【NEXUS33】青森から。唐沢タツヤとバンタム級挑戦者決定戦、小蒼卓也「自分はコレしかできないんで」
【写真】言葉でなく、佇まいから伝わってくるものがあった (C)MMAPLANET
10日(日)に東京都新宿区のGENスポーツパレスで開催されるNEXUS33。メインでNEXUSフライ級王座決定戦=荻窪祐輔✖豪瑠が組まれた同大会のコメインで小蒼卓也が、唐沢タツヤとNEXUSバンタム級王座挑戦権を賭けて戦う。
Text by Manabu Takashima
青森に自らのジム=スカーフィストを持つ小蒼だが、そのMMAの常設ジムの数が県下で片手の指の数で足りてしまうという。120万の県民数に対して、この数はMMAの浸透度の低さを如実に表しているといえるだろう。
対戦相手だけでなく、そのような現実とも戦い続けてきた小蒼は「青森でもやれるんだ」というモチベーションを次世代のファイター達が抱き続けられるために──戦う。
――初めて青森を訪れさせてもらったのですが、まるで格闘技事情を把握しておらず申し訳ありません。小蒼選手が青森にスカーフィストジムを開いたのは、いつ頃なのでしょうか。
「7年ぐらい前ですかね。その前は公共のスポーツ会館のレスリング場を週に3度借りて練習していました」
──公共の施設にレスリング場があるのですね。そもそもMMAを始めたのは?
「23、24歳の時に友達から、『こんなのがあるよ』って総合格闘技のビデオを見せられたんですよ。それが五味隆典さんと佐藤ルミナさんの修斗の試合(2000年12月)で。その試合で勝った五味さんに憧れて次の年に、この人はどこにいるんだって調べ五木田勝さんが代表の木口ワークアウトスタジオに入会しました」
──つまり青森を出て?
「ハイ。仕事と住むところを探して、アッチに行きました」
──もの凄い決断力と行動力ですね。
「でも2年ぐらいですから。本当はもっといるつもりだったのですが、青森に帰省した時に交通事故を起こしてしまって。あの時、同乗していた当時の彼女が青森の人だったので、そのまま青森に留まることになったんです。アレがなかったから、ずっと向うにいたかもしれないです。木口ワークアウトスタジオにはそれだけの短期間しか在籍していなかったので、試合は柔術に出たぐらいでした」
──戻った時、青森でMMAを続ける土壌というのは?
「無かったですね。先輩がスポーツ会館でサークルみたいに遊びでやっていて、そこに自分も遊びに行っていました。当時は俺もプロになるつもりとか全然なかったので。でも途中で、プロになりたいなって思い始めて。当時はMMAをちゃんと知っている人はいなくて。ボクシングや柔道、レスリングをやっている人達と考えながら練習をしていました。
その頃、アマ修斗が八戸で行われていて。パラエストラ八戸の西塚(丈人※11月19日のGFGに52歳で出場、半澤拓也に87秒アームロックで一本勝ち)さんがやっていたのですが、それこそ藤田(成保T-Pleasure代表、GFG主宰)さんとか皆が出ていて」
──そこからプロになったわけですね。いやぁ、歴史が感じられます。
「今も青森県のMMAの常設ジムはうちと五所川原の藤田さんのところ、西塚さん。それと野辺地で魚住(良太)さんがやっているメビウス・スポーツアカデミーの4つぐらいで。あとはサークルが少しありますけど、MMAはまだまだ知名度は低いです」
※東北におけるプロ修斗は仙台で行われていたが、震災後は2013年から2016年にかけて青森に移り、弘前、五所川原で公式戦が組まれていた。現在はプロ修斗公式戦ではなく、GFGが五所川原で開催されている。
──ネットで世界中のMMAが視聴できても……。
「今もK-1ですか?って言う人がたまにいますしね(苦笑)。それとプロレスとも……」
──まだ、それを言われてしまいますか……。格闘技とはいえないのですが、Breakingdownの影響でジムに来るような若い世代は?
