この星の格闘技を追いかける

【Interview】ジャン・エンホアォン散打協会代表 「MMAの指導者は、私の教え子ばかりです」

En Haug Zhang with Student【写真】1964年3月、台東(タイトン)出身のジャン・エンホアォン氏が、クラスの終わりの号令を懸ける。母親がパイワン族という原住民(日本では差別用語的に捉えられているが、台湾では先住民族は血が途絶えた民族を指し、原住民族という呼び方をするので、ここでは台湾風に倣う)の氏は、大陸系の華人よりもフィジカルに優れていたそうだ(C)MMAPLANET

MMAの土壌がない国、ただし、武術との接点という他の国では見られない現状が存在する台湾。そんな台湾で、コンバットスポーツとのつながりを以前より持っていたのが、中華武術散打協会会長の張恩煌(ジャン・エンホアォン)代表だ。台湾MMA界の黒幕ともいわれる代表に、散打の普及などについて尋ねた。

なお現在発売中のFight&Life Vol.44では、ここで採り上げたジャン・エンホアォンと共に摔跤、MMA、そしてブラジリアン柔術各分野を取材。MMAと武術の接点についてレポートした「Fight&Life 格闘紀行=台北編」が掲載されています。

──ジャン・エンホアォン先生が格闘技を始めたきっかけを教えていただけますか。

「両親が離婚し、父と一緒に住んでいた私は、こちらでいうところの自然格闘という格闘技を父に習うようになりました」

──自然格闘技?

「特にルールがあるわけでなく、台湾では原住民ごとにそれぞれ受け継がれてきた格闘技が存在しています。そして小学校3年生のときに、ブルース・リーの映画を見てカンフーをやりたいと思いました。詠春拳を習い、中学生になってからITFのテコンドーを学ぶようになり、ムエタイや柔道、高校に入ってボクシング、レスリングを始め、1982年に散打の台湾代表になり世界大会に出ました」

──散打の前にでも数多くの格闘技を習ってきたのですね。散打の代表になってから、常に散打を中心に活動してきて、現在に至っているのでしょうか。

「いえ、一時期マグロ船に乗り、インド洋へ漁に出かけるようになりました」

──!!

「みんなストレスがあってよく喧嘩を何百回としましたが、負けたことはなかったです」

――……。さきほど習った格闘技のなかに、散打が含まれていませんでした。散打を始めたのは、いつだったのですか。散打は大陸でスポーツ化したイメージがあったのですが。

「中学のときに既に散打の存在を知っていましたが、中学生は散打の練習をしてはいけなかったんです」

――エッ、そうだったのですか。当時、散打は台湾でポピュラーだったのですか。

「当時は擂台と呼ばれていました。国術擂台といわれ、既に大会も行われていたんです。擂台はタイペイ、タイチュン、南の方でも擂台祭として、どこででも開かれていました。今は大陸風に散打と呼ばれるようになりましたが、レベル毎に1年半に2度、3度と大会は開かれています。以前は本格的に散打を習っている台湾人は100人もいなかったです。今? 今は1万5000人ぐらい競技人口がいると思います。白、黄、緑、青、茶、黒という帯制度があり、緑色より上が5000人ぐらいいます。1991年に台湾チームを率いて大陸で試合をしました」

――もともと擂台は中国本土から移ってきた人が持ちこんだものだったのですか。

「1949年に大陸から来たものです」

――蒋介石の国民党とともに――ということですね。この道場では皆、道着を着用していますが、台湾の散打は道着を着て戦うものなのでしょうか。

「いえ。大道塾の東さんと親交があり、その影響を受けたんです。道場の練習では着せていますが、試合では道着はつけません。それにグローブをつけているので、投げはあっても道着を掴むということはないですから」

――なるほど、ファッションなのですね……。散打は大陸ではプロ大会が行われていますが、台湾の散打はどのような形で大会が開かれているのでしょうか。

「私は6回、プロ興業を行ったことがあります。日本人が出たこともあります。今はムエタイと散打に分かれています」

――ジャン・エンホアォン先生が道場を始めたのは?

「ここは13年、それ以前を含めると1983年から道場はやっています。それ以前も指導をしていたのですが、1983年に散打のジムを開き、私は指導に専念するようになりました。私自身は擂台の試合をしていましたが、道場経営や大会のプロモートは本業でなく、日本から文房具を輸入し、販売する会社を持っていました。今、会社の方は弟に任せていますが、社長のままです(笑)。そして、格闘技用具も大陸やタイから輸入し、販売も手掛けています」

――多角的なビジネスマンなわけですね。今、道場生は何人ぐらいいますか。

「登録しているのは500人ぐらいですが、いつも練習に来る人間は70人ほどです」

――ところで、台湾でどれぐらい散打は普及しているのでしょうか。

「さっきもいったように競技人口は1万5000人ほど、まぁそれほど普及はしていないです。でも、以前よりも100倍にはなっています(笑)」

――中国では散打とMMAの関係は非常に近しいですが、台湾では?

「MMA道場には私の教え子が、指導しているところばかりです。OFCのチケットが、こんなに私の下には回ってきます(笑)。サンボもMMAも、私は全て関わっています」

――では、台湾で最も人気がある格闘技は何ですか。

「一番人気のある武術は太極拳。飛び抜けて普及しています。それは何百万人というレベルです。続いてテコンドーです。500平方メートルに一つ、テコンドー道場はあると言われています。アテネ五輪で陳詩欣が台湾で初めて五輪金メダリストとなり、急激に人気が上がりました。そして空手、柔道。散打はその下ですが、柔道やレスリングよりも競技人口は多いです。まぁ、ムエタイと合せた数字ですが」

――今後、散打の普及にどのような展望を描いていますか。

「10年前に道を歩いている人、1000人に散打を知っているかと尋ねても、知っているのは1人ぐらいだったはずです。今は3人ぐらいは知っているでしょう。徐々に進歩している、なんせ3倍ですからね(笑)。もちろん、もっと頑張らなくてはいけないけどね」

――交流のあった大道塾、空道に選手を派遣する予定はないですか。

「MMAをやっている空手道場から、東さんの大会に出ているみたいですが、私のところは日本の空道の大会に出る力を持っている人間はいないです。ただ、去年の12月にビッグバンに1人、生徒が出場しています。だから、キックとも交流は続いています」

――キックと散打、ルールは違いますが、その2つとやるのは難しくないですか。

「それは問題ありません」

FL44

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