【UFN117】UFC世界フェザー級王者マックス・ホロウェイ─01─「UFCチャンプになれたのは祖父母のお陰」
【写真】ハードスケジュールでレコーダーやカメラが回っていない時は疲労困憊な様子だったホロウェイ。取材が始まるとプロフェッショナルイズムを存分に発揮してくれて、感謝 (C)MMAPLANET
7日(月)、東京都港区のカルペディエム三田で9月23日(土)にさいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナで開催されるUFC Fight Night117「Shogun vs St.Preux 2」に出場する阿部大治、朱里の両者、そして同大会のためにPR来日を果たしたUFC世界フェザー級王者マックス・ホロウェイ、さらにUFC殿堂入りを果たした桜庭和志の出席の下プロモーション・イベントが行われた。
ここでは6月にジョゼ・アルドを破り、UFC世界フェザー級王座を統一したマックス・ホロウェイとの一問一答の模様をお届けしたい。
世界王者になったホロウェイ、その人生には祖父母と過ごした貴重な少年時代が存在した。
──これまで2012年にPXCが行われたマニラ、そして2014年のUFCシンガポール大会の時にマックスとは話をさせてもらう機会があったのですが、あの頃はまさかUFC世界王者にまで昇り詰めるとは正直、思ってもいませんでした。
「君は何も分かっていなかったら、俺に何も期待していなかったんだよ(笑)。UFCだってMMAの一つだ。他のイベントと同じ。強い者が勝つ。UFCを必要以上に大きく、強大な存在だと考えていると勝ち上がることができる力があっても、勝ち上がれなくなる。ただ戦う場所なんだよ。俺はUFCでもどこでもただ戦い、結果を求めてきた。そして、それに見合う金をくれってことだよ」
──なるほど(笑)。それでは暫定王者から正規王者になった気持ちを教えてください。
「クレイジーだ(笑)。なんていえば良いかな……俺は17歳の時からジョゼ・アルドの試合を見てきた。そして25歳になって戦うことができた。このギャップは凄いよ。アルドは今もフェザー級のトップで、勝ち続けチャンピオンだったなんて。
そんな彼のホームタウンで戦う。ジョゼ・アルドはブラジルでは国民的な英雄なんだよ。まったく、どうにかしてしまったよ。人生っていうのは、時にはとんでもない経験をさせてくれる」
──アルドを破り、人生が変わりましたか。
「俺は変らないよ。チャンピオンになる前から、チャンピオンになるために人生を捧げてきたわけだし。その自信を持ち続けて、やってきた。俺が変わったんじゃなくて、周囲が変わったんだよ。
ハワイで歩いていると皆が俺に気付く。俺のことを知っている。ファンが俺に気付いて、寄って来る。悪くないよ」
──以前、ハワイで一緒に練習をしていた田中路教選手がマックスはその生い立ちから絶対的な精神的な強さがあると言っていました。どのような少年時代を送っていたのか、説明してもらうことは可能でしょうか。
「ミチノリ・タナカがそんなこと言っていたんだ。俺はオアフ島の西側の街ワイナイで育った。素晴らしい街でなかったことは確かだ」
──私などはハワイに行った時にワイパフのMMAジムへ行くと言うと、ホノルルの人間から「危険だから行くな」と言われたことがあります。
「ワイパフより西だよ。車で15分か20分ぐらいかな。ワイパフよりよほど危ない街だった(笑)。色々あって……母親はドラッグに依存していたり、そんなこともあって俺は祖父母や叔父に育てられたんだ。だから住む場所も色々と変わった。
だからって大きく道を外すことはなかったよ。常にスポーツに夢中になっていたから。祖父も祖母は過度でもなく、過小でもなくちゃんと育つには十分な環境を俺に与えてくれた。そのために祖父がどれだけ苦労をしていたか、俺は知っている。
そんな祖父が俺を導いてくれたんだ。まぁ、土地柄もあり喧嘩は絶えないような生活だったけど、祖父母は俺に夕食が食べたいなら午後6時にテーブルにつけ、ヒジをついて食事をするなってことから、注文を付けてきた(笑)。
そしてしっかりと相手のことを想って、思いやりをもって生きて行けば俺は良い人生を送れるんだって説いてくれたんだ。情けは人為ならずって奴さ。
祖父と祖母の俺への接し方が、今の俺を創ってくれた。目標に向かって全力を尽くすことも含めて。俺は祖父や祖母の姿を見てきたから、絶対にチャンピオンになろうと思って努力し続けることができたんだ。今の俺があるのは……俺がUFC世界王者になれたのは祖父母のお陰だよ」
──そんなマックスがMMAを始めようと思ったきっかけは何だったのですか。
「最初は自分の身を守りたかったからだよ。さっきも言ったように高校生活ではストリートファイトが絶えなかった。誰彼になく喧嘩を売られたよ。だからキックボクシングを始めたんだ。
そうしたら、2日後に試合に出ることになった。そこでKO勝ちし、俺はK-1ファイターになろうって決めたんだ」
──最初はUFCチャンプではなく、K-1ファイターを志したのですか!!
「でも2年後、ハイスクールを卒業する頃になると、UFCがもの凄いことになっていた。そこで俺はUFCチャンピオンを目指すことにしたんだ」
──今も打撃が主武器のマックスですが、キックからMMAへ転向した際、距離間などに戸惑うことはなかったですか。
「時間が解決してくれたよ。MMAとスポーツキックボクシング、スポーツボクシングはレンジが違うことは明白だ。組み技やテイクダウンだって含まれているしね。とにかくMMAは身につける必要があることが多い。だから、時間は必要だった。要は必死で練習する必要があるってことだよ」
<この項、続く>