【Double G FC17】パク・チャンスとライト級王座決定戦、岩倉優輝「リスクが少なく相手を崩せる足技を」
【写真】岩倉は寡黙な選手との情報もあったが、明るく楽しく喋ってくれるファイターだ(C)SHOJIRO KAMEIKE
6日(木)、韓国はソウル江南区のソウル繊維イベントセンターで開催されるDouble G FC17で、岩倉優輝が同フェザー級王者パク・チャンスとのライト級王座決定戦に臨む。
Text by Shojiro Kameike
DEEPフューチャーキングトーナメント2021でライト級を制した岩倉は、2022年9月にプロデビュー。ここまでの戦績は3勝2敗——前戦は野村駿太にKO負けを喫し、再起戦が敵地でのタイトルマッチとなった。「それでも大きなチャンスだと考えている」という岩倉に、その格闘技キャリアとタイトルマッチへの意気込みを訊いた。
――Double Gのポスターを見ると丸坊主姿で、「昔の写真を使っているのかなぁ……」と思っていたら、リモート画面が繋がって丸坊主だったので驚きました。
「今の写真です(笑)。今年に入って髪が伸びてきて、一度坊主にしてみよう思っただけで。そうしたら毎日の練習も坊主のほうが楽でした」
――なるほど(笑)。岩倉選手はもともと柔道出身とのことですが、何歳から柔道をやっていたのでしょうか。
「小学1年から大学4年まで柔道をやっていました。中高は個人、大学は団体で全国大会に出場しています」
――それだけ柔道に打ち込んでいた岩倉選手がMMAを志した理由は何だったのですか。
「高3の時に、コナー・マクレガーがグァーっと上がってきていたんですよ。もともと格闘技は好きで、SNSで格闘技の動画をよく視ていました。そこにUFCの動画が出てきて、マクレガーの影響でMMAにハマりましたね。
でもその時はまだ『柔道を辞めてMMAに!』という気持ちにはなっていませんでした。柔道の推薦で大学に行くことは決まっていたし、キッチリと大学まで柔道をやらなければいけないと思って」
――ではMMAを始めたのは大学卒業後で……。
「大学を卒業して、一度就職した後ですね。当時はコロナ禍でMMAの大会も行われなくなっていたので、『世の中が不安定になったから、とりあえず就職しておこうか……』と思ったんです。安易な気持ちかもしれませんけど」
――決して安易ではないと思います。それだけ先が見えない大変な時期でしたし、無職のままMMAを始めるのも不安でしょう。
「実は大学4年生の時、アマチュア修斗関東選手権で優勝したことがあるんです。コロナ禍で柔道の引退試合もなくなっていたので、自分のスポーツのケジメとして出場しました」
――えっ!? まだMMAを始めていない頃ですよね。
「柔道しか経験はなかったです(苦笑)。同じ大学の寮にボクシング部員がいたので、小手先のボクシング技術だけ教えてもらって出場しました。セコンドは柔道部の同期に付いてもらって。3試合を勝ち抜いて優勝したけど、その年は全日本選手権が開催されなくて、僕も就職したんですよ」
注)2020年は当初、7月5日に関東選手権、10月18日に全日本選手権の開催が予定されていた。しかしコロナ禍のため関東選手権が同年12月6日に延期。翌2021年3月14日に全日本選手権もスライドされたが、緊急事態宣言の発令により中止となっている。
「そこで就職した会社の先輩に、格闘技をやっている方がいらっしゃいまして。『休みの日にジムで体を動かしている』という、たわいもない会話から僕もNICE BAD GYMに行くようになりました。その就職先も11カ月で辞めて、脱サラ2週間後にDEEPフューチャーキングトーナメントに出場したんです」
――フューチャーキングに出場するために退職したのですか。
「こういうことを言うのも何ですけど、自信があったんですよ。フューチャーキングを制してプロになって生活していこうと思っていました」
――しかしプロデビュー戦は、フューチャーキング決勝で下していた倉本大悟選手とのリマッチで敗れました。
