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【GLADIATOR017】メインでヘビー級王座防衛戦、大番高明「話を頂いたら─有難うございます。やります」

【写真】対戦相手が限られているがゆえに、試合の機会を逃すことがないヘビー級戦士(C)SHOJIRO KAMEIKE

5月1日(日)、大阪府豊中市の176boxで開催されるGLADIATOR016で同ヘビー級王者の大番高明がカルリ・ギブレインを挑戦者に迎え、ベルトの防衛戦を行う。
Text by Shojiro Kameike

旧体制グラジエイターでヘビー級のベルトを巻いていた大番は、新体制下でも初代同級王者に認定された。新生グラジエイターのヘビー級王者としては、今回が初防衛戦となる。

2007年にプロデビューした大番は、国内ヘビー級の中でもベテランの域に達した。今回、2年半ぶりにMMAを戦う大番に、ヘビー級での歩みと試合への意気込みを訊いた。


――試合前に恐縮なのですが、大番選手に以前から一つお聞きしたいことがありました。

「はい、何でしょう?」

――かつて大番℃-Boy高明というリングネームで試合をしていましたが、この℃-Boyとは一体何だったのでしょうか。

「アハハハ、ヒップホップが好きで、B-BOYという言葉をもじったものなんですよ。さらに℃を使ったのは、当時℃という文字を使っていたアイドルがいて。でもあれでシーボーイと読むのは難しかったですよね。リングネームをひねりすぎました(笑)」

――その℃-Boyをリングネームに入れていた頃は、修斗のミドル級(83kg以下、当時)で試合をしていましたよね。その大番選手がなぜ、ヘビー級に転向したのか……。

「最初は修斗のミドル級で、5試合ぐらいしました。新人王の頃は対戦相手がおったんですけど――これは各プロモーションに言えることで、国内では83キロの選手が少ないから試合がなくて。僕は普段100キロぐらいあるんですよ。そこでデモリッション・ウエストから、100キロの選手と試合しないかというオファーがあったので、1試合ヘビー級で戦ったんです。その試合で、100キロでも意外とやれるかな、と思って。そのあと前体制のグラジエーターで、戦闘竜選手と試合することになったんですよ」

――2011年9月に地元・広島で、かつてPRIDEにも出ていた戦闘竜選手と対戦していますよね。

「これはヤバいなぁと思って(笑)。自分はPRIDE世代で、メッチャPRIDEで見ていましたから。もちろん自分が噛ませ犬のようなポジションでしたけど、結果は120キロぐらいある戦闘竜選手にRNCで勝ったんですよ。そこからですね、減量せずに100キロぐらいでも戦えると思ったのは」

――当時、大番選手が戦闘竜選手と対戦することも意外でしたし、後に試合映像を見ても大番選手が勝利した瞬間の会場の盛り上がり様は凄まじかったです。

「メチャクチャ盛り上がっていましたよね。今でもあの試合のことを言われます。みんな噛ませ犬が勝つとは思っていなかったでしょうし(笑)。僕もまず戦闘竜選手と試合できるっていうのが嬉しかったし、自分のキャリアの中で大きな山場でした。もう10年経ちますけど、あの試合がなければ、たぶん今は格闘技をやっていないでしょうね」

――MMAを始める前から、体重は100キロあったのでしょうか。

「そもそも柔道をやっていたんですけど、その頃から普段は100キロ弱あって、試合は90キロ級に出ていました。アマチュア修斗に出始めた頃は、そこから減量して当時のクルーザー級(90キロ以下)で試合をしていたんですよ。でも、やっぱりクルーザー級は選手が少ないから、3年目ぐらいに83キロまで落として、プロ昇格しました。

それが当時から83キロは選手が少なくて……今はウェルター級(77.1キロ以下)でも試合が少ないじゃないですか。逆に、今はヘビー級選手のほうが試合しているイメージもありますよね」

――確かに現在はDEEPメガトンをはじめ、国内でもヘビー級の試合が増えていますよね。もともと柔道をやっていた大番選手が修斗からMMAを始めるようになったキッカケは何だったのでしょうか。

「柔道を中高で6年やっていたんですけど、中学校の時に外部コーチとして藤田先生が来ていたんですよ」

――藤田先生とは、藤田柔術の藤田善弘さんですか。

「そうです。僕にとって藤田先生は、もともと柔道の先生だったんです。藤田先生は町道場で子供たちに柔道の稽古をつけたり、学校の部活で顧問とは別の外部コーチとして来たりしていて。それで高校は弱小柔道部だったけぇ、自分が一番強かったんです。すると藤田先生が『大番、これでは柔道の練習にならんじゃろう? 俺らは夜に柔道とは別のことをやっとんじゃけど、やったら柔道に生きるけぇ』と誘われて行ったのが、今のパラエストラ広島の始まりですね。藤田先生が集めた仲間と総合格闘技や柔術の練習をして。そこで練習していると、柔道より面白くなってきて。それが高校1年生の終わりぐらいでした」

――パラエストラ広島の創成期ですね。当時の練習場所は、まだ公共施設だったのでしょうか。

「そうですよ。だから7時ぐらいから練習し始めて、9時半ぐらいになったら電気を消されるんです。電気を消されたら、みんな帰るという(笑)」

――アハハハ、古き良きエピソードです(笑)。

「結局、そっちの練習のほうが面白くなって。柔道は高校で終わりにして、アマ修斗に出始めました。それで修斗でプロになった、という感じですね」

――ミドル級からヘビー級に転向し、減量などは楽になったのでしょうか。

「減量は楽になりましたけど……相手もデカいから、プレッシャーは凄いですよね(苦笑)。83キロだったら、自分は割と背が高いほうだったんですよ。でもヘビー級では、相手が縦も横もデカいなって」

――グラジからIGFを経て、2016年3月にはPXCで現UFCファイターのロッキー・マルチネスとも対戦しています。

「ロッキーは、身長は高くないけど横はデカくて、やねこい(広島弁で「つらい」の意)相手でしたね」

――そのマルチネス戦は壮絶な打ち合いの末、KO負けを喫しました。ヘビー級は相手のサイズが大きくなるぶん、打たれるとダメージも溜まりませんか。

「でもミドル級でもパンチが強い選手はいますからね。ヘビー級はダメージが溜まるより、パンチを食らったら一撃で意識が飛ぶんですよ」

――なるほど……そうしたヘビー級での歩みについて、ご自身ではどう考えていますか。

「重量級は相手がいないんで、来た話を片っ端からやっちゃろう。そういう感じで試合をしていました。MMAに限らずキックも、ラウェイもやったし。ありがたいことに、当時のグラジエイターのプロモーターさんがIGFやグアム(PXC)、韓国(2016年10月にAngel’s FCでイム・ジェンスと対戦)の話をくれたりして。お話を頂いたら『有難うございます。やります』っていう感じでした。使ってもらえるなら、どんな試合でも」

――Angel’s FCから前回の新生グラジエイター参戦、2019年7月のホネル・マツダ戦までMMAの試合は行っていなかったのですよね。

「はい。それは単にオファーが無かっただけですね。あと当時は地元で自主興行をやっていました。広島の格闘技を盛り上げたくて。自分はMMAファイターですけど、使っていただけるなら何の試合でもいいです」

<この項、続く

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