【CW Academy South East36 & Shooto2024 Final】川原波輝×石原夜叉坊─01─「で、どうするんですか?」
【写真】取材は2月上旬、夜叉坊のお母さんが営むカフェ「Cafe&Bar ガジュマル」で行われた(C)SHOJIRO KAMEIKE
2024年10月5日(土・現地時間)、英国エセックスのコルチェスター・チャーターホールで開催された「Cage Warriors Academy South East36」で、川原波輝がチャーリー・ファルコを判定で下し、同ストロー級王座を獲得している。続いて同年12月29日(日)、大阪市住之江区のゴリラホール大阪で行われた「Shooto2024 Final」にて、石原夜叉坊が轟轟をわずか50秒でKOした。
Text by Shojiro Kameike
大阪時代からの盟友であり、現在は米国カリフォルニア州サクラメントのチーム・アルファメールで練習している両者。川原はONEからのリリースが明らかになったあと、昨年3月にA1コンバットのストロー級王座を獲得し、UFCストロー級創設を目指して戦うことを明らかにしていた。同年5月には越智晴雄に敗れてDEEP同級王座を失ったが、その5カ月には英国で新たなベルトを巻いている。
一方、夜叉坊は2023年に2連敗を喫して以降、試合から遠ざかることに(※その理由はインタビュー後編にて)。日本に一時帰国し、自身のルーツでもある修斗に出場して勝利を収めている。そんな両者にとっての2024年、そして今後とは――インタビュー前編では、まず川原の試合を中心に語ってもらった。
――今回はお二人揃って、大阪でのインタビューとなりました。現在は一時的な帰国なのでしょうか。
夜叉坊 一時帰国ですね。ビザの更新で日本に戻ってきて、更新手続きに時間が掛かっていて……。それなら一度、日本で試合をしていこうと思って、去年の末に修斗で試合をしたんですよ。
川原 僕は5月にDEEPで試合をしたあと、9月に米国へ戻って、10月に英国で試合があったんですよ。英国の試合が終わったら、次は12月か1月にA1コンバットの防衛戦をする予定で。でも英国の試合で手を骨折してしまって、手術のために帰国しました。そこから3カ月経って、手の状態も良くなってきたから、そろそろ米国に戻ろうかと思っています。
――川原選手がケージウォリアーズ・アカデミー(以下、アカデミー)という大会で試合をすることになった経緯を教えていただけますか。
川原 アカデミーってケージウォリアーズの下部組織なんですけど、ケージウォリアーズにはストロー級がなく、アカデミーにはストロー級がある。そのアカデミーには英国全土のストロー級の強いヤツが集まっていると聞いていて。というのも、米国のチームメイトにケージウォリアーズ出身の選手がいて、しかもマネージメントがアカデミーのトップの人やったんです。トップの人に「アカデミーで試合させてほしい」と連絡しました。コーチもマネージャーに確認してくれることになって――そうしたらコーチが僕にスマホのカメラを向けて、「アカデミーのチャンピオンに向かってアピールしろ」と。
夜叉坊 アハハハ! すごいプロモーション力や。
川原 もともとアカデミーのストロー級チャンピオンが4年前にアルファメールで試合をしていた時期があったそうなんです。最初は「そのチャンピオンと練習したい」とアカデミーの代表に言ったら、「彼はナミキと対戦したいから、もうアルファメールには行かない」という返事で。だから「俺が英国に行くからベルトを賭けて戦え」とアピールの動画を送ると、相手からも「やろうぜ!」という返事が返ってきたんです。
――凄い展開ですね。そのアピールが実際にタイトルマッチ実現に繋がったのですか。
川原 最初はそんなにうまく行くとは思えへんかったけど、半年ぐらい経って暉仁(夜叉坊の本名)や友達と富士山に登っていた時ですね。富士山の頂上に着いて、下山しようとした時に「タイトルマッチのオファーが来た」と連絡が来ました。
夜叉坊 良かったですよ。もうやるしかない。
――そのアカデミーではケージウォリアーズ・サウスイースト王座を獲得しました。
