【Special】アジアの猛者たち─03─ラジャブアリ・シェイドゥラエフ「基本的にバンタム級のファイターだ」
【写真】シェイドゥラエフと同様に、いや彼以上のノリノリだったマネージャー氏もスクショでしっかりと写り込んでくれました(笑)。そして――シェイドゥラエフ、まるまるしているぞ (C)MMAPLANET
UFC、RIZIN、北米フィーダーショー、日本のプロモーションと世界中のMMAを見渡してみると、明らかにアジア勢が台頭しつつある。もちろん、アジアといっても広い。その勢いの中心は東アジアではなく、中央アジアだということも百も承知だ。MMAPLANETでは6月から日本人ファイターと肌を合わせた経験がある──あるいは今後その可能性が高いアジアのファイター達にインタビューを続けてきた。
題して「アジアの猛者たち」──第3弾はキルギスからラジャブアリ・シェイドゥラエフのインタビューをお届けしたい。
Text by Manabu Takashima
6月9日のRIZIN47で武田光司をテイクダウンからバック奪取、ほぼワンアームでRNCを極め一本勝ち――初来日で、大きなインパクトを残した。日本のフェザー級トップファイターを圧倒したシェイドゥラエフに格闘家人生を振り返ってもらい、今後について尋ねた。
求められた階級で戦うが、武田に圧勝したフェザー級は本来の階級ではない――とシェイドゥラエフは断言した。
日本人と戦う僕に声援を送ってくれて、本当にビックリした
――RIZIN47での武田光司戦、大きなインパクトを残しました。改めてRIZINデビューを振り返ってもらえますか。
「日本で初めて試合をしたけど、大会自体を振り返ってもレベルの高い試合が多くて素晴らしかった。自分自身、凄く良い勝ち方ができたのでチャンピオンシップで日本に戻ることを期待している。
去年は韓国で1試合を戦って(6月にヤン・ジヨンにRNCで一本勝ち)、韓国も凄く発展した素晴らしい国だった。日本は、とにかく人々が優しい。それが日本の印象だよ。そして街が凄く綺麗だ。日本のことが大好きになったよ」
――私は1度ビシュケクを訪れたことがあるですが、羊肉の美味しさと3泊の滞在で交通事故を3度目撃し、一度は自分が乗ったタクシーだったので、車の運転が危ないという印象が残っています(笑)。
「日本では皆がルールを守っていることも驚いた(笑)。そして、物凄く大人しい。赤信号を無視している人もいない。東京はあんなに大都市なのに、大して交通渋滞もなかった。皆がルールを守っているからだよね。歩いている人も、信号が変わるのをジッと待っていて本当に驚かされたよ(笑)」
――そこまで交通ルールを守っているとは思わないですが、多くのドライバーが譲り合いの精神を持って車を運転しているのは確かですね(笑)。
「凄く我慢強くて、ビックリしたよ。それとRIZINで戦って人生で2つの初体験ができた。1つはあんなに大きなイベントで戦ったこと。過去最大のショーに参加することができた。少しナーバスになったけど、本当にエキサイティングだった。2つ目はファンの皆が歓迎をしてくれたことだ。日本人と戦う僕に声援を送ってくれて、本当にビックリしたし嬉しかったよ」
――シェイドゥラエフ選手のファイトは、それ以上に日本のファンを驚かせたと思います。あの武田選手にレスリングで勝ち、一本勝ちをしたのですから。ライト級から階級を下げた武田選手に対し、シェイドゥラエフ選手はバンタム級から上げてきたわけですし。
「タケダが70キロで戦っていて、優れたレスラーだとは聞いていた。もともと僕のベースはグラップリングと柔術で記者会見の時からRNCか何かで一本を狙うと宣言していた。特にRNCにこだわったわけではないけど、とにかくグラウンド戦に持ち込むつもりだった。その試合で一本勝ちができて、自分でも自信になったよ」
――最後はRNグリップで終わらせましたが、ワンアームでほぼ極めていました。「僕はワンアームでチョークを完成させることができる。
あの時はコーチからラウンド終了まで時間がないという指示があったから、RNグリップに切り替えたんだよ」
高校の頃までは自分でトレーニングをして、それをストリートで試すことしかできなかった
――あのフィニッシュで大きなインパクトを残したラジャブアリ・シェイドゥラエフ選手ですが、我々はまだまだ知らないことだらけです。最初の格闘技経験は何だったのでしょうか。
「柔術やグラップリングを始める前は、レスリングをやっていた。高校を卒業してからレスリングを始めたんだけど、それ以前は自分の家で自己流のトレーニングをしていた。腕立て伏せ、そして石を持ち上げていたんだ(笑)」
――石を!! それはファイターを目指すためのトレーニングだったのですか。
「そう、ファイターになるためだよ。実際にレスリングを始めたのは高校卒業後で、高校時代はサッカーと柔道をやっていた」
――柔道の経験もあったのですね。とはいえ高校を卒業するまでレスリングの経験がなかったのは意外です。
「実は僕の育った環境は少し変わっていて、タジキスタンとキルギスの国境付近の小さなジェルゲタウ村で生まれて、高校まではタジキスタンで生活をしていたんだ。そして高校を卒業して、国境を越えキルギスでプロフェッショナルを目指すためのトレーニングを積むようになった」
――国境の小さな村……シェイドゥラエフ選手は子供の頃から乗馬の経験は?
