【PFC】北海道地産地消の格闘技大会Pound 4 Pound FCと、山本喧一の歩―01―「コツコツと井戸を掘る」
【写真】今や山本空良のお父さんという方が、浸透しているかもしれない山本喧一さん。見知らぬ土地での15年。我々が忘れそうになっている、コロナの影響と今を思い出させてくれました (C)MMAPLANET
POUND 4 POUND Fighting Championship=PFC。MMAPLANETでは北のMMAとして、その活動を紹介させてもらったこともある。と同時に現場で取材を行ったことがない、未踏の地でもある。そんなPFCを率いる山本喧一氏に、話を訊いた。
Text by Manabu Takashima
プロレスラー、MMAファイターとして活躍。MMAでは1990年代末Zuffa体制前のUFCで、UFC-Jミドル級トーナメントで優勝し、2000年12月16日にUFCライト級(元ウェルター級)王者パット・ミレティッチへの挑戦経験もある。
同時にタイタン・ファイトや自らの首を賭けた賞金マッチ=クラブファイトなど、格闘技イベントも開いてきた山本氏は、なぜ北海道・札幌という地で格闘技の普及に努める人生を送るようになったのか。プロモーターの声を拾うスペシャル企画――プロモーター津々浦々、第3弾はPFCを自らの箱PODアリーナで定期開催する山本氏にこれまでの歩みと、これからについて尋ねた。
札幌の人口は200万です。ただの地方でない
――リモート取材となりますが、山本さんがおられるのは事務所か何かでしょうか。大会ポスターが後ろに見えます。
「ここはうちのジムですね。ちょっとした事務所スペースがあります」
――MMAPLANETでは北のMMAとしてPFCを掲載させていただくこともあるのですが、現地で取材をしたことが一度もなく。今もPFCの活動内容や歴史を把握できていないのが、本当のところです。PFCの活動開始は2013年で間違っていないでしょうか。
「そうですね、2013年に立ち上げました」
――山本さん自身、何か札幌に縁があったのですか。
「いえ、全くなかったです。昔、10代のころにプロレスをやっていた時に巡業で来て、この街の方に良くしていただいたぐらいで(笑)。ただもう全く繋がりは残っていなかったですし、身内もいない場所でした」
――山本さんは大阪のイメージが強いです。
「そうですよね、出身地ですし(笑)。ただキャリア終盤になって第二の人生で自分が格闘技で経験し培ったモノを生かしたいと思うようになった時に、東京から大阪に戻るということはピンとこなかったです。大阪はそれなりに格闘技も盛んですしね。
自分のなかではある程度の都市圏なのに、格闘技のカルチャーが根付いていない場所で――という考えがありまして。まだ子供も小さかったし、北海道の自然のなかで育てたいと思ったんです。知らない人だらけの札幌に、家族だけで移住しました(笑)。それこそ家族で力を合わせて、コツコツと井戸を掘ってきた感じです」
――井戸を掘り続けることができたのは、土の下に水があったから?
「そうですね。地方都市と言われていても、広い北海道全体で500万の人が住んでいて。札幌の人口は200万です。ただの地方でないということに惹かれました。ここで格闘技文化を根付かせ、盛り上げることが格闘技への恩返しにもなるかなと」
――縁のない土地でジムを開き、そこからPFCを始めるまでどれぐらいの期間が掛かりましたか。
「僕がこっちに来たのが2011年の震災のすぐあと、4月でした。7月……8月にはジムを立ち上げて、2013年にPFCを始めたので2年弱でしたね。運よくジムには多くの人が来てくれるようになり、まずはジム内でグラップリングの大会を開きました」
――ジム内で開くということは……。
「ハイ。当時の北海道は大会数が極端に限られていたので。ほとんどないと言っても良い状態でした。成長しているジム生には試合経験が必要です。試合がないと壁にぶつかります。そうすると人材育成ができない。当初はジム内の試合を徐々にオープンにしていき、それがG-FIGHTやPFCに繋がっていきます」
――ジムを開いた当時から、北海道におけるMMAの普及をどのように感じていますか。
「正直なことをいえば、こちらに来た頃は肌感覚で20年ぐらい前の首都圏と同じようだと感じていました。ただ大会を継続できれば選手は育っていきます。まずは地産地消ですよね。北海道で育った選手が、北海道で試合をする。そして中央で試合機会を得る選手が出てきて、中央で結果を残すことができるファイターも育ち始めた。
北海道に来て15年、15年分は挽回できたかなと感じています」
――札幌以外で、それこそ大阪、名古屋、福岡、広島、仙台とプロ野球チームがあり、Jリーグのチームがある大都市といえる人口を誇る地方都市が、プロ格闘技に関しては圧倒的に首都圏と差がある。札幌にしても、北広島市のエスコンフィールドに本拠地が移っても、北海道日本ハムファイターズの試合には常時2万人のお客さんが入っています。RIZINが進出しても、お客さんは入る。この地方大都市と首都圏の格差は……。
