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【DEEP105】牛久絢太郎に挑戦──神田コウヤ─01─「大学でレスリングを続け、無責任な自信を持てるように」

【写真】長身&リーチの長さが打撃、組み、そして首相撲やダーティーボクシングに生きる神田(C)MMAPLANET

12日(日)、東京都港区のニューピアホールで開催されるDEEP 105 IMPACTで、神田コウヤが牛久絢太郎の持つDEEPフェザー級王座に挑戦する。

今やRIZINフェザー級との二冠王、J-MMA界フェザー級の頂点に立つ牛久にチャレンジする神田は、長身──レスリングベースながらリーチを生かした打撃、組み、さらに両者が融合したスタイルを持つ。

小学生の時からパラエストラ柏で柔術を始め、高校&大学とレスリングに専念した。それも全てはMMAファイターになるため。受け答えは極めて物静か、秘めたる闘志と負けん気がケージのなかで垣間見られる神田のルーツに迫った。


──来週の今日、牛久選手への挑戦が迫ってきました(※取材は12月5日に行われた)。追い込みも終わった頃でしょうか。

「追い込みは終わり、あとは調整に入る形になっています」

──パラエストラ千葉はプロファイターの移籍、プロ志望者の増加と賑わっているようですね。

「杉山廣平選手が所属選手になったり、出稽古の選手も来ていますが、数に関してはプロ志望だと言っていた人が自然と来なくなったり、全体的な量は変わっていないのかなって思います。けっこうプロを目指す子はいるのですが、いつの間にか来なくなることは少なくないので」

──対して神田選手は子供の頃からパラエストラ柏所属でした。

「そうですね、小学校4年生の時にキッズ柔術を始めました。元々小学1年生の時から柔道をやっていて、そこから関節技や絞め技で参ったを取りたいと思っていました。自分の父親と鶴屋先生の過去の職場が同じで、ちょうどパラエストラ柏でキッズ柔術を始めるタイミングだったのでキッズの第一期生なんです」

──その後、大学でも結果を残したレスリングを始めたのもパラエストラ柏だったのでしょうか。

「いえ、まだパラエストラ柏にキッズレスリングはなかったです。パラエストラでレスリングが始まったのは、自分がもう高校生になっていた時だと思います。僕の場合は柔術の試合でレスリングがバックボーンの選手に負けてしまって、それがきっかけで違うチームでレスリングを始めたんです。柏のレスリングチームだったのですが、そこも鶴屋先生に紹介してもらって健人と怜(鶴屋家の長男と次男)もいたと思います」

──ではその頃から鶴屋兄弟とは練習仲間だったのですね。

「いえ体も年も違うので、同じ空間にはいるけど話すこともほとんどなかったです。父親がかなり厳しい方なので、自分も楽しむという感覚でなく黙って、ひたすら厳しい練習をしていたという感じでした」

──なるほど(笑)。お父さんも格闘技が好きだったのですか。

「それはあったと思います。ブルース・リーの映画や第1回のUFCのビデオ、PRIDEも見ていて。その影響を受けました。でも1度、中学2年生の時に格闘技を離れたことがあったんです。部活でやっていた駅伝に専念するようになって」

──駅伝部!!

「今となっては……ですけど、やらされている練習が多かったので、格闘技に対して燃え尽きてしまって。足は元々早くて、小学校の高学年から長距離は走っていて県民大会や我孫子市の大会で優勝したこともあったんです。最初は格闘技も並行して練習していたのですが、ジムから足が遠のくようになりました。
でも格闘技の情報が耳に入ってくると羨ましくなって。体を動かくだけじゃ物足りなくなって。やっぱり格闘技でないと自分は満足できないと気付いてしまって。ただ汗をかくだけなら満足できない自分がいたんです。それで結局は高校でレスリング部に入部しました」

──また組み合いたくなった?

「そうですね、」

──レスリングをやっていた間、パラエストラ柏で練習をすることはなかったのですか。

「ハイ。年に1度か2度、顔を出す程度でした」

──それでも大学卒業後にMMAに戻ったのは?

「全てはMMAのためのレスリングでした。本当は高校を卒業したときにMMAをやりたかったのですが、親の意見もありますし、学校の縁というのもあったので進学しました」

──例えば鶴屋怜選手はレスリングで進学をしませんでした。ジムも大学も違いますが、松嶋こよみ選手は大学を途中で辞めてMMAを始めました。

「えっ、松嶋選手って大学を卒業しなかったのですか? 東洋大学ですよね」

──ハイ、3年の時に大学を辞めたかと思います。それにしても、東洋大学とスッと出てくるというのは驚きです。

「実は高校3年生の時に進学先を決めるために、色々な大学で練習させてもらったんです。東洋大学でも練習させてもらい、その時に松嶋こよみ選手がいたんです。あの後、辞めたんですね。知らなかったです。」

──いや、それよりも神田選手は大東文化大に進んだのに、なぜ松嶋選手を認識できていたのですか!!

「実はさっきキッズ柔術の時にレスリングがバックボーンの選手に負けたって話したじゃないですか? その相手が松嶋こよみ選手の弟の頼(たより。シュートボクシングではマツシマタヨリの名で活躍した)選手だったんです」

──凄い話ですね!!

「あの頃、松嶋選手とか澤田龍人選手とかAACCのキッズの人達は強いし、オーラが凄くて。自分の憧れの存在だったんです」

──AACCが近くにあれば、AACCに入会していたかもしれないですね(笑)。

「あぁ、そういう人生もあったかもしれないです」

──そういう人生にならず、大学を卒業してからパラエストラ柏に戻りMMAを改めて始めた。大学でも結果を残していたのに海のものとも山のものともつかぬMMAファイター人生を歩むことに反対の声はなかったですか。

「100人以上いた学科で就活をしなかったのも、自分1人だけでした。でも父親も子供の頃からお世話になっている鶴屋先生のところでMMAを始めるので、全く心配せずに送り出してくれました」

──くわえて18歳と22歳は明確に違います。大学での4年間分、遅くなったという焦りはなかったですか。

「それはなかったです。大学でレスリングを続けて、絶対的に良かったです。えぇと……大学時代は寮生活をしていて、1人暮らしぐらいの部屋のスペースで先輩と2人部屋で。レスリングも1年、2年と結果が出ずに、私生活ともども辛かったです。でも『レスリングで通じない奴は、MMAにいっても通用しないぞ』という考えが、自分のなかにありました。だから必ず結果を残してからMMAに行くという気持ちで、辞めるわけにはいかないなって頑張って続けました。

それにあの経験があったのでMMAで酷い負け方をしても『続けていれば、いつか何とかなる』っていう謎の自信……無責任な自信を持てるようになっていました」

<この項、続く

■視聴方法(予定)
12月12日(日)
午後4時45分~SPWN PPV配信 & ニコニコ生放送 PPV配信

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