この星の格闘技を追いかける

【TORAO40】コンキリオ坂元寛史に聞く初の岐阜大会「東海地区で修斗の活動がなくなっていくことは……」

【写真】格闘技を始めた頃、中部の激動を肌で感じていた坂元氏が、プロ修斗興行に辿り着いた(C)SHOJIRO KAMEIKE

13日(日)、岐阜県各務原市の各務原市産業文化センター あすかホールで、TORAO40が開催される。プロ修斗公式戦としては初の岐阜開催だ。
Text by Shojiro Kameike

今年5月のTORAO38福岡大会の前に行った、プロモーター山本陽一氏のインタビュー時、岐阜大会に関する話もあった。記事では福岡大会とLemino修斗に関する話が中心となり、岐阜大会に触れた部分は割愛したが、山本氏は次のように語っていた。

「去年の1月、コンキリオの坂元寛史さんからお話を頂きました。坂元さんは現在、日本修斗協会の東海支局長を務めています。その坂元さんがソーキ選手と一緒に、岐阜から岡山県津山市まで来られて『プロ修斗興行をやりたい』と。それも地元密着という形で――TORAOはアマチュア修斗を行い、選手が育ってプロになる。そういう循環を地方でつくってきました。その循環を岐阜でもつくるお手伝いをさせてもらうことになります」

今回はそのコンキリオ代表の坂元氏が、プロ修斗岐阜大会を開催したいと思った経緯と理由――その中にある修斗愛を語ってくれた。と同時に東海地区、ひいては日本全国に修斗を広めていくための課題も口にしている。TORAO=プロ修斗岐阜大会の開催を通じて考える、現在のMMAワールドにおける修斗とは。


トレーナーとしては田丸匠がジムに入会してきた時から、ずっと指導していました

――今回はTORAO岐阜大会に関するインタビューですが、まずは坂元さんの経歴とジムについてお聞きしたいと思います。坂元さんは2006年にナセルドソルからプロデビューし、修斗で戦っていました。現役引退は……。

「2012年ですね。2006年にナセルドソルが立ち上がり、今年で20年になります。僕が運営しているコンキリオは、正式名称は『ナセルドソル各務原支部 コンキリオ』です。ただ、それでは名前が長いので、ナセルドソル代表の野村浩之にも話をして、コンキリオと名乗っています」

――選手としての活動は、ずっとナセルドソル所属で?

「経歴についてご説明すると、もともと僕は格闘技ファンで――佐藤ルミナさんと宇野薫さんの初戦(※1999年5月29日)を映像で視て、『修斗をやりたい』と思ったんですね。それで四王塾の塩崎啓二さんが開催された岡崎フリーファイトに、朝日昇さんが来られるからと、サインが欲しくてアマチュア修斗を見に行ったりとか(笑)。その頃、翼鍛錬所が公共の体育館で行っていた練習に何度か参加させてもらったことがキッカケでアライブに行くことになったんです。アライブが名古屋の池下にある頃でした。

アライブで練習していたのは2000年から2001年ぐらいで、梅村寛さんがアライブ小牧(※現在のネックススポーツ)を立ち上げることになり、僕も2004年まではアライブ小牧にいました。そのあと、僕の柔術の先生である野村さんが岐阜にナセルドソルを始めることになり、僕もついていったんです。2005年の全日本アマ修斗経てプロになり、2006年にナセルドソルがスタートして――プロ修斗名古屋大会もそうですし、DEEP名古屋大会でも試合をさせてもらい、今に至るという流れです」

――まさに名古屋~岐阜MMAの歴史といえる名前が続々と出てきますね。坂元さんは現役を引退したあと、ナセルドソルのインストラクターを務めていたのですか。

「インストラクターもやってはいましたが、2012年に引退したあと一度、会社に勤めていました。ただサラリーマンになってから忙しくなり、インストラクターから離れていた時期があったんです。トレーナーとしては当時、田丸匠がジムに入会してきた時から、ずっと指導していました」

