【Pancrase328】透暉鷹と暫定フェザー級王座決定戦。プロMMAファイター亀井晨佑が生まれるまで
【写真】1997年1月生まれの25歳、プロMMA戦績は5勝2敗で現在2連勝中だ(C)SHOJIRO KAMEIKE
18日(月・祝)、東京都新宿区のベルサール高田馬場で開催されるPANCRASE328で、亀井晨佑が透暉鷹とフェザー級暫定王座を賭けて対戦する。
Text by Shojiro Kameike
フェザー級挑戦者決定トーナメント(フェザー級4-MAN TOURNAMENT)は、透暉鷹の優勝で幕を閉じた。しかし王者のISAOが練習中の怪我のため防衛戦を行うことができないため、透暉鷹と亀井の間で暫定王座決定戦が行われることに。亀井はそのフェザー級4-MAN TOURNAMENTの1回戦で、大激闘の末に中田大貴を判定で下したが、ダメージを考慮した主催者判断で決勝戦に進むことができなかったという経緯がある。改めて臨む暫定王座決定戦――まずはパンクラスフェザー級イチのストライカーが生まれるまでの経緯を訊いた。
――パンクラスのフェザー級暫定王座決定戦を控えている亀井選手です。その試合といいますか格闘技のお話の前に、現在は薬剤師の仕事もされているのですか。
「はい。プロのファイターになったのが5年ぐらい前で、当時はまだ薬学部の学生だったんです。その頃から格闘技と並行してやっていました」
――では、なぜ薬剤師になろうと思ったのか。それと並行して格闘技をやろうと考えたのか、各々キッカケから教えていただけますでしょうか。
「どちらも、やろうと思ってやったわけではないんですよ。高校時代に仲の良い友人がいて、ソイツは頭が良かったんです。だから、その友人の言うことを聞いていれば、今後の人生は問題ないだろうと。その友人が『大学で薬学部に進めば将来が安心だから』と言っていたので、自分も付いていったような感じです。ただ、友人からは『大学に行っておけば楽だから』と言われたんですけど、大学の勉強はメチャクチャ大変で(苦笑)」
――医薬系の学部は、特に入ってからのほうが大変だと聞きます。
「なのに、入ってから大変だと思っていなかったんですよ(笑)。MMAを始めたのは、大学に入って半年ぐらい経ってからですね。小学校、中学校と野球をやっていて、高校から柔道を始めました。兄貴がグレていて、更生のために柔道部に入れられていたんですけど、僕も高校に入る時に同じ柔道の先生から誘われて」
――亀井選手はグレていたわけではなかったのですか。
「アハハハ、全然グレていないです。自分もタイミング的に、もう野球はいいかなと思っていたので。でも、いま考えるとバカですよね。そのノリで柔道を始めちゃうのは」
――それは柔道時代の実績にもよるかとは思いますが……。
「都大会に出て1回戦で勝てるかどうか、というレベルでした。雑魚中の雑魚でしたよ」
――柔道時代には実績を残せていなかったにも関わらず、そのままMMAを始めた理由は何だったのでしょうか。
「それも兄貴の影響でした。兄貴がUFCを見ていて、自分も一緒に見ながら『MMAってカッコいいな』と思ったんです。でも、大学に入ってからもプロのファイターになりたいという気持ちは、全然なくて。まずフィットネス感覚で柔術をやりたくなり、どこかで柔術をやれないかなと探して、パラエストラ八王子に入ったのが始まりです。
なのに、柔術の試合には1回も出たことがないという(笑)。MMAの試合でも、そんなに柔術のような寝技をやっているわけでもなくて」
――確かに、MMAの試合ではあれだけ打撃戦を展開する亀井選手が、まさか柔術からスタートしているとは思いませんでした。
「柔術クラスの前にキックボクシングクラスがあって、参加したらキックボクシングのほうが楽しくなったんです。それで館長(塩田Gozo歩パラエストラ八王子代表)からも、『キックボクシングもできるようになったから、試合に出てみなよ!』と言われて、MMAの試合に出たら勝っちゃいました」
――それはキックボクシングではなくMMAの試合だったのですか。
「キックボクシングのクラスに参加していましたけど、キックの試合は1回しか出たことがないです。ずっと館長からMMAの試合にも誘われていたんですが、自分はキッククラスに出てパッと帰るっていう感じで。それがMMAの練習もしないまま、なかば強引に(笑)」
――それだけMMAの試合に誘うということは、塩田館長も亀井選手に可能性を感じたのかもしれません。まず身長やリーチなどが、他の会員さんとは違ったでしょう。
「アハハハ、どうなんですかね。ただ、プロになるのは……もともと自分も、MMAのプロ選手ってカッコいいと思っていました。金原正徳さんや鹿又智成さんとか。僕がパラエストラ八王子で見ていたプロ選手は、入門した時にはいなかったですけど……今であれば徳留一樹さん、高橋Bancho良明さん、海外からもナム・ファンさんが来ていたりしています。
プロの中でも凄い選手ばかりなんですよね。凄いというか崇拝に近い気持ちを持っていて、自分みたいなペーペーがプロになりたいと発言するのは、その人たちに対して失礼だと思っていました。だからプロになったキッカケというのは……もうアマチュアの試合で勝ったからプロになるしかない、そんな感じでしたね」
――その流れでプロデビューし、ネオブラッドトーナメントで優勝してしまうのが、MMAの不思議なところでもあります。しかも決勝では強烈な右フックでKO勝ちしました。
「DARANI DATE戦ですよね。僕はアマチュアで4戦して3試合がKO勝ちだったんですけど、唯一KOしていなかったのがDARANI選手で」
――プロになって再戦でKO勝ち、すると自分もプロで勝ち上がっていけるのではないかと思いましたか。
「ぶっちゃけ、ネオブラが終わったあとは、そう思っちゃいますよね。プロの世界って、ずっと敷居の高いものだと思っていました。でも、ここまで勝てると――天狗になるわけではないけど、このまま行けるんじゃないかって」
――しかし翌年、内村洋二郎戦とビクトル・ウーゴ戦で2連敗を喫しました。
「内村さんとの試合は、本来は自分がやるべきことを内村さんがやってきていたと思います。キツいところは組んで、休むべきところは休むというか、試合の組み立て方ですよね。あぁ、MMAってこういうことなのかと思いました。組み技の技術って組み伏せたり、漬けて勝つためだけのものではない。それに気づいたんです。世界的に見ても、強い人は全部できる。それを自分はやってこなかった。だから、やらないといけないって」
――当時、打撃以外の練習はどのように行っていたのでしょうか。
「本当の意味で組みの練習をやり始めたのは、内村戦のあとだと思います。その頃にパラエストラ八王子で青木真也さんのMMAクラスが始まったんですよ。それまで普段の練習では、あまり組み技の練習はやっていなくて。青木さんのクラスから、しっかり組み技に取り組むようになりました」
<この項、続く>
■視聴方法(予定)
7月18日
午後2時30分~ TIGET LIVE
午後2時30分~ ABEMA PPV ONLINE LIVE(※第1部のみ)
午後4時30分~ U-NEXT(※第2部のみ)