「何人かいましたけど、そういう子は続かないです。YouTubeで華やかな場面しか見ていなくて。本当に強くなろうと思えば、コツコツと地道な作業が必要なので。そこで嫌になってしまうんでしょうね(笑)」
──それは首都圏も地方都市も共通かもしれないですね(笑)。地方のMMAを考えると、藤田さんが頑張ってくれていても、北陸と東北がエアポケットのような状況かと。同時に地方のジムの所属選手は、試合機会がどうしても限られている。こちらの選手はどのように実戦の機会を得ようとしているのでしょうか。
「年に1回アマ修斗があって、盛岡でも行われています。盛岡は2時間ちょっとで遠くないので」
──……。
「それって僕らからすると遠くない距離なんです(笑)。あと岩手だとブレイブの細川(英司・東北格闘技連合会=グラップリング、MMA、キックの試合を主宰)さんも定期的に大会を開いてくれていますしね。ウチでもブレイブに出たいという子は多いです。
それにプロも今は以前と違い、色々なプロモーションがあるので修斗以外にもウチの選手は出ています。北海道のPFCと繋がっていて、最近は北海道での試合が多いですね」
──格闘技のジムはフィットネスか、選手志向という2つの目的を持った人達がやってくる場所ですが、スカーフィストはどちら系のジムになりますか。
「ウチは選手志向で、フィットネスは少なくて。結果、会員が少ないジムです(笑)。プロは俺と、同い年の大里洋志(GFGのメインで大高幸平にスプリット判定勝ち)、1つ下の黒石大資(11月19日PFC30で、平井聡一郎を破りPFCフライ級王座を獲得)、12月10日のNEXUSでデビュー戦を戦う塩谷優斗、それと吹田琢ですね。デビュー戦の子以外は、平均年齢は高めです」
──首都圏ではNEXUSの出場機会が多い?
「PFC経由でNEXUSということが多いです。PFCでトーナメントがあって、勝つとNEXUSでプロの試合ができるという流れもあるので」
──小蒼選手自身は7月の後楽園大会で、渡部修斗選手の引退試合の相手を務めPFCバンタム級のベルトを取られてしまいました。引退ストーリーに華を添えるような形になり、納得できていない部分もあるかと。
「まぁ、そうッスね。でも何を言っても言い訳になるんで。負けは負けになります」
(隣で話を聞いていた)藤田成保 自分たちがアマチュア修斗を戦っていた頃に、若林太郎さんから「判定になった時点で、何も文句を言うな」と教わってきました。
「そうっスね。それはずっと残っています。判定に文句を言うぐらいなら一本、KOで勝たないといけない」
──そして本部席の前を絶対に横切ってはならない。これこそ太郎さんイズムです。
「ホント、それです」
藤田 でも、やり始めた時に言ってもらえたことって残っています。だから判定になったら、文句は言えない。
「彼の引退試合ですし、判定になったら分が悪いのは分かっていたことですしね」
──判定云々でなく、完全に良き思い出創りの駒にされた。格闘技は思い通りにいかないんだというストーリーを見たかった気持ちは、個人的にありました。記者がこんなことを言ってはいけないのですが……(笑)。
「でも、あの試合は修斗君本人が一番分かっていると思いますよ」
──そんな敗北を経て、次戦の時点では41歳になっている小蒼選手。次は挑戦者決定戦となりました。
「そんなに長くはできないと思っているので、ここでこの機会を貰えたことは有りがたいです。俺がベルトを取ることで、こっちの選手たちも青森にいてもやっていけるんだというモチベーションになると思うんです。NEXUSのベルトを取ったら、次の道も見えてくるし。まぁアンダードッグとして呼ばれることは、慣れっこですしね」
──今もDEEP、パンクラス、修斗を上3つという見方をする現状は残っていますが、そこへの拘りというものは?
「修斗がないと、やっていなかった。修斗には感謝しています。でも、今はもうそういう拘りはないです。それよりも青森で戦いたい。今回はタイミングが合わなかったのですが、GFGで戦いたいです」
──小蒼選手の想いが、青森におけるMMAの普及に通じることを願っています。
「ハイ。自分はコレしかできないんで。本当にコレしかのめり込んだモノがないんですよ」
──では挑戦者決定戦に向けて、意気込みの方をお願いします。
「とにかく今回の試合に勝って河村(泰博)選手に挑戦し、青森にベルトを持って帰りたいと思います」
■NEXUS33メインカード対戦カード
<NEXUSフライ級王座決定戦/5分3R>
荻窪祐輔(米国)
豪瑠(日本)
<NEXUSバンタム級挑戦者決定戦/5分2R>
唐沢タツヤ(日本)
小蒼卓也(日本)
<バンタム級/5分2R>
神部篤哉(日本)
塩谷優斗(日本)
<ライトヘビー級/5分2R>
マシン(日本)
田馬場貴裕(日本)
<バンタム級/5分2R>
ジェイク・ムラタ(日本)
イ・ヘウォン(韓国)
<フライ級/5分2R>
曾我英将(日本)
鶴屋健人(日本)
<無差別級/5分2R>
Guts(日本)
山本拓海(日本)