この星の格闘技を追いかける

【Bu et Sports de combat】武術の叡智はMMAに通じる。武術と格闘技の違い─03─「グレイシーと武」

Kron Gracie【写真】フィニッシュはRNCだったクロンのUFCデビュー戦。父ヒクソンのバーリトゥードでの戦いに通じる部分は、それ以前のスタンドで見られた (C)Zuffa LLC/Getty Images

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで勝利を手にするために生きる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にする。そして、ここまでその武術的な視点とあり方を同連載で説明してきた。

武を修める方法、実践について話を進める前に改めて武術と格闘技、コンバットスポーツの差を明確していくなかで、かつての果し合いのようなバーリトゥードで戦っていたヒクソン・グレイシーと、スポーツ&エンターテイメントでもある現代MMAで戦うにクロン・グレイシーに共通する時空の使い方が見受けられることが分かった。

一対一でしか、伝えることができない、時間の創り方、呼吸の掴み方とは何かを剛毅會空手・岩﨑達也宗師に掘り下げてもらった。

<武術と格闘技の違いPart01はコチラから>
<武術と格闘技の違いPart02はコチラから>


──確かにクロンのスタンドは現代MMAにアジャストされていますが、打撃で勝負をするつもりがないという共通点はあるかと思われます。

「だからこそ、アレックス・カサレスは戦い辛かったでしょう。そもそもボクシングで殴り合う、キックボクシングで殴り合う、そういうものとMMAは時空が違います。ボクシングは殴って、殴られることが前提です。キックボクシングには蹴りがありますが、蹴りがあるなかで蹴り返すのか、パンチを合わせるのか。そういう前提のある戦いです。なのでボクシングとキックボクシングは、割と時空も似てきます。グローブをつけて、お互いが殴り合うモノなので。

ただし組みが入ってくるMMAの時空は別物です。そういうなかでクロンは今のMMAにアジャストしたような打撃をヒクソンよりも使っていましたが、あくまでも彼の時空のなかでの打撃なんです。アジャストはしても、どこに軸があるのか。そこにブレのないファイトをしていました。そしてクロンがどこでその時空を練ったかといえば、それはやはり親父との接触のなかで練り上げたとしか考えられないんです」

──それをヒクソンとの柔術の稽古で身に着けたということですか。

「そうとしか、考えられないです。ただし、これは逆に尋ねさせてほしいのですが、私が見てもヒクソンとホイス、ヘンゾの柔術は違うと思うんです。彼らは同じ人から柔術を習っていたのでしょうか」

──正確なことは分からないですが、グレイシー・ファミリーは幼少期に一緒に育った時代もあるという話です。ただ伝説のグレイシーであるホーウス・グレイシー(ヒクソンからすると、父エリオの兄であるカーロス・グレイシーの息子で従弟にあたる。ヘンゾからすると、父ホブソンの弟で叔父にあたる)にヒクソンもヘンゾも習っていたことは確かだと思います。

ヒクソンは当然のようにエリオに柔術の手ほどきを受けていたでしょうし、ヘンゾもホーウスの生前はヒクソンのクラスに出ていたこともあると言っていました。それでもヘンゾから本格的にエリオに柔術を習ったという話は聞いたことはないです。

ホーウスが亡くなると、ヘンゾはカリーニョス(カーロス・グレイシーJr=カーロス・グレイシーの息子で、父ホブソンの弟。ヘンゾからすると叔父で、ヒクソンにとっては従弟)というバーリトゥードを好まず、のちにIBJJFとともに競技柔術を広めたリーダーが指導者になっています。

ヘンゾはやはりカーロス・グレイシー系で、ヒクソンはエリオ・グレイシー系。違うはあるかと思います。ホイスも父エリオの教えを受けていたでしょうが、早くから兄のホリオンとLAへ移住していたので、ホリオンやヒクソンを代表とするエリオの息子たち(へウソン、ホーケル、ホイラー)らや、ホリオンやヒクソンの教え子と時間を共有することが多かったと思われます。

