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【ONE115】ヨッカイカーと対戦、和田竜光─01─「格闘技をしたことでコロナに感染して死ぬなんて嫌です」

【写真】格闘技が人生のプライオリティでないことが、真剣に格闘技と向き合わないこととはイコールではない (C)MMAPLANET

18日(金・現地時間)にシンガポール・インドアスタジアムで開催されるONE115「Collision Course」で、ヨッカイカー・フェアテックスと対戦する和田竜光をBEMA TVのTHE WONDERが追った。

11カ月ぶりのMMA、コロナの第一波の頃──和田の姿は格闘技道場で見られなくなった。

格闘技は人生を豊かにするもの、格闘技のために死ねないと断言する和田が戦線復帰、試合前の心境と──その格闘技感を迫った。


──12月18日にシンガポールで試合が決まりました。1月のイヴァニウド・デルフィーノ戦以来のMMAとなります。この間、新型コロナウィルス感染問題が世界中で起こりましたが、和田選手は周囲の練習仲間と違い、自粛期間中などの練習をしなかった派の選手でした。

「まず1月の試合は腰痛が酷いなかで、何とか試合ができたというのがあり、その後のダメージの回復を待つ時期がありました。

そういうなかでコロナで米国で何万人が亡くなり、NYでは死体の山が築かれ、欧州はどうだこうだという話だけが伝わってきて、それが日本でも起こるかもしれないという状況でした。

あの頃、子供がまだ1歳にもなっていなくて。子供は重症化し辛いけど、1歳以下の幼児はしやすいという話でした。自分から子供にうつすことも、他の人にうつすことも嫌でした。自分が他の人からうつされて、子供が罹患することも絶対に避けないといけない。

当時はコロナがどれだけのウィルスなのか分かっていなかったですし、練習や試合の優先順位は僕のなかで全く一番ではないのでやらなくて良いということでした。自分でできるトレーニングをして、感染しないように気を付けようと。

腰のこともあって、しっかりと治そうと。ダメージは長引きましたし。ちょうど、良いと思ったところもありましたね」

──仕事の方は?

「続けていました。僕がしている仕事は、他の人と関わることがないので。僕も子供がいなかったり、独身だったら『イイや、やるか』っていうノリだったかもしれないです。祖父や親と同居しているわけではないので、子供の存在が一番大きかったです」

──分かります。自分から子供にうつすかも、その恐怖感はすさまじいモノがありますよね。

「まだ実情が分からなかったですからね」

──あの頃、お前はやらないのか──という風潮があったのも確かです。

「それは人それぞれです。別に格闘技をやって死んでも良いと思っている人はやれば良いと思っていました。よく試合で死んでも良いという人もいるし。僕はハッキリいって、全くそんなことは思わないので。

趣味というほど軽いノリではないですが、格闘技は人生を豊かにするための一つの要素だと思っています。試合中に死にたくないし、ましてや格闘技をしたことでコロナウィルスに感染して死ぬなんて嫌です。それで子供が死ぬのは嫌だと思っていました」

──未知なウィルスから、徐々に実態が分かり、また経済を殺さないために共生していくように6月ごろから変わり、格闘技道場の活動も始まりました。和田選手が練習を再開したのはいつ頃でしたか。

「いつでしたっけね。もう夏になっていたと思います。緊急事態宣言があけてからも、すぐに練習をすることはなかったです。ニュースでやっていないことも、色々とネットでチェックして──大丈夫かと判断し子供も1歳を超えたので、やり始めました」

──練習をする、しないという時期、奥様の反応はいかがでしたか。

「そこは何もなかったです。こっちの考えを伝えて、『分かった』という感じで。嫁も子供がいたから、行ってほしくはなかったとは思いますが、行くなとも行けとも言わなかったです」

──練習を再開した時は、どのような感覚でしたか。その間も練習を続けていた選手と比較して。

「もう全然動けなかったです。でも、それも分かっていたので無理しないで、休みながらやっていました(笑)。トライブ、ロータス世田谷、TRY.Hスタジオでの練習もルーティン通りでなく、休みながらチンタラと」

──大会がなく、試合がないことで焦る選手もいました。和田選手はそういう感覚ではないということですね。

「全然なかったです。それこそ格闘技が一番じゃないっていうのは、口にしていましたし。格闘技しかない、試合がしたいという人がいるなかで、格闘技が一番じゃないっていうヤツに試合が組まれるわけないと思っていたので。それは格闘技に人生を賭けて、今しかないという人から組まれる。

その人たちが試合をしてから、自分の試合になると思っていました。ONEが活動再開しても、試合機会が回ってくるのは最後だろうと。来年、それかスクランブルであるかもしれないという状況で、練習はもう普段通りになっていたので、体重さえ問題なければ試合ができる状態にはしてきました」

──9月にFINISHで橋本知之選手とグラップリングを戦った時と、今の体調はどれほど違いますか。

「今の方が良いですね」

──それは、そうでないと(笑)。

「あの試合があったので、気持ちもだらけずに1カ月ほど過ごせて、コンディションを作ることができました。あの試合があって凄く良かったです」

──あの組技マッチこそ、コロナ現象の一つですよね。

「まぁ、普通だと出ていなかったですね。ホントに良い経験になりました。日本で一番の組み技の人とグラップリングを戦えて。そういう人と触れ合いたいから格闘技をやっているというのはあるので。それこそDJに触ってみたいというのと同じで。本気でそういう人に殴られたり、極めに来て欲しい。橋本選手と触れ合えたのは、この時期だからできた最高の経験でした」

──それが格闘技で人生を豊かにするということの表れですね。

「ホントにその通りです。風のように極めてくれて『スゲェ、強ぇ』って。負けた瞬間だけは結果を引きずりましたけど、爽快感というか、凄く楽しかったです。本当に組んでもらって良かったです」

<この項、続く>

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