【2017~2018】岡見勇信─01─「考えていたのは、日本のイベントでチャンピオンになること」
【写真】2017~2018、ファイター達の足跡と一里塚。2人目は岡見勇信に話を訊いた(C) TERUTO ISHIHARA & MMAPLANET
まもなく終わりを告げる2017年。情報化社会の波のなかで格闘技の試合も一過性の出来事のように次々と生産&消化されている。
しかし、ファイターにとってその一つの一つの試合、ラウンド、一瞬は一過性のモノでは決してない。大袈裟でなく、人生が懸っている。試合に向けて取り組んできた日々は何よりも尊いはず。そんなMMAファイター、そしてブラジリアン柔術家がこの1年をどのように過ごし、そして来るべき2018年を如何に戦っていくのか。
MMAPLANETでは9人の選手達に2017年と2018年について語ってもらった。2番手はUFC JAPANの代役&ライトヘビー級での出場で、4年振りにオクタゴン復帰を果たした岡見勇信に話を訊いた。
UFCへの想いを持ち続け、WSOFで思わぬ時を過ごした36歳の元メジャーリーガーが現役続行をどのような気持ちで続けて来たのか。そしてUFCからのオファーがない場合、いつまで戦い続けることができたのか──2017~2018、岡見勇信の足跡と一里塚。
──2017年が終わろうとしていますが、今年の初めにこの年の終わりをUFCファイターとして迎えることができると、正直なところどの程度思っていましたか。
「ちょうど大晦日にWSOFで試合をして(ポール・ブラッドリーに判定勝ち)……、正直なところを言えば目指してはいましたけど、ほぼほぼ今年がそうなっているとは考えられていなかったです」──想いはあるけど、現実問題として考えるとその難しさは誰よりも理解できていたと?
「簡単ではないことは凄く分かっていました。日本大会があるのかないのかも分かっていなかったし、何よりもWSOFとの契約が残っていたので、そこがどうなるのかも分かっていなかったですから。だから、目的ではあってもUFCに戻ることは想像できていなかったです。
それに試合内容において、自分のパフォーマンスに納得がいっていませんでした。だから自分を証明するというか、このままでは終われないという気持ちでした。『俺はこんなもんじゃない』という想いを、思っているだけでなくて試合で証明しないといけない。そこが一番でしたね」
──それはUFCという場ではなくても?
「そうです。UFCでなくても、どこの舞台でも自分が納得できる試合ができなければいけないと思っていました。逆にそうでないと、その先のUFCはないわけですから」
──結果的にWSOFでは最後の試合となったブラッドリー戦ですが、実況もつかずカメラはハンディもなくなり、クレーンのみというような酷い扱いでした。
「フフフフ、ハイ」
──その後、WSOFがPFLに興行会社が変わり、契約もそのまま移譲されていましたが、7月のPFLのアンドレ・ロバト戦ではどのような気持ちで試合に挑まれていたのですか。
「あの時は取り敢えず契約が最後というところまでこぎ着けたので、何としても勝ってフリーランスになる──その想いだけでしたね。
強さを証明するというより、絶対に勝たないといけないという気持ちの方が強かったです。契約が最後というのもありますが、もう僕のキャリアだと負ければ全ては終わりなので。結局、契約最後の試合で勝っておかないと、フリーになってもUFCも何もないという気持ちでした。だから何が何でも勝たないといけなかったです」
──結果、手堅くなったという部分はありますか。
「それはあっと思いますが、逆にソレが良かったです。以前にも話したことがあるのですが、今の僕はもう理想を求めていなくなっている。打撃でKOしてやるとか、そういうのはない。自分のストロングポイントで勝負することを心掛けているので。
つまりは何が何でも勝つということで、そういう風に振り切れることができたのではないかと思います」
──自分にとっては良い試合でした。
「フフフ」
──つまり今UFCが求める一般の人に説明なく通じるファイトではなかった(苦笑)。もう今のUFCはTUF出身者以上にDWTNCS出身の選手の明日なき暴走ファイトが、一般基準になるのかと恐ろしく感じています。
「確かにやりあう試合は多くなっていますよね」
──フォレスト・グリフィン×ステファン・ボナーのある一面が肥大化しているのが、今のUFCが求めている試合なのかと。その状況でロバト戦の試合展開でUFCへ行くことができると岡見選手は思っていましたか。
「いえ、UFCに行けるなんて思っていなかったですよ(笑)。ただ、あの勝利は本当に大切でした。檻に閉じ込められていた身が、自由になったように(笑)」
──まさにWSOF番外地ですね。
「何も考えられない状態から、色々な選択肢を思い浮かべることができる状況になれたのが、あの試合でした。その喜びが大きかったです。UFC云々というよりも」
──娑婆に戻ったと(笑)。
「本当にそんな気分でした(笑)。もちろん、WSOFとは契約をしていたので、そのなかでベストになることを考えていた。でも、段々と閉塞感だからにってきていた状態から解き放たれたような……。ただ、それも自分が負けたからいけなかった。そこは自覚していましたし、だからこそ自己証明をする必要があったんです」
──7月の終わりにフリーランスとなり、UFC日本大会には普通で考えると間に合わない。あの時点で、岡見選手はどのようにキャリアを続けていこうと考えていたのでしょうか。
「一つ考えていたのは、日本のイベントでチャンピオンになることです。それは縛られたくなかったというのが一番の理由です。
海外からも結構、契約の話を貰えていましたが、どうしても専属というか縛りが強かったです。ファイトマネーは良かったですが、契約するとUFCへの道は途絶えるように感じてい巻いた」
──例えばUFCからオファーが来ればリリースしてくれるという条件は望めなかったということですね。
「ハイ。その通りです。UFCへの切符ということがなくても、ビジネスができるイベントはやはりそうなりますよね。自分たちでビジネスが成立している。だから条件も良いですし。
そこが日本だと融通をきかせてもらえるというのはあったので、日本で戦おうという気持ちに傾いていました。だからこそ、あの時にUFCからオファーがあったことに関しては、神様に与えられたモノだと思っています。本当に人生って分からないです」
──岡見選手が口にするから重みもある言葉です。諦めず、苦労と努力を続け実力も実績も残していたからこそのオファーですから。
「僕としても……一つ一つの試合をやり切るのみだった。日本でと考え、それを実行しても負けたらそこで終わりかもしれないし。負けても、まだ続けていたかもしれないし」
──UFCからオファーがなければ、あとどれぐらい努力を続けることができていたと思いますか。
「う~ん1年か2年、いやそこは分からないですね。どこまで頑張れたとかは……自分でも分からないです」
<この項、続く>