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【Pancrase313】林源平とライト級暫定王座決定戦。雑賀ヤン坊達也─01─「いつも試合をするのが怖い」

Yanbo【写真】90年9月18日生まれ、戦績は7勝1敗で7つの初回KO勝ちというヤン坊。ビシッとスーツが似合っている(C)MMAPLANET

今月16日に行われたPancrase312で、暫定ライト級KOP王者サドゥロエフ・ソリホンに挑戦予定だった雑賀・ヤン坊・達也。

ご存知のようにソリホンの負傷欠場を経て。12日に行われた欠席会見に同席したヤン坊は、3月8日(日)のPancrase313でライト級暫定KOP王座決定戦を林源平と戦うことが決まり、そのままの流れで調印式に臨むというジェットコースターに乗っているような気持ちの上下を経験した。

NEXUSで5試合、パンクラスで2試合、全て1Rで試合を終えているフィニッシャーのヤン坊に──調印式後──初インタビューを試みた。そこではファイトスタイルとは違う、彼の一面が見えて来た。


──サドゥロエフ・ソリホンに挑戦する雑賀選手が、どのようなファイターなのかを知りたく取材を申し込んでいたのですが、そのソリホン欠場から林選手と3月に暫定王座決定戦を行うというまさかの展開になりました。改めてですが、ソリホン欠場はいつ頃知ったのですか。

「先週の木曜日に夜11時半(※2月6日)とかですね」

──お前、やれよという気持ちには?

「ケガの内容が最初は分からかったので、『マジかぁ!!』っていう気持ちだけでしたね。追い込みも終わって、もう体重の調整に入っていたので」

──コロナだけでなくても、インフルエンザもあるし、体調管理に凄く敏感になっていた時期かと思います。

「そうですね、なかなか買えないなかマスクをして……気を使っていたんですけどね。でも、怪我はしょうがないですから──という風に、思うようにしています」

──その後、林選手との王座決定戦が3月8日に組まれることとなりましたが、緊張感が切れてやけ食いをしたりとかなかったですか。

「最初はショックで……何か食べようと思ったけど、逆にショックが大き過ぎて食べることができなかったです。その日にのうちに3月の話を聞いても、そこは即答はできなかったです。で、次の日に気持ちを落ち着かせて、色々な思いがありましたが、夜には『やらせてください』と返答しました」

──ここまで来て、また1カ月かという気持ちには?

「それはなりました。食べたいこと、やりたいことを全て我慢して16日を迎えるはずだったので……また1カ月かというのはなりますよね。でも、少し休みを貰ってリフレッシュしたので、今は次の試合に切り替えています」

──このタイミングで調印式があったことで、闘志がわくというコトはなかったですか。

「計量より前に対戦相手を見たのは初めてなので、ちょっと独特な緊張感がありました。僕、いつも試合をするのが怖いんですよ」

──えっ、そうなのですか。

「イケイケ・ファイターとか思われているかもしれないですけど、試合は怖いんです。2カ月前、1カ月前、10日前、1週間前と、怖さが増してきます。そこから、やっと解放されるという時に、こうなってまた恐怖に襲われます。そこが一番つらいです。今日も相手を見て、『でけぇ』って思ったし。林選手は階級を超越していますよね。でも、また気持ちを創っていきます」

──そんなヤン坊選手ですが、今年で30歳になるということですが、試合数は少ないですね。

「始めたのが遅かったですからね。もともと、魔裟斗選手やKID選手が活躍している時が高校生で、よく格闘技を見ていました。それから就職して、なんか毎日が詰まらなかったんです。それでフィジークとか流行った時に筋トレをしていたのですが、『なんか違うなぁ』と思って。だったら格闘技をやってみたくなりました」

──それまでスポーツや格闘技歴というのは?

「小学校1年から6年まで和道流の空手をやっていましたが、空手がバックボーンとかそういうことはないです(笑)。実績を残しているわけでもないので」

──ところでヤン坊選手はフィリピンの血が流れていて、フィジカルが強いという話を聞いたことがあります。

「母がフィリピン人です。でも小さい頃に離婚して、僕は父側の祖母に育てられてました」

──そのような生い立ちを聞くと、すぐに荒れた時期があるという画一的な想像をしてしまうのですが……。

「荒れた時期……僕は喧嘩が好きとかそういうタイプではなくて、仲間と楽しいことをしたいタイプなので悪戯をしていた程度です(笑)。どうしても、僕の試合を見ると喧嘩っぱやいと思われるのですが、実際は喧嘩を止めるタイプでした(笑)。それに僕らがやっていることはスポーツだと認識しています。ケージに入ると、スイッチが入ってああいう試合になるということだけで」

──なるほど。では結果的に格闘技を始めたのはいつ頃になりますか。

「25歳ぐらいの時で、5年前ですね。最初は趣味でしたけど、軽い気持ちでやっていると思われたくないので、『どこを目指すの?』と聞かれると、プロになりたいと言っていました。最初はアマチュアのキックに出て、1RでKO勝ちできました。当時は練習を続けるうちに、キックに偏ってしまっていたました。

でもDOBUITAという総合格闘技のジムにいるんだから、MMAをやらないといけないと思ってアマチュアの試合に出させてもらって、それはドローでした。その次がNEXUSでデビュー戦でした」

──ネクサスで4勝1敗という戦績を残しましたが、当時はどのようなキャリアを積もうと思っていたのでしょうか。

「もともとボス……長岡(弘樹)さんがパンクラスで戦っていて、応援に行ったりしていました。あの舞台で戦っている長岡さんを見て、いつか自分もパンクラスに出たいと思っていました。

ネクサスはTOP FCと繋がっていたのので、韓国で戦うことを目指した時もあったのですが、一度消滅したみたいになり、やっぱり目指すのはパンクラスだと思いなおしました」

──それでもアマ・パンからというキャリアの積み方はされなかったのですね。

「ネクサスで挙げた戦績があって、スキップする形になりました。僕自身はプレリミやネオブラから頑張ろうというつもりだったのですが、1試合目から本戦で組んでもらって『ありがとうございます』っていう感じでした(笑)」

──2試合目がトム・サントス戦。正直、試合前はミスマッチだと思っていました。

「そうですね、話を貰った時は『うわぁ、マジかよぉ』って思いました(笑)。いつもマジかよとしか思わないのですが……。『どうやったら勝てるの、俺?』みたいな。サントスはAbemaやRIZINで見ていた……画面の中で見ていた選手だったので。『あぁ、来るところまで来ちゃったよ……』と(笑)。試合前は辛かったです。動画を見て怖くなって、怖くて眠れなくなってしまうような感じでした」

<この項、続く

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