「ヘンゾはヒクソンと違うんですよね。ヘンゾからは割とスポーツ的な雰囲気を感じます。ボクシングを習っているようなスタンドでしたし。MMAを戦う多くの柔術家がそのように見えました。ただし、柔術に関して素人の私が見てもヒクソンは違っていました。シンプルに基本的なことをしているだけなんですよ。

ヒクソンはお客さんの前で戦っても、良い試合をしようとか、お客さんを満足させようと気持ちは一切なかったと思います。そのなかでグレイシーの人達に共通しているのは、本当に参ったをしないということ。ヒクソンのドキュメンタリー(※Choke)を見ても、控室では氷を首に当ててくれとかやっているけど、リング上ではおくびにも出してない。

ホイスと桜庭選手の試合も、痛みを懸命に隠していた。そして最後はタオル投入ですね。当時、グレイシーの怖さは死んでも参ったしないんじゃないかというところに尽きました。格闘技を戦って億なんてお金が考えられない時代に、あのルールの試合をしていて、いつ間にかにその値が跳ね上がった。とにかく、グレイシーは負けないために試合をしていました。

その負けたくない究極のグレイシーが、私にはヒクソンのように感じられたんです。技術的なことは、私は分からないです。ただし、彼の柔術は絶対に負けないための柔術のように映りました。

そこは私が2年ほど前にロサンゼルスで見たムンジアルの柔術とは明らかに違うモノだろうと。同じモノではないですよね?」

──ヒクソンは競技柔術もできたし、勝てたと思います。競技柔術とはいえ、柔術は守備力がモノをいうスポーツだからです。ただし、MMAは違います。現代MMAの5分✖3Rで、下になるとポイントを失う。常に攻める姿勢を持つという、北米の現代MMAをヒクソンが戦うことはありませんでした。ヒクソンには短距離走のMMAはないのだと思います。

「それをいえばホイスもPRIDEの時に、自分だけラウンド無制限とか勝手なことを言っていましたよね。対して、クロンは今のUFCで戦うという選択をした。

UFCという時間のなかで、彼は如何に自分の時間を創って戦うのか。そういう試合に見えました。あの時間の創り方は教えられてできるモノではないです。

クリスチャン・リーと岩﨑氏との一触(C)GOKIKAI

クリスチャン・リーと岩﨑氏との一触(C)GOKIKAI

剛毅會の空手でもそうなんです。生徒ができない動きを口や理論で指導するのではなく、体のある部分を押したり、作用を加えることでできるようになることがある。

一触というのですが──皮膚を通して接触して伝えるコトしかできないんです。触れていると生徒ができるのに、外すとできなくなる。そういうことが実際にあります。

その一触ということをクロンは子供の頃から、ヒクソンによって伝えられてきたのでしょう。きっとそれは柔術の指導だけでなく、普段から寝転がって遊んでいたり、親子のスキンシップのなかでも行われていたのではないかと。一対一のコミュニケーションですよね。集団稽古では無理です」

──つまり糸洲安恒以来、空手の指導法である集団稽古では教わることができないと。

「学校教育の鍛錬となる前の空手は、士族の長子しか学ぶことができなかったとされています。そう考えると、長男ではないですが、ヒクソンがクロンに柔術を一対一で教えることも多かったのではないでしょうか。

少し話は違いますが、ムエタイのミット打ちで見られる呼吸も一触に近いのかもしれないですね。ここでいう呼吸とは吸って、吐いてという呼吸ではなく、間も含まれています。そうですね、相撲の立ち合いでの呼吸が合う、合わないの呼吸です。

この何気なく呼吸と呼ばれている動作、状態を表す言葉の意味合いは実は凄く深いモノがあります。呼吸を読む、呼吸を外す、呼吸で入るなどという呼吸などが、それに値します」

<この項、続く>

PR
PR

関連記事

Movie