【CW Academy South East36 & Shooto2024 Final】川原波輝×石原夜叉坊─02─「ハワイ路上生活とは」
【写真】真ん中で日差しをまぶしく感じているのは夜叉坊のお母さんです(C)SHOJIRO KAMEIKE
昨年10月にCage Warriors Academy South Eastストロー級王座を奪取した川原波輝と、同12月に修斗でKO勝ちを収めた石原夜叉坊の盟友インタビュー後編。
Text by Shojiro Kameike
前編では川原がDEEP王座を失ってから英国で新しいベルトを巻くまでの話を中心に訊いたが、後編は修斗の試合前後に巻き起こっていた、夜叉坊らしいエピソードが満載に。格闘技コミュニティの強さに支えられる2人の今後に注目です。
――続いて夜叉坊選手に関するお話ですが……、一時期ハワイで路上生活を経験していたと聞きました。
夜叉坊 あれはもう「リアル路上の伝説」ですよ。
川原 ブルーノ・ソウザ戦が終わったあと、暉仁から「足が折れたからハワイに行って、バイトしながら休養してくる。すぐ帰ってくる」と言われて……。
夜叉坊 結果、3カ月ぐらいおりましたね。
川原 1カ月経って、2カ月経っても帰ってくる気配がない。チームメイトもザワつき始めているんですよ。「アレッ、アイツはいつ帰ってくるんだ!? もう足は治っているだろう」と。
それで暉仁に連絡したら「今バイトしている」「バイト先を追い出された「今、家がない」と、どんどんすごい展開になってきて(笑)。でも「何となりやるやろ。そのうち帰って来るやろな」と思いながら待っていましたね。
夜叉坊 バイト先で喧嘩になって夜中12時に、家主さんに追い出されたんですよ。でもその日ちょうどスマホが潰れていて。携帯電話がない、お金もない。しかも追い出された直後に雨が降ってきた。そんな状態からスタートです。まずは寝るところを探さなアカン。ハワイは夜中、海風が寒くて。
シャワーはビーチにあるし、昼は暖かいし、どこかで携帯電話を借りて助けを求めたら、ハワイを脱出することも可能やったんです。でも、その状況になって考えたんですよね。「地力でハワイを脱出したらエグイな」と。そこからリアル・サバイバルゲームが始まりました。
――もう自分でイカダをつくって脱出するようなお話です。
川原 アハハハ!
夜叉坊 まず唐揚げ屋でバイトしていた時に唐揚げ入りおにぎりを配っていたホームレスの人たちに、自分の状況を説明したんです。「そうか、来い!」とホームレスコミュニティみたいなところがあって、釣りのやり方や木の登り方を教えてもらいました。
――木の登り方、とは?
夜叉坊 道端にパパイヤ、マンゴー、パッションフルーツ、アボガドの木があるから、各地に自分のお気に入りの木を見つけておけば、自分のホームから離れても木に登って取ることができる。そのために木のマーキングや由良氏から、取り方を教えてもらって。木に登って取ったココナッツを観光客に売るというバイトを手伝って食いつないでいました。
――……盗品ではないのですか。
夜叉坊 これが盗品じゃないんです! 家にココナッツの木が生えている場合は、ちゃんと家の人にも聞きますし。というのも、ハワイは道を歩いていると木からココナッツが落ちて危ないこともあって。
――なるほど。現地に住んでいる方や観光客のためにもなるのですね。
夜叉坊 はい。1カ月ちょっと経った頃に、ハワイのコナという場所でホームレスになるんですけど、そこに一つだけローカルの格闘技ジムがあったんですよ。8代続く「ハワイ・マーシャルアーツ」をやっている、チェーさんという家族で。そこの子供が、僕がUFCで戦っているのを視ていたらしく、声を掛けてきてくれたんですよね。事情を説明したら、ジムで寝泊まりしながら技術を教えてくれ――という話になって。ハワイに行ってギリギリのところを転がりながら、最後に職を得ました(笑)。
川原 その頃、僕にはチョコチョコと連絡してきていて。アルファメールのチームメイトも「今、テルトは何をやっているんだ?」と訊いてくるんですよ。だから「ハワイでココナッツを売っているらしいよ」って……。最後はユライアが、「まだテルトはハワイにいるのか。いつ帰ってくるんだ?」と僕に訊いてきて。「お金もないし、分からない……」と答えたら、ユライアが「分かった」と。
