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【UFN75】田中ノリピー、TAM JAPANを語る<02>「夜叉坊の動きは、東京に出てきた時から本当に悪くて」

DSC_0623【写真】夜叉坊に対しての話しでは、田中の熱さがヒシヒシと伝わってきた(C)MMAPLANET

チーム・アルファ・メール・ジャパンの田中路教インタビュー第2弾。なかなか自らの試合が決まらないなか、盟友の中村優作に次いで、石原夜叉坊について熱い話を聞かせてくれた。
<田中路教インタビューPart.01はコチラから>

──それにしても入場曲に関するエピソードは泣かされました。

「やらかすことは多いですけど、本当に良いヤツですから(笑)。一緒にやる前に夜叉坊があの話をブログに書いていて、その時から知っている話ではあったのですが……、あそこでお母さんも出て来て泣かれると……(苦笑)。6月に大阪で夜叉坊の実家に泊まらせてもらって、お世話になって。あのお母さんの言葉には来て、涙が出ちゃいましたね。『力を貸して』というのはヤバかったです。お母さん、めちゃくちゃ良い人なんです」

──あの曲を聞いて、セコンドとしてオクタゴンに向かうわけですね。

「いや、ヤバいっすよ(笑)。この流れでいって、あの曲を聞くと。そこは流されないように頑張ります」

──ジョシュ・バーネットの良い人、良いコーチ振りが伝わってきましたが、本当にリアルなのは一回戦で勝利した夜叉坊選手が、まずは田中選手に抱き付いたこと。田中選手はほとんど映り込んでいなかったのに、あそこでジョシュでなく田中選手にまず飛び込んでいったことが印象に残っています。

「あれは……2人で号泣しました。テレビでは流れてなかったですけど、勝ち名乗りを受けた瞬間に僕の方を見て泣きながら抱き付いてきて。僕も号泣しちゃって(笑)」

──やはりTAM JAPANは……。

「いやいやいや、そういうことじゃないですよ(笑)」

──中村優作選手とマイケル・ナカガワ選手も交え、どのような人間関係になっているのか……。

「ハハハハ。もう本当、ソッチ方面には押さないでください。確かに仲は良いですけど……(苦笑)。夜叉坊の場合は色々と苦労したので。大阪にいると遊んじゃうんで、東京に出てこいって僕が言って。夜叉坊もすぐに決意して、速攻で出て来て。でもあの頃はとてもアスリートとは思えない不摂生の塊で、体重も80キロを超えていて。最初の頃は1回の練習で4回とかゲロを吐くんです。動きも本当に悪くて。

そこから2人で毎日いっしょに行動しました。で、段々と練習についてこられるようになって。あそこで勝ったのは、ちょっと思うところはありましたね」

──Road to UFCではセコンドとして、2度に渡り渡米していますが、撮影が入るというのはやはり大変なことなのでしょうか。

「あれはメチャクチャ大変ですね。夜叉坊の場合は、他の選手よりも減量が厳しくないので、まだ楽な面があったと思いますが、減量がきつい選手は本当に大変だと思います。試合前に撮影のために練習をしないといけないし」

──本来であればクールダウンの時期に入っていても、体を動かさないといけないと。

「上迫さんがケガするという事故も起きてしまいましたが、やっぱり試合直前の練習なんて慣れていないし、集中できない面も影響していたと思います」

──ドキュメンタリーなら、『カメラ回すのを止めてください』ってできるけど、リアリティTVショーはやはりそういうことはNGなのですか。

「ずっとカメラは回っています。撮らないで欲しいとかは一回もないです。毎日、撮影があってインタビューがある。拘束時間も長くて、自由にはできないです。ただ、参加選手全員が同じ条件ですから、そこに文句はいえないです。普段の試合前と比較すると──ということで。2人で練習がしたくてもできないとか、そういう違いはありますよね」

──その上迫選手がケガをして、夜叉坊選手はセレクションで事実上の最後の選択選手でした。

「安藤君はロイ・ネルソンの一番のピックでしたからね。夜叉坊の動きは、東京に出てきた時から本当に悪くて、以前のような動きができないことは本人も分かっていました。ケガが多くて、ヒザも手術したし。それに加えて不摂生があるので、以前のように左が伸びなくなっていました。

