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【JBJJF】ダン・ハーディー戦から11年、東日本マスターに出場する石毛大蔵「アダルトにも挑戦したい」

Daizo Ishige【写真】1980年11月生まれ、37歳になった石毛は柔術着が似合う(C)DAIZO ISHIGE

22日(日)、東京都墨田区にある墨田区総合体育館で日本ブラジリアン柔術連盟(JBJJF)主催の「第2回東日本マスター柔術選手権」が開催され、マスター2黒帯ライト級&オープンに石毛大蔵が出場する。

石毛はかつてMMAではウェルター級キング・オブ・パンクラシストに君臨し、2007年5月に北米メジャー進出を掛けて挑んだCage Forceライト級トーナメントで、準々決勝で今やUFC欧州のアナリストとして著名なダン・ハーディーと戦い──脳挫傷という大ケガを負い引退。

競輪選手を目指した後、柔道整復師となり、柔術の世界へ足を踏み入れることとなった。一度死んだという認識の下、生きる石毛にとっての柔術とは。
Text by Takao Matsui


――サンボ、柔道を経てパンクラスのチャンピオンとなり、ダン・ハーディー戦で大ケガを負って、競輪に挑戦。その後は柔術に挑戦と、波乱万丈の格闘技人生を送っていますね。

「周りから見たら、確かにそうかもしれません。でも自分としては、好きなことをやっているだけなんですけどね」

――ハーディー戦直後のコラムを読ませていただきましたが、衝撃的な内容でした。

(C)GCM

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「詳細はあれに書いてある通りなんですけど、意識が朦朧として気づいたら病院のベッドでした。相手の言葉は理解できるんですけど、一時的に言語障害になってしまい話せませんでした。右腕も動かないし、何もできなかったです」

――その時に怖さとかはなかったのでしょうか。

「不思議と怖さはなかったです。ただ悔しいだけでした。試合に負けてしまったことが、悔しくて悔しくて仕方がなかったです。体はそのうち動くだろうと思っていたので、まったく気にしていませんでした」

――回復して動けるようになった後は、競輪へ挑戦されたことにも驚きました。

「MMAをやっていた時に武井壮さんにトレーニングを指導してもらっていたのですが、偶然なんですけどダン・ハーディー戦の前、武井壮さんに『競輪は年齢制限がないし、年間1千万は稼げるから格闘技が終わったあとのセカンドキャリアとして考えておいた方がいいよ』と言われたことがあったんです。

で、MMAができなくなったし、競輪も目指していたUFCも金網の中でやる競技だから挑戦しようって(笑)、競輪をやることになりました」

――たしかに金網の中での格闘ですね(笑)。杉江アマゾン大輔選手も、競輪に挑戦されたことがありましたね。

「和田拓也先輩もそうです。競輪学校まで行けたのは、僕だけですけど(苦笑)」

――競輪も辞めることとなり、その後は柔道整復師の資格を取得したわけですね。柔術は、どのタイミングで始めたのでしょうか。

「いつだったかな。2007年から競輪学校の受験に挑戦しました。2009年に競輪学校に合格し2010年くらいに競輪挑戦が終わったので、2011年か2012年くらいじゃないかな。ドラゴンズ・デンで柔術を始めさせてもらって。

2014年から仕事が忙しくなってしまい、3年間、格闘技の練習はほぼ休んでしまいました。本格的に再開したのは、昨年の6月くらいですかね。仕事が落ち着いてきたこともあり、今はトライフォースに所属しています」

――過去のケガからMMAができないのは分かりますが、なぜ柔術だったのでしょうか。

「柔道整復師としてお仕事をさせて頂いていると、皆さん体を動かさず、体がこり固まったり、筋力が低下して自分の体重を支えられず、体の不調や痛みが出ている方が大勢いることに気づきました。

患者さんに健康になってもらうために体を動かすことや、筋トレを勧めても出来ない人が多いんですよね。そんな時に久しぶりに柔術で体を動かしたらもう楽しくて、楽しくて。

筋トレってやってもあまり楽しくないので、まずは健康になるために楽しいスポーツを見つけてもらったほうが体を動かすし、健康になってもらえるんじゃないかと思って、なら柔術を教えたいなって思ったんです。

あとは自分自身が足を怪我しているので、寝た状態でも戦える競技ということもありますし、体重、年齢、帯別で試合を楽しめるのも良いですね。これまでは勝ちたい、稼ぎたいと思っていた格闘技ですが、今は柔術を楽しむ、格闘技を楽しむという感覚に変わってきています」

――紆余曲折を経て最終的に落ち着いたのが、柔術の再開だったわけですね。

「トライフォースを見学した時に、カリキュラムがしっかりとしていて、ロジックやストーリーが分かりやすいなと思いました。すぐに所属することとなり、今は成増でトライフォース・ナリマスとして柔術を教えています」

――よほど柔術の魅力にはまったようですね。

「メチャクチャ、楽しいです。日々、技を覚えたり目標ができて、奥の深さを感じています。べリンボロ、ダブルガードの攻防はMMAにはないので最初は戸惑いましたが、今はその攻防も楽しめるようになりました。MMAと違い顔を殴られないのも良いです!!(笑)」

――攻防としてはトップとボトム、どちらがメインになりますか。

「どっちも良いですけど、トップの方が好きですね。MMAをやっていたのでボトムだと殴られると思ってしまうので(苦笑)。MMAをやっている時は、立ち技に拘っていました。寝技もパウンドがメインでしたし。上をとって殴るのは有利ですからね。サンボや柔道をやっている時は、下がメインだったんですけどね」

――今回、東日本マスター選手権へ出場されますが、試合はいつ以来になりますか。

01「2015年に須藤元気さんの『一騎討』で試合をして以来ですから、3年振りになりますかね(チャールズ・ガスパーと準決勝を戦い3位)。JBJJFの大会は、2012年の第13回全日本選手権のアダルト黒帯ミドル級で優勝して以来となります」

――既にサンボ、MMA、柔術の3冠王ですね。

「柔術は相手が棄権したので不戦勝で優勝しました。なので、あまり周りには言っていません(笑)」

――久しぶりの柔術の大会で、どんな結果と内容を求めますか。

「柔道やサンボの頃からそうなんですけど、僕はセンスがない方なので、グチャグチャに動いて自分のペースに持ち込みたいですね。お金を払って出場するのは久しぶりですし、楽しみますよ。あとは一本を取りたい気持ちもあります。強い選手が多いので簡単ではないですけど、そこは狙いたいです」

――今後も、大会には出場し続ける予定ですか。

「仕事の都合が合えば、出られる大会にはエントリーしていきたいとは思っています。アジア選手権、全日本選手権、マスターだけではなくアダルトにも挑戦したいです」

――整骨院と柔術の二本柱で活動されていく構想なのですね。

02「ゆくゆくは整骨院と柔術道場をあわせてやりたいですね。道場には外国人の方に、たくさん来てもらいたいと思っています。米国へ留学していた時に、外国人の武道に対するリスペクトは大きいように感じました。

港区に在住する米国人は、3000人くらいいるようです。そういう場所に道場を開き、柔術を通じて道場が国際交流の場になれば楽しいし、良いなと思っています」

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