「僕がこっちに住んで感じたのは、北海道は本当に住むのには凄く良い場所です。ただ格闘技に関して、競争がなかったです。何より、試合がない。僕が札幌に来た頃は、アマチュア修斗が年に1回あるかないか。TVで格闘技を見ても、どうやってその場に行くのか。どこで、格闘技を始めて、どこで試合をすれば良いのか。それが分からない。試合機会が少ないということは、選手も経験が積めない。地道に頑張っていて力がついた時には。ある程度の年を重ねてしまっている」
――野球やサッカーは、クラブチームや学校の部活動があるので、頂点までの道が全国規模で確立しているのとは違うとうことですね。
「そういうことですね。ウチでもプロの試合を定期的に開くようになった時に、それ以前にプロになっていた人達が『もっと早く、やってほしかった』という風に言っていました。切磋琢磨する、競争できる環境が地方都市は乏しい。それを創ってあげることが、まず第一歩だと思います」
『このスペースがあるならば、コロナが長引いても大会も続けられる』と
――その山本さんが開くプロ大会、PFCはここ数年PODアリーナで開催されています。つまりはジムが会場となっているのですか。
「そうです。コロナの時にジムを移転しました。コロナ禍の時に大会を開くにしても、貸してくれる会場がなくなりまして……。私が大会を開いているタイミングで、緊急事態宣言もありました。色々な策を講じて、大会は開くことができたのですが、そこから会場は借りられなくなり、ジムもフィットネス・クラブもどんどん畳まれるような大変な状況になっていきました。
でも井戸を掘ってしまった以上、歩を止めたくなかったです。なんとかしようと、当時もウチでは練習を続けていました。他の道場の選手まで練習をしてもらうことはできないけど、支部を創って対抗戦をしてコロナを凌ぐ……なんてこともやっていましたね。
その支部はもう閉めたのですが、コロナの最中に本部の入っていたビルが老朽化で移転しないといけなくなったんです。40坪ぐらいのところでやっていたのですが、同じような物件がなくて。困っている時に、『この場所、良ければ使ってください』と言って下さる方がいて。それが今のジムの建物のオーナーの方です。
80坪ほどあるスペースで、地下鉄の駅から直結という好条件でしたけど、自分としては『家賃が払えない』というのが本音でした。そうしたら『山本さんが払えるだけで構わない』と言ってくださって」
――それは……。
「自分、コロナの時に閉めたのですが、10年ほど居酒屋もやっていたんです。そこでも、お客さんをたくさん紹介してくれたりしてくれていた方で。『山本さんは、この街を盛り上げようと頑張ってくれていたから、この場所を使ってほしい』と言ってくださって。もう、それは破格の賃貸料で貸していただけました。
その時に、『このスペースがあるならば、コロナが長引いても大会も続けられる』と思ったんです。会場費が掛からないから、採算も取れると。なので、思い切って投資をしてプチホール兼ジムとしました。去年の12月に奥のバックヤードを拡張して、椅子席を全体100ぐらい設けることができるようになり、それ以外は立ち見や地べたに座ってもらっていますが、アベレージで300人ほど見てもらえる会場になりました」
――拡張としたということは、それだけ需要があったということですね。
「ハイ。コロナが収まってから、見に来てくれる人も増えましたね。ここで大会を行える利点は、景気に左右されないということですね。北海道ではコロナのダメージは、経済的に本当に大きかったです。うちもスポンサーさんは飲食関係が多かったので、もうそんな余裕があるわけないですし。でも、ここを借りたことでジムの収益もあるので、スポンサーがなくても、年に4回は大会を開くことができるようになったんです。それで他から、選手を呼べる経費が確保できています。たくさん儲けようと思わなければ、全然回ります。自分が銀座で飲もうとか、贅沢をしなければ(笑)」
――ハハハハ。現状、地方都市ではDEEP系、パンクラス系、そして修斗系の大会と分かれており、行き来はあまりない。現状で札幌、PFCは縦割り構造のようなモノは存在しているのでしょうか。
「うちからは規制は何もないです。ただし、他の方がPFCには出ないようにという空気はあったことは……否めないです」
――「××に出るな」というお触れは契約を結ぶことか、選手に他で戦わなくても良いだけの出場機会を与える状況なら、まだあるかとは思いますが……。福岡など独立系BLOOM FCと修斗公式戦の闘裸男の両大会に出ている選手もいて、それこそが選手の試合機会が増え経験が積める良い状態かと。
「基本的に現状としては、北海道で地産地消でプロMMA大会を定期的に続けられているのはPFCだけになっています。やはり、イベント開催は簡単ではないですし。特にスポンサーの有無に左右されるので、骨が折れる仕事です。それがウチでは、会場を持てて定期的かつ継続的に大会を開くことができました。
いろいろなコトはありましたけど、『選手が出たいと思うイベントしよう』とコツコツと井戸を掘ってきました。他から移ってきた者として、ここの小さな市場を奪いに来たのではなくて大きくしようと。そう思ってPFCを続けてきました。北海道のすべてのジムからPFCに出て経験を積んでほしいですし、その流れは着実に広まっているように感じています」
<この項、続く>

