夜叉坊 それでユライアがコナまで迎えに来てくれました(笑)。忘れもしない、1月3日ですね。僕の計算では4月までにお金を貯めて、航空券とサクラメントの家賃2カ月分は貯められると思っていたんです。それをユライアに伝えたら「もういいから帰ってこい」と強制的に――1月5日、旅のハワイ編は強制終了されました。
川原 帰ってきた時はエグかったですよ。服はボロボロ、髪もヒゲもボーボーで。帰ってきた時はユライアと鬼のハグをしました。「ユライア、やったね!」「おぉ、やったよ!」と。
夜叉坊 それで僕がチェーさんのジムにいた時、「話がしたかった」とチェーさんのお父さんが来てくれたんですよ。チェーさんのお父さんからは「日本とハワイは潮の流れが同じ。米国がハワイに来る前から、船で潮の流れに乗り、我々の先祖は交流を持っていた。ハワイに米国の基地が出来ても、年に1回は米軍に秘密で日本の武道家10人と、ハワイの武道家10人で、3日間かけて決闘していた。決闘が終わったら皆で飲み明かしていた」という話を聞いて。その日本人10人の中に××××がいたらしいです。僕、すごい話を聞いているなって思いました。
――すごいお話ですね!一方、最初にこの取材を申し込んだ時、川原選手から「夜叉坊が徳之島で入院している」という回答がありました。夜叉坊選手の故郷である徳之島で入院したというのは何があったのでしょうか。
夜叉坊 大変でしたよ。修斗の試合の1カ月前に徳之島へキャンプに行ったんです。そこで体を清める意味も込めて焚火をして――その時、ヤブに噛まれていたみたいなんです。
――えぇっ!?
夜叉坊 傷にはなっているけど治ったと思っていたら、足首に芯が残っとって。試合後5日間、また徳之島に行って、車を運転していたら左足に違和感があったんです。何か嫌な感じがして車を止めたけど、車を降りられんぐらい……もう左足が太腿ぐらいの大きさに腫れていました。痛すぎて、どうやって歩いて良いのかも分からん。さらに熱も出てきて、動けんようになって寝込んでいました。
川原 実は試合の1週間前ぐらいに熱を出していて、「珍しいな」と思っとったんですよ。あとあと考えたら、そこからもう症状が出ていたんじゃないかと……(苦笑)。
夜叉坊 その時は「冬眠期間や」ぐらいに言っていたんです。「ちょうどエェわ。試合1週間前、ちょっと休め」ってことやと。
川原 今まで、そういうことはなかったんですよ。集中力が高まってくると風邪もひかなくなるし。なのに今回は熱が出たから珍しいと思って。「久しぶりに大阪で試合するし、そういうのも関係しているんかなぁ」と思っていたら、絶対に徳之島のヤブやって(笑)。
夜叉坊 なんとかKO勝ちできて良かったです(笑)。
――年末に修斗で試合をする。どのような流れで決定したのでしょうか。
夜叉坊 ビザの問題で日本滞在も年を越す。そんな時、2年前に「今年の目標は日本で凱旋試合をすること」と書いていたノートを見て、「それが今年ちゃうんかな」と思ったんですよ。大阪大会まで1カ月ぐらい切っていたから、坂本(一弘サステイン代表)に「相手がおったら大阪大会で試合するんで、声かけてください」と連絡して。それで3~4人ぐらい候補がおって、声かけると轟轟選手が手を挙げてくれたそうです。
――結果、秒殺KO勝ちでした。計量でも試合でも、昔より言葉少なく。
夜叉坊 アハハハ。試合が長くなろうと短くなろうと、チャンスが来たらそこで仕留めにいこうと思っていました。MMAって上のレベルに行くと、1試合の中にチャンスってそう何回もない。そのチャンスが来た時「今なん!?」ってならないようにするためには、嗅覚と落ち着きが――経験も生きて来ると思うし。それが今回できたので良かったです。
――このまま日本で、という気持ちにはなりませんか。川原選手も夜叉坊選手も、米国の空気が合っているのだろうと思うところもありますが。
川原 僕も特に日本で――という気持ちはなくて。もともと営業職をやっていたので、喋りは得意なんですよ。アカデミーの試合の時でもそうやったけど、自分が話をしてその流れに持っていくことができるというか。
夜叉坊 自分も、次の試合も日本になるかもしれんけど、自分が決めた規律を守っていれば、どこでもやっていけると思っています。