「メチャクチャ落ち込みましたけど、それ以上に『うまく行きすぎて調子に乗っていた自分』がいたんだと思います。そこから『もっと打撃を磨かなきゃいけない』とか――ポジティブに考えれば、勉強になったデビュー戦でした。でもキャリアを考えると、一番大事なプロデビュー戦を落としてしまっているので、先のことは心配になりましたね」
――打撃を重点的に磨いたのは、プロデビュー後なのですね。
「最初は自分も打撃ができるっていう手応えはあったんです。でもディフェンスを特に考え始めたのはデビュー戦後ですね。NICE BAD GYMで上迫博仁さんに教わったことはもちろん、出稽古でGENに行かせていただいて。GENで田牧一寿さんにボクシングを教わったことも大きかったです」
――田牧トレーナーですか! GENで練習しているファイターからは、常にそのお名前を聞きます。田牧トレーナーの指導で、どういった点がレベルアップしましたか。
「田牧さんの指導は、基本的なことを細かく教えてくれます。たとえばコンビネーションはスピード重視ではなく、まず一つひとつの動きの正確さを大切にしていて。田牧さんに教わったことで、パンチの仕組みを理解できるようになりました。
おかげでパンチを当てた時の感覚は変わってきたと思います。スタンドのパンチだけじゃなく、パウンドでも自分の拳をしっかり当てる感覚も掴めているような気がして。力いっぱい殴るのでなく、的確に当てることを意識するようになってきていますね」
――しかも柔道のベースがあるため、試合では相手をしっかり抑え込んでから殴ることで威力も増しているように感じます。
「それは最近、ようやくMMAで抑え込むという感覚が分かってきたように思います。どちらかというと柔道時代は寝技を毛嫌いしていたんですよ。MMAを始めて『人と抑え込むことって、こんなに難しいのか』と実感させられました。柔道の抑え込みとも違うし、レスリングというよりもグラップリングをちゃんと意識するようになって」
――そういえば、これまで岩倉選手の試合で柔道の大きな投げ技を見たことがないですね。
「やっぱり柔道の癖で、大きく投げようとするとバックに回られることがありました。その中で、柔道の技で一番役に立っているのは足技なんです。蹴りと足払いを混ぜたり、足払いで崩してから足を取ってテイクダウンに行ったりとか。崩してから殴るっていう戦い方もありますよね。リスクが少なく、相手を崩せるのが足技だと思います」
――プロデビュー戦こそ敗れたものの、その後は3連勝で野村駿太戦を迎えました。若手同士の一戦で、あの試合で勝ったほうが上位陣へ……というサバイバルマッチであったと思います。その野村選手の左ストレートを食らい、KO負けを喫してしまいました。
「あの時はパンチとパウンドに手応えを感じて、ちょっとずつMMAを理解し始めていた時期でもありました。そこで賢く戦おうと思ってしまったというか……。『テイクダウンできたけど、今は思いっきり攻める時ではない』とか考えてしまって」
――そう聞いて理解できました。フィニッシュシーン直前、ブレイクが掛かった後に岩倉選手の動きが止まっています。
「そうですね。ブレイク後に『この後はどうしようかな』と考えてしまっていました……。あの時は試合前にプランを考えすぎず、相手の動きに合わせて、その場で考えて動こうと思っていたんです。でも今はシチュエーションごとに、どう対処するかを考えるようになりました。やっぱり自分のベースは柔道なので、組みの部分を生かして自分のアクションを増やせるように練習してきたつもりです。打撃も伸びてきたので、打撃が強い相手でもスタンドで圧力をかけてから組んだり」
――再起戦がいきなりDouble G FCのタイトルマッチで、フェザー級王者パク・チャンスと空位のライト級王座を争うこととなりました。
「相手は何でもできるタイプで、身長も高いし遠い距離からの打撃もあります。まず相手にペースをつくらせないように、自分が先手を取って攻めていきたいと思います。前の敗戦のことを考えていても仕方ないし、MMAを始めた頃のように『ヨッシャ、やってやる!』という気持ちが強いです。
自分も緊張はしていますけど、その代わり大きなチャンスだと思っています。派手に打ち勝つ試合よりも、しっかり練習してきた自分の強みを生かす試合を――僕ができること全てを出して、ベルトを巻きたいです」