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【Interview】川尻達也&水垣偉弥対談<01>

Kawajiti & Mizugaki

【写真】入れ替わりでスタジオを訪れた両者、対談前にスタジオ外の寒空の下で撮影。すぐに意気投合し、笑顔で言葉を交わした川尻達也と水垣偉弥だった(C)MMAPLANET

片やUFC Fight Night34でオクタゴン・デビューを飾った川尻達也、此方2009年から米国に戦いの場を移しWECからUFCで戦ってきた水垣偉弥。UFCに拠点を置き、世界の最高峰に挑む両者が、ひかりTVのUFC中継解説者として都内某所のスタジオでニアミス。この機会を逃してなるものかと、対談形式でのインタビューを敢行した。

元をただせば2002年修斗新人王トーナメントMVPと2005年修斗新人王トーナメントMVPの両者。ルーツを同じとする川尻と水垣が昔話からオクタゴンの中まで、爆笑エピソードを添えて語ってくれた。

──川尻選手と水垣選手、日本人UFCランカーの2人に同席していただきました。今、最も世界の最高峰に近い日本人です。これまで2人に接点などはあったのですか。

水垣 ほとんどなかったです。

川尻 一度、JBスポーツに水垣君が来たことがあったのですが、相当昔のことです。

水垣 CAGE FORCEに出ていた頃なんで、2007年とか2008年だと思います。

川尻 一度だけだったよね? 練習したの。

水垣 ハイ。どうしても、距離が遠いし。

川尻 もともと八景の方でしょ?

水垣 ハイ、横須賀……葉山なんです。

川尻 茨城から東京まで遠くて、東京を挟んで反対側だもんね。

──水垣選手は葉山を強調していませんか(笑)?

水垣 いえいえ、そんなことないです(苦笑)。葉山のことは好きですけどね(笑)。

川尻 葉山ってオシャレなところなんですか?

──湘南ですよね?

水垣 あっ、でも僕は生まれがいばら『ぎ』なんですよ。

川尻 いばら『き』だよ。UFCもイバラ『ギ』・ジャパンって言っているし(笑)。茨城のどこなの?

水垣 母の実家が水戸だったんで、生まれは水戸なんです。UFCのバイオでも、生まれは茨城にしてあります。だからボーン・イン・イバラキ・ジャパンって言われるんですよ。ゲームもイバラキ・ジャパンになっていました。

川尻 やっぱり茨城は強い選手が多いね(笑)。でも、修斗時代も含めて、ほとんど接点はなかったよね?  大沢(ケンジ※当時、チーム黒船で練習していた)さんと戦った試合は見ているけど。デビューは何年?

水垣 2005年です。僕はアマチュア時代から川尻選手の試合を見ていました。

川尻 もう修斗のチャンピンになっていて、PRIDEで戦っていた頃だ。そんなに若いの?

水垣 自分ももう30歳になりましたけどね……。川尻選手は最初の修斗新人王トーナメントのMVPで、それから高谷(裕之)さん、リオン(武)さん、その次の年は僕だったんです。僕からすると、新人王を取ったらそうならないといけないという象徴が川尻選手で、もうプレッシャーの元凶でした。3人の先輩方がどんどんと活躍していったので、そうなれるかもしれないという期待と同時に、なれなかったらどうしようっという不安でいっぱいだったんです(笑)。

──せっかくなら2人に修斗新人王に贈られるゴールデン修斗グローブを持ってきてもらえば良かったですね。

川尻 まだ、副賞の海産物が届いていないんですよね。スカパーのアンテナは、もらったんですけど(笑)。

水垣 ハハハハ。ありましたよね、海産物。でも僕のときって、海産物はもうなかったかなぁ(笑)。

──チャンピオンリングではないですよね?(※2001年11月25日にマモルと大石真丈の間で行われたプロ修斗世界フェザー級チャンピオンシップの副賞。挑戦者の大石が下馬評を覆し王座を奪取した)

川尻 アハハハハ。あれって、完全にマモルさん用でオシャレェなやつで、大石さんっぽくなかった(笑)。

──指輪のサイズもマモル選手用だったそうですよ(笑)。昔話はさておき、日本のビッグプロモーションで戦い続けてきた川尻選手からすると、水垣選手の活躍はどのように見ていたのですか。

川尻 僕と道は全然違いましたよね。僕の目は完全に日本に向いていたので。海外ではなるべく戦いたくないって思っていた僕と反対で、水垣君は自ら望んでいたわけですから、凄いと思っていましたよ。

──川尻選手がUFCのデビュー戦後に本音の部分として、『選手は誰だって試合が怖いはず』という主旨の発言をしていましたが、水垣選手はその例外に当たるファイターに見えるんです。