「もちろん、あるよ。僕らは皆、馬に乗って成長しているようなもので。いうと、もうプロ級だと思ってもらっても構わない(笑)」
――RIZINの柏木信吾さんの言う「羊肉を食べて、乗馬をしていたファイターは強い」説そのものです。ところでタジキスタンとキルギスの境にある村から、どのようにプロのMMAファイターになる過程が必要だったのでしょうか。
「ずっとMMAに興味はあった。でも高校の頃までは自分でトレーニングをして、それをストリートで試すことしかできなかったんだ。卒業後、ビシュケクに移りプロになるためにレスリングのトレーニングを本格的に始めた。イェラムというジムで、エラリアス・アカルベコフにレスリングを習った。3年後MMAに転じて、イーラスMMAに移って今も所属している」
――イーラスMMAはBRAVE CFライト級王者アブディサラム・クバチニエフ、ONE FFからBRAVEに転じたアジエット・ヌルマトフ、オクタゴン戦うルスラン・カシマリ・ウルルというキルギスのトップファイターが所属するジムですね。ところで、あれだけの組み力と極め力を持っているシェイドゥラエフ選手ですが、柔術では何帯を巻いているのですか。
「帯は持っていない。でもグラップリングも柔術もトーナメントは把握できないほど出ている。両方のスタイルで何度も優勝しているよ。それとは別に打撃も許されたコンバット柔術(Combat Jiu Jitsuではなく、Combat Ju Jutsu。コンバットサンボのようにスタンドで打撃、投げ、寝技で打撃も認められた道着有りの柔術)でも戦いアジア王者になっている」
――今もビシュケクで練習を続けているのですか。
「普段はビシュケクで練習をすることが多いけど、キャンプではタイ、ダゲスタンに行くこともある。タイやダゲスタンでスパーリングをすることで、成長の助けになる。経験値を高めることができるからね」
――ところで前回の日本での試合ではフェザー級で戦っていましたが、以前はバンタム級でも試合をしています。今後はどちらの階級で試合をしようと考えていますか。
「キャリアの序盤はバンタム級で戦っていた。でも、前回の日本での試合は体重を61キロまで落とすには十分な時間がなかった。だから66キロで戦ったんだ。体重を落とす時間があればバンタム級、なければフェザー級。どちらの階級でも構わない。オファーがあった階級で戦うよ。どちらの階級でも、誰とだろうが戦う準備はできている。チャンスが巡ってきた階級でチャンピオンを目指すよ。
だたし基本的に僕はバンタム級のファイターだ。フェザー級で戦うと、体格的に厳しい相手が時折り出てくる。だからRIZINでもバンタム級で戦っていきたいというのが本音だよ。前回の試合は66キロまでしか落とせないと思ったからフェザー級で戦った。継続参戦できるなら、バンタム級でやっていきたい」
――今の言葉を聞いたRIZINフェザー級とバンタム級のファイターの反応が知りたいです(笑)。
「アハハハハ。子供の頃から地元のローカルファイターやカビブ・ヌルマゴメドフの映像を視ていて、大きな会場で試合をすることを夢見るようになった。今、RIZINという世界で最大のプロモーションの一つで戦えるようになった。夢が実現して、神に感謝している。
日本のファンにも同様に感謝の言葉しかない。大会中の彼らの声援は本当に最高だった。少しでも早く日本に戻りたい。ファンの皆をガッカリさせない、最高の試合をしたいと思っている」