川原 1R始まって2分ぐらいで手を骨折してしまい、倒し切れなかったです。3Rにもチャンスがあったけど、もう骨折した手が痛すぎて。打撃だけじゃなくグラップリング、スクランブルの時でさえ痛かったんですよ。相手が来たら反応して痛めたほうの手を出してしまうし。そんななかでもダウンは取ったけど倒し切れなかったですね。
――ケージレスリングは完全に川原選手が制しており、尻もちを着かされてから立ち上がるまでも速かったです。
川原 そこは問題なかったですね。ONEの時は2試合とも相手がストライカーやったから、ジャレットのようなタイプとも対戦してみたかったです。漬けられる気はしないから、「打撃で優位に立てるんちゃうかな」とも思うし。とにかく前回の試合については「倒し切りたかった」という気持ちは強いですね。
――DEEPストロー級王座統一戦で敗れたあとの展開は、どのように考えていたのですか。
川原 A1のベルトを巻いた時「UFCにストロー級を創りたい」と言いましたよね。大事なのはUFCファイトパスで放送されるA1でベルトを防衛し続けること。あとケージウォリアーズとか他の海外のベルトを獲ることが大事やと思いました。
もちろんDEEPのベルトも大事やったけど……越智さんに一撃で負けたということが、自分にとっては受け入れがたい事実でした。負けた直後は落ち込みましたよ。でも僕が「ここでこの負け方をしていたら、もう無理かな」ってボソッと言ったら、暉仁が「で、どうするんですか?」とめちゃくちゃシンプルな言葉をくれて。自分も「いや、やるけど」と気持ちを切り替えることができましたね。
――夜叉坊選手としては、川原選手がこの試合で引退するかも……という雰囲気を感じ取ったのですか。
夜叉坊 フフフ、僕にそんな深い考えはないです。リズムで、そう思いました。「無理かな」「どうするんですか」「やるけど」「そうですか」ってリズムで。
川原 アハハハ! 自分もそこで辞めるという選択肢はなかったんですよ。ただ、あの負け方をしたことが辛すぎて。
夜叉坊 波輝さんとはリズムが同じというか。僕も深く考えてはいなくても、自分が思っていることと感じていることは正しいと思っているし、思ったことは伝えるようにしています。DEEPの試合後は、僕も気づいたらそう言っていましたね。
川原 僕がONEをリリースされていたことを知った時、最初に「UFCストロー級を創りたい」って相談したのが暉仁でした。暉仁は驚くこともなく「良いじゃないですか。全然、あると思いますよ」と言ってくれて。
同じ話をしても、人によって色んなリアクションがあります。たいていの人は「UFCにストロー級って、キツいんちゃう?」って言いますよね。だけど暉仁は何一つ疑うこともなく「イケるんじゃないですか」と返してくれました。
――なるほど、必要な時に必要なことを言ってくれる間柄なのですね。次の試合予定は決まっているのでしょうか。
川原 次はA1の防衛戦ですね。相手はアダム・アリントンの名前が挙がっています。日本ではパンクラスで2度戦っている選手で、確かコロナ禍で北方大地さん、砂辺光久さんとのタイトルマッチが連続で流れて――パンクラスに出る前は、TUFの準決勝で扇久保博正さんと戦っていました(扇久保の判定勝ち)。
――そのアリントンもストロー級で戦いたい、と。
川原 そうですね。もともと体格は小さくで、フライ級で頑張っていた選手なんですよ。
夜叉坊 続々とストロー級に集まっていますね。
川原 本当はストロー級があればベストやけど、無理やりフライ級で戦っていた選手はおるんですよ。もしUFCストロー級が出来たら、フライ級からいっぱい落としてくるヤツおると思います。みんなベルトが欲しいから。
――UFCや北米でも最近は、フライ級も受け入れられている感があります。
川原 そう、結果的に受け入れられたわけじゃないですか。最初はUFCもヘビー級しかなかったわけでしょ。それが10年前にフライ級を創ることになった時、何て言われたか。もともとバンタム級やフェザー級でさえUFCにはなかったのに今はフライ級まで出来てきて、それがストロー級になったとたん、なんで皆「無理」って言いだすん? UFCストロー級誕生の流れは来ていると思いますよ。
夜叉坊 パントージャが2本目を獲りに来る可能性もあるんじゃないですかね。
川原 おぉ、あるかも! UFCストロー級が出来たら、ONEからも流れて来るでしょうし。
夜叉坊 大きい波が来ていますよ。
<この項、続く>