が相手の計量失敗で亡くなった時に、山上さんが凄く怒って。あの時に『あぁ、本当に復帰するかも』と思いました」と話していました。
「ひろばの存在は本当に大きくて。僕の気持ちをより、駆り立ててくれます。『早く復帰したい』という気持ちにさせてくれましたし、ひろばが頑張っていなければ、復帰をしなかったかもしれないです。だから、全てはタイミングだと自分のなかでは思っています」
──実際に試合を戦うまで気持ちが戻ったのはいつ頃ですか。
「本当に去年に試合をしたかったです。ただ準備期間もなくて、焦る必要はないと判断しました。いきなり強度をあげても、また腰をやってしまうかもしれないので。それぐらい練習をしてこなかったので、週2から週3、そこで創って今年になって「よしっ!」という状態になりました。実は1月にとある大会からオファーがあったのですが、それは断りました。そこでギアを一段上げて、夏前ぐらいに試合をしたいという風になっていました」
──現状の実力は、一度MMAから離れた時の実力と比較してどれぐらい戻っていると感じていますか。
「それ、皆に尋ねられるんです。落ちていると思われることもあります。でも前よりも技術力は上がっているんです」
──それはどういう点で?
「柔術をやってきたことは大きいです。昔は道着を着ることもなかったけど、ここ1年ほど吉永力選手に指導をしてもらって。3月からですが、ボクシングとレスリングもやらせてもっています。それぞれのシチュエーション毎に細かい分析をして、MMAに落とし込む。前はただバチバチ殴り合っていただけなので、そこは変わりました」
──今日見せていただいた箕輪選手との打撃、MMAスパーでもインターバルの間は、何か考え込んでいるようにも映りました。
「自分の動きを確認しています。どう下がったか、真っ直ぐになっていなかったかとか。そういうことをインターバル中に考えています。漠然とスパーリングをするのではなくて、濃い1Rにしたいので」
──練習をしっかりとしたうえで、選手には個人の力が存在しています。閃きや、打撃を当てる能力という部分は今日の練習を見る限り、10年前のままだと感心させられました。その持って生まれたモノに、考えるという作業が加わったのですね。
「昔は感覚だけでやっていました。正直、教えてもらうことがそんなになかったので。今は柔術、ボクシング、レスリングでやられています。なぜやられるのかを尋ねて、考える。それが自然にできるようになりました。全てにおいて落とし込めないと、その練習をする意味がないですからね。それには考えること。若いヤツとの差を埋めるには、そこしかないです。馬力任せで積み重ねても、自分は成長できない。考えて、落とし込むことで技術力がついたかとは思います。もちろん、年齢を重ねて落ちている部分はあると思いますけど。その分を技術でカバーできていると思います」
──復帰をすると聞いた時に、一番不安だったのは技術面です。10年前と比較すると、フィジカル的にも凄まじく進化しています。当時のトップファイターでも、アップデートしないと時代遅れになる。もちろん、未来永劫に有効な技はありますが、備蓄しないといけない技術が大幅に増えていると思います。
「ひろばの助けもあって、その辺りの技術の溝は埋めてきています。何より将来や肉体に不安を感じないで練習に取り組むことができているので。堀口恭司選手もそうですけど、強い選手って一つの試合に向けて全てをぶつけることができるヤツが強くて、そういう気持ちになれてきているかなと。格闘技を始めた時のように『全員、ぶっ倒してやる』という気持ちに近くなっていますし、やっぱり俺が生きていく世界はここだなと。試合だけでなく、格闘技に携わることがここまで自分に合っているのか、と改めて感じています」
──実社会を経験したことで、これからの格闘家人生第2章に役立つことはあると思いますか。
「う~ん、嫌らしい戦い方ができるようになるかな(笑)。色々なことが勉強になりましたし、格闘技とは違った意味で精神的に強くなれました。28歳で社会に出たので、最初の3年ぐらいはしんどかったです。格闘技でボコボコにされるのと違うんですよね、売れないと上から精神的に詰められるのは(苦笑)」
──世界を目指した修斗世界チャンピオンが詰められる……。
「正直、あの頃は会社に行くために駐車場に車を停めると、動悸が激しくなっていました。でも何も知らなかったので、頭を下げて勉強させてもらいました。格闘家としてのプライドは全部捨てました。本当に仕事は何もできなかったので」
──それは……やはりMMAと並行できなかったのでしょうね。
「今はその経験すら若い子たちに話せて、どう格闘技と向き合うかを話すこともできて。社会に出てからの経験が全て良かったと振り返ることができます。ただ……本当に体力面は試合をやらないと分からない。なので、そこをカバーできる……大人の戦い方をしたいですね」
──復帰戦は夏前と考えていたと言われていましたが、5月5日のGLADIATORになったというのは?
