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【PKJJC2020】キッズ柔術最高峰で入賞多数のカルペディエム。竹浦正起─01─「親御さんの熱気が凄い」

Carpe Diem KIDs【写真】日曜午前、CARPE DIEM三田のキッズクラス。取材時は竹浦正起(前列左端)と梅村和希(同右端)が指導に当たっていた(C)SATOHI NARITA

8日(土・現地時間)から9日(日・同)の2日間、カリフォルニア州ロングビーチのカリフォルニア大ロングビーチ校内、ピラミッドで開催されたIBJJF主催のパンキッズ柔術選手権。

4歳から15歳のキッズ柔術家にとって世界最高峰となる舞台に、国内からは確認できる限りで6アカデミー、30人弱が参戦した。なかでも、支部を含めて14人と最多の選手を送り込み、日本勢の入賞者の多くを占めたのがCARPE DIEMだ。

大村莉愛、中川輝世羅という二人の女子選手が頂点に立ったのを筆頭に、11人が入賞という健闘を見せた選手たち——その引率役として帯同したCARPE DIEM三田所属の竹浦正起に、大会を振り返ってもらった。
Text by Satoshi Narita


——パンキッズの振り返りの前に、竹浦選手の話を少し聞かせてください。三田に移籍してどれくらいになりますか。

「2019年3月に来たので、ちょうど1年くらいです。昨年の今頃、岩崎(正寛)さんのセミナーが名古屋であって、岩崎さんや名古屋の早川(正城)さんとご飯を食べる機会がありました。そこで、三田が新体制に向けてスタッフを募集していると聞いて、東京に出てみようと」

——その頃は柔術をしながら働いていたわけですよね?

「ハイ。大学を卒業した後、1年くらいは営業職に就いていたんですけど、塾講師や家庭教師をしたり、祖母が亡くなって、住んでいたマンションが空いたので、パーソナルトレーナーも副業でやっていました」

——大学の専門がスポーツ関係だったのですか。

「いえ、中京大学の英米文化学科です。トレーナーの資格は働き始めてから独学で取りました。そのうちジムがうまく回るようになったので、営業を辞めてそっちをメインにして」

——柔術を始めたのは?

「20歳くらいと遅めで、それまでずっと野球をやっていました。大学も野球で進学できる話があったんですけど、もう続けたくないなと、普通に勉強して受験して。ただ、体を動かすことは好きだったし、格闘技には興味があったので、本屋で何気なく『Fight&Life』を手に取ったら、最後のページに道場紹介がありますよね? ちょうどその本屋の500メートルくらい先にNEXがあったので、ぷらっと行ってみて。それが柔術を始めたきっかけです。

最初は総合をちょっとやって、柔術にハマったのは何でだろう……殴られるのはイヤだし、寝技の練習のほうが楽しいなと(笑)。学生の時からバイトみたいな感じでキッズクラスの補助をしていたし、三田の話もキッズのメインインストラクターが欲しいということだったので、ここ(三田)に来てからもキッズクラスを主に見ています」

——インタビューの前に、キッズとユース(中学生)のクラスを拝見しましたが、キッズクラスは総勢24人、未就学児から小学校高学年までさまざまな年代の子どもがいて、小さな子や初心者のグループと、高学年のグループに分けて進行していましたね。

「普段は岩崎さんが高学年を指導して、僕は低学年を見ているんですけど、日曜だけは僕と梅村(和希)さんの二人体制で、僕が高学年を見ています。青山や他の支部は、キッズクラスは週3回で、ここは週7回。土曜の夜には外部から指導者を呼んで、レスリングクラスも行っています」

——クラスではマット運動に30分近くしっかりと時間を割き、その後のテクニックの時間では、竹浦選手がサポートに回って、中学生の大野智輝選手が技を指導していました。この流れは普段からですか。

01「いえ、いつもは僕や岩崎さんが指導するんですけど、日曜はキッズクラスの後にユースクラスがあって、中学生も早い時間から集まるので。

人に教えることは彼らのためにもなると思って取り入れています」

——そうした指導方法は、ご自身で考えているのですか。

「ハイ、岩崎さんと相談しながらいろんなやり方を試してみて、上手くいかなかったら修正しての繰り返しですね」

——なるほど。さて本題のパンキッズですが、竹浦選手はCARPE DIEMの選手たちの監督役としてロングビーチに行かれましたね。

「最初は一人で行く予定でしたが、青山の(岡崎)孝哉さんも行ってくれることになって、二人体制で行きました」

——パンキッズは初めてだったそうですが、率直な印象は?

「とにかく親御さんの熱気が凄くて。ムンジアルと同じ会場ですけど、また違う雰囲気でした。僕もサポートには熱が入りましたね。朝から晩まで張り付いて、全員の試合順も把握して。あの会場はマットと客席の距離があるので、あまり声が届かないんですけど、選手にとってはメンタル的な支えというか、ちらっと僕らの姿が見えるだけでも安心感があるかなと思っていました」

〈この項、続く

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