水垣 エヘヘヘヘ。いや、怖くないわけじゃないです。試合前はやっぱり怖いですよ。ただ、緊張しない時があって、そういう時はダメなんですよ。それで殴られて、試合なんだから集中しなきゃって思ったことはありました。

川尻 エッ、マジで!!!  僕なんて帰りたくてしょうがないですよ。小さくなって、トコトコトコトコトコって逃げちゃいたいぐらいだし(笑)。

水垣 でも、それは本当に分かります。最後に自分に言い聞かせるのが、『ケージに入ってKO負けするのと、体調が悪いからやめますって帰っちゃうのは、どっちが格好悪いか』って自分に尋ねるんです。だったら、オクタゴンのなかに入ってKO負けした方が格好悪くない。だから、最後はそうやって言い聞かせて、試合に向かうんです。

川尻 なるほど、それはいい。確かにその通りだ。

──そうやって、ギリギリの想いで戦っているんですね。

川尻 こないだ岡見(勇信)君に会って、飯食ったんですけど、ホントやってみないと分からないって話したんです。ホントに岡見君は凄い。UFCで何戦もやってきたなんて。試合前にどれだけ嫌でも、試合に勝った瞬間、『ヨッシャ。次もまた行くぜ』って気持ちが高揚するんです。でも、今回の試合後だけは『チョットゆっくりしたい』って思った。

──そういう意味で考えると、水垣選手は当時バンタム級やフェザー級の最高峰だったWEC、米国での初戦が世界戦でミゲール・トーレスとガンガンにやりあったんですよね。

川尻 本当に凄いと思います。

水垣 ありがとうございます。

川尻 いきなり世界戦で、5Rを互角にやりあうなんて……。

水垣 日本でネットで視聴していて、早く終れって思っていた記者の人がいたそうですけどね(笑)。

川尻 エッ、そうなの?  マジですか、それは酷いなぁ。

──あれは……、ちょうどDREAMの名古屋大会の翌日で。ビビアーノ・フェルナンデスのインタビューのアポが入っていて、WECの速報をしていたんですよ。試合が思った以上に長引いて、取材に間に合わないかもしれない状況で、編集者には先に宿を出てもらっていたんです。だから、まぁ、とにかく早く終われって思ってしまったことは確かです(苦笑)。

川尻 とにかく早く終れって……最低じゃないですか。

──スイマセン(苦笑)。ともあれ、UFCに出てみて水垣選手を改めて評価できたという部分はありますか。

川尻 もちろん、UFCで戦う前からリスペクトはしていましたけど、改めてあの場で戦い続けることの大変さと、凄さが分かるようになりました。

水垣 僕も以前、岡見選手と話したことがあったのですが、僕らは日本でビッグプロモーションで戦うことがなかった。僕はWEC行きを決めた時は、DREAMに僕らの階級ができるかできないかって頃で、稼ぐには米国に行くしかないって思っていたんです。もともとPRIDEに憧れていたけど、自分の戦う舞台でなくて大きな選手が戦う場所だと思っていたから、最初の修斗を選んだということもありました。

──そんな修斗がルーツでも、その後のキャリアが全く違う先輩と戦場が一緒になりました。川尻選手とショーン・ソリアーノ戦を見て、どのような感想を持ちましたか。社交辞令なしでお願いします。

川尻 ハハハハ。

水垣 あのう……、試合前は絶対に勝つと思っていたんですけど、出だしでビックリしてしまいました。ヤバいって……(苦笑)。

川尻 ヤバいよねぇ(笑)。自分でも負けるかと思ったぐらいだし。

水垣 川尻選手は1年間、試合から遠ざかっていたじゃないですか、だからブランクとかあるのかなって。ドキドキしましたね。

──セコンドを務めていた児山(佳宏)選手が、別件の取材のときに『川尻さんのように努力して、結果を残してUFCに上がった選手が、あんなに怖い目にあうなんて格闘技が辞めたくなった』と言っていました。

水垣 まぁ、弱い相手なんていないですからね。

──WEC時代など日本では無名、でも強豪揃い。そういうなかで戦っている時、もっと自分のやっていることが世に届いてほしいという思いはありましたか。

川尻 ゴン格の扱いが小さいしね(笑)。ふざけるなって思っていたでしょ?

水垣 僕にはWECしかないって思って戦っていたんで、自分は自分の道を行くだけだって気にしていなかったですね。今は逆にUFCと一緒になって、川尻選手のような日本で知名度もあるトップ選手と戦っていけることが嬉しいです。日本でもっとUFCが盛り上がると思いますし。でも、川尻選手が最初はバンタムで戦おうとしていたことを聞いて、ワキ汗がジワっときました(笑)。

<この項、続く>

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