当て勘、タイミングも全部ずれてしまって。東京に来てからずっと付きまとっていたことで、それはRTUの2試合でも同じでしたね。本来の良さは見えなかったですね」

──左が当たらなくなったというのは、本当に実感される2試合でした。

「そうなんですよね。色々な技術を覚え始めて、打撃だけじゃなくなったというのもあると思うんですけど、昔はカウンターのタイミングとか取るのも上手かったのが、ワンテンポか半テンポ遅くなる。安藤君との試合は、それが顕著でしたね。左も出しているけど、遅い」

──以前の夜叉坊選手のイメージでいえば、廣田選手の完成度の高さには敵わなくても、左を当てて勝つチャンスは十分にある。そんな手の合う相手だという見方もしていたのですが、あの2試合を見て完成度の差がそのまま出てしまう恐れがあると感じました。

「ただ、そこは段々と良くなっているんです。安藤君との試合の少し前から良くなり始めていて。それ以前は、本当に酷かったんです。安藤君との試合の1週間前ぐらいは、スランプみたいになってしまって。練習でも全く動けない。皆にボコボコにされて。本当に大切な試合なのに、『どうしよう』って僕も不安でならなかったんです。

で、僕が体を見てもらっている方に一度施術してもらって。そこでかなり良くなりました。夜叉坊自身も『左が伸びるようになった』と言っていましね。それであの動きなので、本当に調子は悪かったんです」

──ウィッキー戦はその打撃でなく、組みに行くシーンが多くなりました。あそこも以前のような思い切りの良さがなくなったように感じられました。

「アレは僕ら、セコンドも悪かったです。ウィッキーさんとの試合が決まって打撃では分が悪いかなって僕らが思ってしまって。夜叉坊自身は『俺は打撃でいける』って言っていたのに、ユーチャクと僕がウィッキーさんに夜叉坊の左は当たらないって言ってしまって。夜叉坊って良くも悪くも器用貧乏なんで」

──器用貧乏は良くはなく、悪いということですが(笑)。器用さが良くも悪くもあるということですね。

「ハハハハ、そうです。打撃だけでなく実はレスリングも寝技もまぁまぁできる。そういうところを使って勝って行こうと。だからテイクダウンの練習もかなりしていました。それを試合で出したような感じなのですが、なにぶん試合でまだそういうことを試したことがなくて。だから、上手く使い切れなかったんだと思います」

──そこでトータルファイトに転換させるのも勇気のある決断ではなかったですか。負けていれば……夜叉坊選手らしい試合でなかったと悔いが残っていたかもしれません。

「ウィッキーさんとの試合は大切な試合でした。準決勝で負けると、日本大会に出ることもできない。夜叉坊らしさは2試合ともなかったです。必死になって、普段しない動きをして不細工になっても勝ちに行った。その結果の勝利だったと思います」

──2試合ともTVが放送されたあとに、判定に関しては色々な意見が出ています。

「それは言われても仕方ない内容でした。判定に関しては、色々な意見がありますから。正直、見ていて僕自身でも勝てたかどうか分からない試合だったので。ただし、UFCが夜叉坊押しでアイツが勝った──という意見、そこだけは納得していないです。そんなことは絶対にないので」

<この項、続く>

■UFN75対戦カード

<ヘビー級/5分5R>
ロイ・ネルソン(米国)
ジョシュ・バーネット(米国)

<ミドル級/5分3R>
ユライア・ホール(米国)
ゲガール・ムサシ(オランダ)

<フライ級/5分3R>
チコ・カムス(米国)
堀口恭司(日本)

<バンタム級/5分3R>
ジョージ・ループ(米国)
水垣偉弥(日本)

<ウェルター級/5分3R>
リー・ジンリャン(中国)
中村K太郎(日本)

<バンタム級/5分3R>
マット・ホバー(米国)
山本KID徳郁(日本)

<ROAD TO UFC JAPANフェザー級T決勝/5分3R>
廣田瑞人(日本)
石原夜叉坊(日本)

<フェザー級/5分3R>
ディエゴ・ブランダォン(ブラジル)
菊野克紀(日本)

<ライト級/5分3R>
粕谷優介(日本)
ニック・ハイン(ドイツ)

<ライト級/5分3R>
ケイジャン・ジョンソン(カナダ)
小谷直之(日本)

<ウェルター級/5分3R>
ロジャー・ザパタ(米国)
安西信昌(日本)

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