【GRANDSLAM06】柏崎剛とZST×Grachan王者対決、掘友彦─01─「そうか普通かって感じです」
【写真】飄々とした風──そして泰然と柏崎、そして自らのキャリアを語った堀だった (C)MMAPLANET
29日(日)、東京都新宿区のGENスポーツパレスで開催されるGRANDSLAM06。同大会のセミでZSTとGRACHANのバンタム級王者対決=柏崎剛×堀友彦が組まれた。
9月に行われた記者会見で、「僕に勝てると思っている選手もいると思います。そういう選手が気を引き締めるようになる内容は見せたいです」と語っていた堀。
プロデビューから15年、一貫してフリーを続けている彼に柏崎戦、そしてキャリア40戦目を迎えるMMAファイター人生を振り返ってもらった。
──プロデューサーが田中路教選手のために大会を開くと宣言してしまったグランドスラム06ですが(笑)。
「嬉しいかといえば、嬉しくないですね(苦笑)。だからといってコンチキショーとはならないですけど。それはそれという感じです」
──Grachanのチャンピオンとして、ZSTのバンタム級王者と戦うことについては? グラチャンとZST、どちらが上位にあるのか微妙だと捉えているファンも多いと思います。
「正直言って、どっちもどっちだと思います(笑)。チャンピオンだなんだというのは、それほど興味ないですかね。取り敢えず、自分が今出ている大会がグラチャンで1月に手塚(基伸)選手とドローだった。その手塚選手が微妙な判定かなんかで勝っている相手と戦う。だったら、ハッキリと勝ちたい。それがモチベーションですね」
──グラチャンを背負うということは考えていますか。岩崎ヒロユキ代表はストーリー創りが好きなプロモーターですが。
「う~ん、考えていないです。残念ですが、全く考えていないです。今、チャンピオンですけど防衛もしていないですし。試合が近くなったら、ベルトを持っているので代表しているという気持ちになっているかもしれないですけど。
ただ、そういう気持ちだから勝てるような楽なものじゃない。柏崎選手に関してはZSTのチャンピオン云々よりも、1敗しかしていない。それもハッキリとした負けでないという部分の方が重要です」
──では柏崎選手の印象を教えてください。
「試合を見ていないのでなんとも……」
──ZST的などこからでも極めに行くというより、スクランブルMMAという印象があります。
「そうか普通かって感じですね(笑)」
──ハハハ。堀選手に関して気になっているのが、所属先がない形でキャリアを積んでいることです。そもそもMMAを始めたきっかは何だったのでしょうか。
「もともと高校の時に少しだけ空手をやっていて、先輩の知り合いに修斗に出ていた倉持(昌和)選手がいたんです」
──横浜ジム所属だった?
「ハイ。マッチョの。先輩に紹介してもらって倉持選手に教えてもらっていた関係で、雷暗暴と知り合いになりました。当時、雷暗はKillerbeeに所属していて、練習に誘ってもらえるようになったんです。
暫くして雷暗がキラービーを離れたのですが、(山本)KID(徳郁)さんが練習を続けても良いよと言ってくれて」
──だから田村一聖選手がUFCに出た時など、セコンドで米国まで行かれていたのですね。
「ハイ」
──そのような仲なのに、キラービーに所属せずにフリーのままで活動をしていたのは?
「何ですかね。特にフリーでいるという強い意志があったわけではないです。きっかけがなかったというのか、誘われたりもしなかったですし。そんな感じな人間なんです(笑)」
──試合に出るようになってから15年が経ち、一度も特定のジムに所属しない選手など他に例はないかと思います。
「いないでしょうね(笑)。途中からフリーだったりはしますけど。次のジムに所属するまでの合間だとか。ただ、試合の世話をしてくれる人はずっと同じです」
──なるほどぉ。そこはマネージメントをしてくれる人がいるのですね。では、一番長く出稽古としてきたジムはどこになりますか。
「キラービーからKRAZYBEEですね。ずっと行かせてもらっていて、途中からBLUE DOGジム、そしてグランドスラムでも。色々なところにチョコチョコ顔を出しています」
──出場してきたプロモーションもZST、DEEP、MARS、HEAT、CAGEFORCE、TTFC、GRACHAN、WARDOG、そしてグランドスラムとなるとGLAIDATORと修斗以外はほぼ制覇しているような形です。負けが込んだ時とか、ジムとプロモーションのつながりもあるので、試合機会はまだ巡ってきやすいかと思います。そんなバックアップもなく、堀選手はここまでキャリアを積み上げてきたのですね。
「所属をしたことがあったら、そのメリットが分かるのでしょうけど、僕は所属したことがないので何もそのメリットを知らずに、それが当たり前と思ってやってきました。ただ、負けても試合が組んでもらえるのは有り難かったです」
<この項、続く>