「それは長谷川(賢)さんとの出会い、繋がりですね。長谷川さんがGLADIATORのマッチメイクに関わっていて、こういう出会いを自分は大切にしたいんですよ。新しい出会いを。それも社会に出て、教わったことです。長谷川さんが『一緒にやりましょう。協力させてください』と言ってくれて……。必要としてくれる。そこが一番なんです。妻は『わざわざ大阪で。修斗の後楽園ホールで試合をすれば良いのに』とも言っていました。
──ある意味、当然の話かと(笑)。
「条件面や応援をしてくれる人達の前で最初は試合をすべきだということなので、それは分かるんです。でも、それだけでもない。人との繋がり。付き合っていきたいと思った人と一緒にやっていく。本当にそこですね、社会に出て自分が変わったところは。それまでGLADIATORのことは知らなかったですが(笑)」
──ハハハハ。
「ただ調べてみると、あれだけ外国人選手も来日していて。フライ級なんて本当にそうですよね。でも、東京でも大会を開いてほしいなというのはあります(笑)。こんなに国際戦に力をいれているので、これから爆発していくんじゃないですか」
──それが団体関係者に聞くと、レベルが上がったから出ない選手が増えたそうです。「外国人でなく日本人と戦ってベルトと取りたい」とオファーを断られることもあるとか。
「えぇ……。う~ん……僕は強いヤツと戦いたい。それが格闘技をやる男の気持ちじゃないですか?」
──それは山上選手世代なのですよ。
「でも、僕も10年振りなんで大きなことは言えないです。次の相手をしっかりと倒さないと」
──36歳のファイターの武器として、絶対的に経験値があるかと思います。ただし山上選手は10年間の空白がある。その現実について、どのように考えていますか。
「経験値……そこは考えていないです。以前の自分の何かを生かすとかでなくて、今は一から創り直しているので。5月5日は本当にデビュー戦だという気持ちでやっています。経験値がどうこうでなく、新しい自分を出していきます。正直、先は見えていないです。昔のようにUFCという明確な目標があるわけでもない。自分のゴールが見えていない状況です。ただGLADIATORで戦うなら、GLADIATORのチャンピオンになろうと思います。だからモンゴル人とはチョットやりたいですね(笑)」
──そこはデビュー戦の気持ちでも、やり残したことがあるという感覚でしょうか。
「韓国で、デキなかった。通用しなかった自分が、今回はデキるのか。通用させたいと思っています」
──GLADIATORは外国人天国になりつつありますが、それを突破した河名マスト選手がROAD TO UFCに出場します。復帰戦で「山上なら、やれるだろう」という期待感を抱かせることができるのか。
「その自信はあります。今回しっかりと勝って。次にまた準備をして、そのレベルまでもっていける自信はあります」
──では現状、期待と不安どちらが大きいですか。
「それは期待です。試合をすることが、凄く楽しみです!!」
■放送予定
5月5日(日)
午後12時30分~THE 1 TV YouTubeチャンネル