【Special】月刊、青木真也のこの一番:10月─その壱─カリモフ×水垣─01─「選んだ先がロシア」
【写真】岡見と共に日本をリードしてきた水垣が選んだ戦場はロシアだった。この点を青木がメスを入れる(C)ACB
過去1カ月に行われたMMAの試合から青木真也が気になった試合をピックアップして語る当企画。
背景、技術、格闘技観──青木のMMA論で深く、そして広くMMAを愉しみたい。そんな青木が選んだ10月の一戦=その壱は9月30日、ACB71からルスタン・カリモフ×水垣偉弥戦を語らおう。
──10月の青木真也が選ぶ、この一番。まずは?
「正確には9月の試合だったのですが、前回の取材の後で行われた試合でACBの水垣×ルスタン・カリモフです。水垣に関しては、日沖もそうだけど同い年だから呼び捨てにさせてもらいますね」
──ハイ(笑)。
「カリモフも凄く強い選手だけど、やはり僕にとっては水垣ありきの試合で。1983年組は気になります。同じシーンである程度、一緒に頑張ってきたし。そういう水垣がUFCをリリースされて選んだ場所がACBだった。
このキャリア晩年の過ごし方に関して良い、悪いは彼が決めることです。でも、選んだ先がでロシアだったというのことが興味深いです。それが世界のMMAの情勢を知ることにもなる」
──ある程度の条件を望む元UFCファイターが首を縦に振ることができるプロモーションが、ロシアでありポーランドであるのが現実かもしれないです。
「ポーランド、KSWですね。僕自身は水垣はROAD FCかなって思っていたんです。あのファイトスタイルだし、韓国にはバンタム級で強い選手がいるから。日沖のように戻ってきたら国内、もしくはアジアなのかと。それをあの危険な地に踏み込んだ。
西側、東側という話をする気はないですが(笑)、KSWやACBというのはやはり怖い」
──私が最初で最後のロシアでの取材となった20年前の話ですが、M-1の前身であるMIX FIGHTという大会で負傷した選手に注射を2本打って試合続行をさせていたのを見て以来、ロシアは怖いという印象のままです。
「ですよね、ありますよねっ!! それを咎める空気がないというのが。やっぱり旧社会主義側に行くのは怖い(笑)。右の人は怒るでしょうけど、僕らは米国の文化に慣れ親しんでしまっているから。
選手自身の怖さと国民性というか、大会のやり口の怖さ。両方があります。ロシアの陸上のドーピング問題とか、社会主義側はスポーツと国家が密接だったじゃないですが、もう政治体制が変わって30年近くになるけど、なんか人間が違うような」
──実際に違うと思います。資本主義との付き合いが突然始まったので、それからの成り立ちも自分たちは違うでしょうし。
「そういうところに行かないと、彼の望む条件が存在しなかった。国内にもアジアにもなかったということですよね。ACBは中島太一が行く意味も分からないし、今回の彼の相手(※トゥラル・ラジモフ)を見た時点で、もうまずいだろうって。
とにかく強い連中がゴロゴロいる。平均値が強い。前田日明いわくヒョードルがゴロゴロいるっていうのはどうかと思いますけど、普通に強いと思えるファイターがゴロゴロいる。
そんなところで戦うのにプロモーションができていない。岡見勇信選手、水垣というUFCで戦ってきた選手は絶対的に評価されるべき選手なのに。
UFCで戦っていない僕が言うなと批判されるかもしれないですが、彼らがやってきたことは凄い。その水垣がロシアで戦うのに何のプロモーションもされないし、本人もしない。でも、水垣はそういうことする人間じゃないけど、UFCでないからといって何のプロモーションもなく、MMAを知っている者だけが、『水垣選手が負けた。相手、ヤバくないですか』と話している。それで終わってしまう現状はどうなんだろうと……」
──格闘技メディアの無関心と力不足ですね。本当に申し訳ないです。
「K-1はabemaを持っていたり、メディアに強い。フリーペーパーも創っているし、他の媒体にも出ていく。対して、MMAはメディアに弱い」
──色々なことがMMAは小さくまとまってきています。
「自分の食い扶持だけを考える……ってやつですね」
──選手はそれで良いと思いますが、周囲はやはり思慮深くなる必要はあるだろうし、それを分かっているからこそ、自分の食い扶持を必死に集めるようになるのかもしれないです。
「う~ん、ちょっと違いますよね……」
「打撃のためのテイクダウンという術が、一芸として成立していますね。当ててテイクダウン、立たせて殴る。そしてテイクダウン。水垣がずっと北米のMMAをやって立つという動作に特化してきたけど、そこを突かれたような感じでした。
当然、倒されずに殴ることが第一だけど、水垣は倒されると立ち上がる戦いを続けてきたわけじゃないですか。立ち上がる時は、そりゃあ顔が空くよなっていうのが、分かり過ぎるほど分かる試合でした。なら立たなくて寝ちゃえば良いじゃんって、僕は思ったんですよ」
<この項、続く>