――田丸匠選手! そういえば最近、何かインターネット上で話題になっていましたが……。

「ポケモンカードの世界大会に、日本代表として出場していたみたいですね。ゲームの世界ではありますけど、やはり『戦う』ということは得意なのだろうと思います」

――坂元さんが一度インストラクターから離れて、再び格闘技の世界に戻ってきた理由は何だったのでしょうか。

「サラリーマンをしながら『このまま定年まで働くのはどうなのか。まだ40代で、頑張れば自分でもジムを持つことができるのではないか』と思ったんです。そこでコンキリオを立ち上げると、すぐに佐藤ルミナさんから『東海地区で修斗を運営してくれる方はいないか』という話があって。当時の東海地区は、年に1回しかアマチュア修斗が開催されていない状況でした。僕はもともとアライブにいましたから、定期開催されていた時期を知っています。誰からが東海地区で修斗をやらないと、このエリアから修斗がなくなってしまうかもしれない、と。

東海地区というのは、DEEPが強い地域です。ただ、僕はDEEPのお手伝いもさせていただいています。そういった協力は続けつつ、自分が今までやってきた修斗も再興できたら良いかなと思って、東海支局長を引き受けました」

キッズ&ジュニア~アマチュア~プロと人間を育てていく。それがなくなったら、もう修斗じゃない

――名古屋でDEEPが活性化していく流れに、一番大きな役割を果たしたのはアマチュアの存在だと思います。そもそもアマチュアDEEPは名古屋が発祥で。ただ、それは修斗がずっとやってきたことでもあるわけですよね。日本全国を回り、アマチュア大会を開催して選手とジムを増やしていく、と。

「はい。東海地区でアマチュア修斗の開催が少なくなっていく一方で、他の地域では盛り上がりを見せていました。もちろん関東は、良い選手がいて、良いジムもたくさんある。そして近畿や中四国からも良い選手がどんどん出てきていて。さらに自分が引退して田丸がアマチュアから育った時は、東海地区にプロ修斗興行はなかったんです。それだとアマチュア修斗で活躍した選手が、プロに昇格してどこで戦えばいいのか。

修斗の中でいえば、一度だけSTFさんの主催で、公武堂さんのリングで大会が開催されましたよね。そこで田丸が新人王トーナメントの準決勝を戦ったんです。あれが2015年11月で、以降は今回の岐阜大会まで、東海地区では修斗のプロ興行は開催されていませんでした」

――11年振りの東海地区開催!。

「そこから約11年振りに東海地区でプロ修斗興行が開催されることになりました。メインに出場するソーキは僕の後輩で。彼は2024年に環太平洋タイトルマッチで負けて、引退しようと考えていたんです。ソーキからは『もし引退するなら最後に地元で、修斗の試合をしたい』という話を聞いていました。

初の岐阜大会開催のキーパーソン、元環太平洋王者のソーキがメインで戦う。対戦相手の平澤克明も坂元氏にとっては先輩にあたるという(C)SECOND OUT

ただ、2024年当時は東海地方でプロ修斗興行をやるなんて、誰も考えていなかったです。僕もソーキに『宝くじが当たったら大会やろうか』と軽く話をしていて(笑)。するとソーキが『もう一回頑張るから、何とか開催してもらえませんか』と言ってきたので、TORAOの山本陽一さんに相談したんです。

そこから話が進んでいったのですが、岐阜という場所は、いまだに地下格闘技が多く開催されていて。借りられる会場を手当たり次第に探しましたが、『ボクシングとプロレス以外には貸せない』と全滅でした」

――……。

「そもそも岐阜という場所は、ボクシングとプロレスの土壌はありましたが、キックボクシングも開催されていないし、MMAに関しては全く土壌がなかったです。それが今回、たまたまジムの会員さんが各務原市議会議員さんと繋がりがあり、相談してみたんです。するとその議員さんが格闘技を好きな方で、山本さんと一緒に『修斗とは何か』を説明させていただき、『各務原でやってみよう』という話になりました。その市議会議員さんの協力もあり、今回は各務原市の会場を借りることができました」

――大会の後援には各務原商工会議所も入っている。地域密着で修斗を認知させていくためには、重要なことだと思います。

「山本さんに相談した時、『ノウハウを教えるので、自分でもできるように頑張ってください』と言われました。プロモーターライセンスの問題もあるので、今後も継続開催できるのかどうかは分からないですけど……」

――そこにISHITSUNA MMAの林巧馬代表が加わるわけですね。ISHITSUNA MMAさんではケージを使用したアマチュア修斗を開催しています。

ISHITSUNA MMAの林巧馬代表。ジム運営の他、2024年12月にはケージを使った有料イベントも開催している(C)SHOJIRO KAMEIKE

「そうなんです。ISHITSUNA MMAさんで開催されている東海ケージファイトは、私の管轄で開催されています。僕としては自身が競技をやっていた身からすると、アマチュアであっても現行のプロルールに合わせてやっていかないと、そのプロルールで勝てる選手は育たないと思うんです。修斗のプロ興行は後楽園ホールで、ケージを使っている。なのにアマチュアは柔道場だったり、リングでやったりというのは、そもそもの戦略が変わってくるじゃないですか。

