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【The Shooto Okinawa#08】12年振りの修斗公式戦、ザ・タイガー石井─01─「何か燻っているものがある」

【写真】渋い。大人なザ・タイガー(C)SHOJIRO KAMEIKE

16日(日)、沖縄市のミュージックタウン音市場で開催されるTHE SHOOTO OKINAWA#08のメインで、ザ・タイガー石井が旭那拳と対戦する。
Text by Shojiro Kameike

現在43歳の石井が修斗でプロデビューしたのが2003年、そのMMAキャリアは20年に及ぶ。リングネームも「タイガー石井」から「ザ・タイガー石井」と変わり、様々な舞台を渡り歩いてきた末に、12年ぶりに修斗参戦を果たす。「MMAを辞めようと考える時もあった」という石井だが、それでもなお戦い続ける理由とは。


――プロ修斗沖縄大会を控えているタイガー石井選手です。修斗でプロデビューしたのが2003年、Zoomの画面越しでも貫禄が伝わってきます。

「アハハハ、今年もう44歳になりますからね。MMAデビューから20年経っていて、その前にキックボクシングで1998年にデビューしているから、もう同世代の選手も少なくなってきています。それでも今までの試合は、一つひとつ覚えているんですよ」

――えっ、デビュー当初の試合も明確に記憶しているのですか。

「デビュー当初だけじゃなく、他の試合も事細かく覚えていますね。いつ何処で誰と対戦して、どんな試合内容だったか。格闘技サイトに僕の戦績が載っているじゃないですか。あれって抜けているのもあるんです。それが分かるぐらい自分自身で覚えています」

――それは凄いです。ただ、それだけ同世代の選手が引退していくなかで、石井選手がMMAを続けている理由は何なのでしょうか。

「続けられるかどうかというのは考えています。前の試合(※3月12日のPFCで、亀松寛都に5R判定負けでベルトを失う)もそうだったんですけど、前はできていたことが今はできなっているというのも多くて」

――それでも亀松戦は5Rフルで動き続けて、敗れましたが大接戦でした。

「前回の試合は頑張りました(笑)。やはりPFCのベルトには思い入れがあったし、大事なものだったので。何より自分が負けると想定していなかったので、心のダメージも大きいです。確かに5Rは長かったんですけど、2Rが終わった時点で『疲れた』とかっていう感覚もなくなっていました。この先どう戦うか、そういうことしか考えていなかったです」

――もともと石井選手はキックボクシングがベースにあり、修斗でプロデビューした当初は打撃主体のスタイルでした。しかし亀松戦では、どちらかといえばテイクダウンとグラウンド勝負の展開が多かったです。石井選手のファイトスタイルは、キャリア20年の中で、どのあたりで変わっていったのでしょうか。

「前回も打撃の展開になると思っていました。だから打撃の練習が中心になっていたのに、なぜか体が動いたのはテイクダウンと寝技の展開だったんですよ。自分でも意外で(苦笑)。試合の中で、『テイクダウンするほうが良いな』と自然に動いたんですね。

相手のほうが初戦(※2020年3月、石井が腕十字で一本勝ち)より強くなっていたのは確かでしたが、やはり負けてベルトを失ってしまったのはショックでした。PFCの試合の前に修斗沖縄大会に出る話は進んでいましたし、北海道のベルトを持って沖縄の大会に参戦するつもりだったので」

――まさに日本MMAの縦断ですね。石井選手の所属は「とらの子レスリングクラブ」となっていますが、現在はどのような練習環境にあるのでしょうか。

「基本的にはフリーランスで、主にトイカツ道場でMMAの練習をさせてもらっています。あとは出稽古に行かせてもらったりとか。所属名は――フリーランスよりは何か名称があるほうが良いと思って。『とら』はタイガーで、いつか子供たちに格闘技を教えられたら良いなと思って、子供に分かりやすいように平仮名にしました。ということで、そこまで所属名に深い意味はないです(笑)」

――石井選手といえば修斗でデビューして以降、ケージフォースやパンクラス、ファイティング・ネクサスからPFCまで、様々な舞台で戦ってきました。もちろん勝つ時もあれば負ける時もあり、起伏の大きい20年間を過ごしてきたと思います。そのMMAキャリアのなかで、何を追い求めて戦ってきたのでしょうか。そして今後も、何を求めて戦っていくのか。

「まぁ、良い時もあれば良くない時もありましたよね。同世代の選手も引退してジムを始めたり。そのなかで自分が選手を続けるのは――辞めるっていう選択肢がなかったですね。もし格闘技を続けられないぐらいの大怪我をしたりしたら、その時は考えます。あるいは試合でコテンパンにされて、『自分はもうここまでなんだ』と考えたら、それは辞める時だと思います。でも、まだ自分の中に何か燻っているものがあるんでしょうね」

――くすぶっているもの……それは何なのでしょうか。

「怒り――かもしれないですね。業界に対しての怒りだったり、自分に対する怒りだったりとか。もう最近はなくなりましたけど、『いつか見返してやる』という気持ちは強かったです。昔はよく『お前なんか、もうダメだよ』とか言われることもありました。そう言われると、自分でも『もうダメなのかな……』と考えたりすることもあって。でも言われるたびに『いつか見返してやる』という気持ちが湧いてききたんです。それが僕の原動力だった時代もありましたね。特に勝てなかった時期は」

――2007年から2009年にかけて、修斗では連敗を経験する時期もありました。

「あぁ、全然勝てなかったですね。当時の修斗は、後のトップ選手が多くて。今の選手って技術的なレベルは、すごく高いと思うんです。でも当時の修斗は、技術的な面だけでは測れない強さがあったというか。あれって何だったんですかね? なかなか口では説明しづらいですけど」

――当時の修斗――特に北沢タウンホールで行われているクラスBの試合には、狭き門を潜り抜けるために、ただただ強くなるためだけに戦っていた熱があったと思います。今は違うとは言いませんが、やはり時代の違いはあるでしょう。

「そう、そうなんですよ。MMAの修行僧みたいな感じで。正直、MMAをやっていて金を稼げるのは一部の選手だけだし、プロスポーツとしては当たり前だと思います。自分も一時期、就職して仕事のほうが割合も高くなったことがありました。でも仕事しながら練習していると、やっぱり難しい。『自分はもっと強くなりたいんだ』と思ったんですよね」

<この項、続く

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