【on this day in】1月25日──2009年
【写真】約1年前の大晦日でKIDの対戦相手に挙がっていたイアン・マッコールに注目していた一戦。マッコールはドミニクの動きについていけず、フルマークの判定負けを喫していた (C)MMAPLANET
WEC38
@カリフォルニア州サンディエゴ、サンディエゴ・スポーツアリーナ
「当時、WECを取材することは特に大切だと捉えていた。65キロ以下の選手に、70キロ以上の選手が得ることができたステイタスが米国で与えられる。それは日本人ファイターにとって、朗報だった。今ではバレービュー・カジノセンターと呼ばれているサンディエゴ・スポーツアリーナ(※目の前の通りは今もスポーツアリーナ・ブールバードという名称だ)で行われたイベントで、一番のお目当てはユライア・フェイバー×ジェンス・パルバー02。約7ヶ月前にユライアのおひざ元サクラメントのARCOアリーナ(※こちらはスリープトレイン・アリーナと呼ばれるようになっている……)で行われた初戦はスコアこそ離れたが、5Rに渡る激戦だった。しかし、この日は僅か94秒でユライアのギロチンでケリがついた。結果的にジェイミー・ヴァーナーに打ち負けたドナルド・セラーニや、ギロチンで勝った後にメガネをかけ、グレイシー柔術を表す三角形を作ったベンソン・ヘンダーソンなどライト級のファイターの方が印象に残る大会となった。フェザー級以下だと、WEC3戦目でロランド・ぺレスを相手にせず、TKO勝ちし観客席になだれ込んだジョゼ・アルドのインパクトはピカイチだった。その一方で、ペレスと同じジムから出場した選手のおかしな動きに、期待のイアン・マッコールが成す術なく敗れた一戦に関しては、単にマッコールの調子が悪かったと捉えるにとどまっていた。頭を──いや、上半身を左右に大きく振り、時に前屈みになり、スイッチを繰り返す、変なリズムの持ち主の強さを全く見抜くことはできていなかった……。何より、僕はこの舞台では日本人選手が頂点に立つことは、さほど難しくないと思っていた。我が目を節穴と呼ばして、何と呼ぼうか……。知ったかぶり、分かった振りは大敵であると、ドミニク・クルーズが教鞭を振るってくれたようなものだ」
on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。