一番良いのは自分のジムにケージを設置して、そこで大会を開催することです。しかしウチも立ち上がって3年ぐらいで、そこまで力はない。そんななか林さんは僕よりも若いけど、対世界を見据えていて、選手育成のこととかもよく話し合うんですよ。その林さんが『修斗のことなら協力します』と言ってくれて、ケージを使ったアマチュア修斗を開催できるようになりました。今回のプロ興行も、林さんが持っているケージをお借りする形で」

選手の部分だけをフォーカスして育て過ぎたために、ダメだった例もありました。もう二度と、そういう選手は育てたくない

――アマチュア修斗を行い、プロ興行の開催に至った。坂元さんとしては、東海支局長として他に変えていかなければいけないと考えている点はありますか。

「そもそも東海地区は修斗が何かを知っている人が少ない状況なので、もっとも広めていかないといけないですよね。今回、岐阜で開催するのもそのキッカケになれば良いと思っていますし、『東海地方でも修斗はやっているよ』ということを広めていきたいです」

――協会としての広報活動は、より重要になってきますね。

「見たければどうぞ、という姿勢ではダメです。やはりDEEPさんやパンクラスさんは広報活動をやっている。対して修斗は各プロモーターに任せられていて、それぞれが頑張っている。でもそれ以上に、このまま東海地区で修斗の活動がなくなっていくことは、忍びないんですね。だから今の東海地区では林さんと協力して、活動を行っています。そういう活動を東海地区だけでなく全国規模でやっていかないと、このままでは修斗が続いていかないと思っています。

特に修斗は競技であるとともに、やはり理念だと思うんですね。人を育てることを掲げている、武道のような面がありますよね。もちろん他の団体も素晴らしいと思っています。しかし修斗が違うのは、そういった教育の部分だと思っていて。昔はアマチュアからプロを育てていくことでした。今はそこにキッズやジュニアが加わり、キッズ&ジュニア~アマチュア~プロと人間を育てていく。それがなくなったら、もう修斗じゃないと考えています」

――同時に、アマチュア大会の開催からプロ興行の主催者も育てていく。それが修斗の仕組みである一方で、プロ興行はリスクもあって難しい部分ではあったかと思います。

「僕自身は長く指導者をやっていて、今は自分のジムを運営しています。過去の経験からいえば、選手の部分だけをフォーカスして育て過ぎたために、ダメだった例もありました。もう二度と、そういう選手は育てたくない。

今回の興行は、キッズの試合を2試合入れています。ジムの中でも頑張っている子の試合を組みました。その試合を見て、他のキッズたちも『ああいうふうになりたい』と思ってほしい。そういう子たちの先にはアマチュアがあり、プロがある。修斗で大切なのはその部分であって、子供たちはもちろん大人の選手にも、ちゃんと段階があることを見てもらいたいです。そのうえで人間としてもちゃんと育ってほしいし、育てていきたいというのが、僕の修斗プロ興行に懸ける想いです」

■視聴方法(予定)
9月13日(日)
午後2時~ ツイキャスPPV

■TORAO40 計量結果

<ウェルター級/5分2R>
ソーキ:76.9キロ
平澤克明:74.8キロ

<ミドル級/5分2R>
沙門:83.8キロ
松宮陸生:83.0キロ

<フェザー級/5分2R>
稲葉祥真:65.5キロ
辻純也:65.7キロ

<ライト級/5分2R>
紀州:70.1キロ
老翁:70.3キロ

<フェザー級/5分2R>
山田稜真:65.4キロ
西村良太:65.6キロ

<フェザー級/5分2R>
田中翔馬:65.6キロ
翔べ!ゆうすけ!:65.6キロ

<女子アトム級/5分2R>
ヒヤマNFC:47.4キロ
深井志保:47.5キロ

<バンタム級/5分2R>
御前昂史:61.0キロ
倉冨立聖:60.9キロ

<フライ級/5分2R>
石原大空:56.5キロ
西村大地:56.5キロ

PR
PR

関連記事

Movie