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【LFA202】LFA初陣=ユニソフ戦へ、上久保周哉─01─「AKAはロシアや中央アジアの選手がいると聞いて」

【写真】LFAで戦うため、勝つためにAKAで練習。いかにその経験を生かすことができるか(C)TAKUMI NAKAMURA

21日(金・現地時間)にニューヨーク州ナイアガラフォールスのセネカ・ナイアガラ・リゾート&カジノで開催されるLFA202「Nkuta vs Garcia」のコメインイベントで、上久保周哉が10勝0敗のタジキスタン人ファイター=バクトヴァル・ユニソフと対戦する。
Text by Takumi Nakamura

昨年9月にLFAとの契約を発表し、年内のLFAデビューを目指していた上久保。米国の大統領選と政権交代が及ぼすビザへの影響で、LFAデビュー2月にスライドする形になったが、この期間を利用し「AKAにはロシア人や中央アジアの選手がいると聞いていて、その辺りの組みが強いレスラーやグラップラーのMMAを体感したい」と米国AKAでのトレーニングキャンプを敢行した。

まさに満を持してのLFAデビュー、そしてユニソフとの一戦。「UFCに出る」ではなく「UFCで勝つ」ことを追いかけ続ける上久保の新たな戦いがスタートする。


――LFA初陣が2週間後に迫ってきました(※取材は7日に行われた)。試合そのものはどのくらいのタイミングでオファーがあったのですか。

「1月に入ってからだったので、大会の4~5週間前くらいだったと思います」

――昨年9月にLFAとの契約を発表し、年内の試合を希望している中で年をまたぐ形となりました。上久保選手としては年明けの早いタイミングで試合をしたいという意向もあったのですか。

「そうですね。年内に試合があると思って準備していたんですけど、ビザの関係で来年になりそうだということを年末に言われていて。個人的には年が明けて上半期、3月までには試合をしたいと思っていたところ、2月大会のオファーが来た感じです。準備期間は短いですが、この時期に試合ができてよかったと思います」

――年末にAKAでトレーニングされていましたが、今回の試合が決まってから渡米したわけではないのですね。

「はい。試合間隔が空きそうで、米国自体にも久しく行ってなかったですし、今の自分が米国にいったら時差ボケがどのぐらいあるのかなど(試合が決まるまでに)1回試しておきたいと思って渡米しました。あとはいろんな選手と体で触れ合って技術確認したいという目的もありました」

――米国で練習したのはいつ以来になるのですか。

「ONEに出る前、ムンジアルに出た時なので、7年近く前だと思います。その時は練習がメインで渡米して、ムンジアルに出て、そのまま米国に残って、ドミニク・クルーズがいるアライアンスMMAで練習する流れでした」

――今回AKAを選んだ理由は?

「色んな候補があったんですけど、AKAにはロシア人や中央アジアの選手がいると聞いていて、その辺りの組みが強いレスラーやグラップラーのMMAを体感したいと思ったからです」

――AKAの練習スケジュールはどのような感じだったのでしょうか。

「期間は約6週間、月から金まで練習して、土日が休みというスケジュールでした。基本的には午前中に選手練をやって、夕方から夜にまた選手で集まって練習したり、セミプロの選手も交えて組みの練習をしたり、柔術をやったり…そんな感じでやっていました」

――実際にロシア人や中央アジアの選手たちと多く練習したのですか。

「はい。軽量級にはロシア人のレスラーが何人かいたり、A1コンバットに出ているカザフスタンの選手もいて。その辺りの選手たちにはなぜか気に入られて、たくさん組んできました」

――同じ組み技が強いスタイルでもタイプが異なる。そういう部分でお互いに得るものが多かったのでしょうか。

「そうだと思います。自分も日本で組むタイプとは全然違うなと思いましたし、おそらく向こうもそれを感じたと思います。あとは僕がスパーをお願いされても断らないから、ノーと言わない日本人的な感じで、みんなに受け入れてもらいました(笑)」

――練習そのものはMMAスパーが多かったのですか。

「MMAスパーの日は週3回あって、組みの練習はほぼ毎日やっていました。ロシア系の選手は日本人やアジア人と比べて出力の仕方が違うというか。なんか一つ一つがガチっとしていて、形に入るまでの動きが硬い感じがしました。逆に日本人はじわじわ動きを調整して、形を創るまでに少し時間をかけるというか。そんな印象がありました。動きを調整するというか、1回の動き・1発で形にはめようとする感じです」

――なるほど。

「かといってダイナミックな動きが雑なわけではないし、瞬発力もある。思いきりの良さと決まった形にはめる能力の高さのようなものを感じました。ただそれは身体が頑丈だからできるんだろうなと思うし、僕らが真似しようと思っても真似できないというか。日本に戻ってきて、AKAの練習のイメージで日本人の選手と組んでも、ああいうタイプは日本にはいなかったです。だから(ロシア系の選手と)試合する前に練習で彼らの動きを体感することが出来て、いい免疫ができましたね」

――逆に通用した部分や手応えは感じた部分はどこですか。

「練習を始めた頃は上手く手が合わないなと思ったんですけど、向こうは向こうでジリジリ来るやりにくさや難しさがあっただろうなと思います。僕は1回のアテンプトでいい形が創れないと、弾き飛ばされる感覚がありましたし、時間をかけて形を創ると言っても、その時間が創ることが結構大変だったりもするので、そこも含めて戦い方を考えなきゃいけないなと思いました」

――トレーナーから指導された部分はいかがでしょう。

「個別でミットを持ってもらったり、MMAスパーを動画で撮ってもらって、それを見ながら自分の長所を活かすためのアドバイスをもらいました。それは組みでも打撃でも。アンソニー・ドゥやマーク・クリマコから結構いいアドバイスをもらって、コーチ陣もわりかしアドバイスをくれる人が多かったです。ちなみにケイン・ヴェラスケスにもミットを持ってもらったんですけど『お前はパンチが弱いから思いっきり強く打て!』って散々言われました(笑)」

――ヘビー級と比べたらダメだろ!とツッコみたくなりますね(笑)。スパーリングする相手も含めて、AKAで練習したことはいい刺激になったのではないですか。

「そうですね。もともと出稽古に行くのが好きなので、久々に行って楽しかったです」

――米国から戻ってきて、その経験を生かして強化をした部分はありましたか。

「やっぱり海外の選手は同じ階級や少し下の階級でも自分よりフィジカルがあると感じて、上手く行かなかった部分もあったんですけど、そこはだいぶ修正できました。日本に帰ってきてから組みの感覚やピンチになった時のリカバリーも大分いい感覚になっています。米国でやるガチスパーは本当に容赦せずにやるので、いかにダメージを負わないでリカバリーして、自分の攻めのターンに持ってくるかとか、だいぶ意識できるようになりました」

<この項、続く

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