この星の格闘技を追いかける

【DEEP JEWELS51】竹林エルと対戦、サラ「辛い時期でも格闘技だけはやりたいという気持ちがあった」

【写真】前日計量は48.85キロでクリア(C)MMAPLANET

23日(日)に東京都港区のニューピアホールで行われるDEEP JEWELS51で、サラ竹林エルと対戦する。
Text by Shojiro Kameike

サラはドイツ生まれで現在23歳のサラは学生時代に格闘技を始め、DEEPあるいはDEEPジュエルスのアマチュア戦で5勝2敗の戦績を残し、2024年にプロデビュー。初戦の上瀬あかり戦は星を落としたが、その後は2連勝で今回の竹林戦に臨む。

佐藤将光が主催するFIGHT BASE都立大でインストラクターを務めながら、プロのファイターとして生きることを選んだ。自身のキャリアについて『辛い時期でも格闘技だけはやりたいという気持ちがあった。格闘技が自分にとって一番大事なものだった』と、サラがMMAへの想いを語ってくれた。


コロナ禍が終わる気配もないなか、自分で何か行動を起こさないといけないと思ってベルリンに

――サラ選手は生まれも育ちも日本なのですか。

「生まれはドイツのデュッセルドルフです。父がドイツ人、母が日本人で。父はデュッセルドルフで育ち、日本の大学に通っていた時に母と知り合ったそうです。母と結婚してドイツに戻ったあと私が生まれ、私は2歳ぐらいまでドイツにいました。そのあと6歳から8歳までシンガポールにいた時以外はずっと日本です」

――ドイツにいたのが2歳までとなると、今はドイツ語を喋ることはできますか。

「日本ではインターナショナルスクールに通っていて、それがドイツ学園(東京横浜独逸学園)だったんですよ。だからドイツの教育を受けています。授業は全てドイツ語で受けていました。なので日本語は勉強したことがなくて、今でも漢字の読み書きは難しいです(苦笑)。

ドイツ学園の友達も、高校を卒業してから皆、ヨーロッパに戻りました。そこからドイツ語を喋る機会がなくなって、今はお父さんと喋る時だけですね。最近はもう言葉が出て来なくて……お父さんと話す時も日本語と混ざってしまいます」

――格闘技を始めたのは、そのドイツ学園に通っている頃なのですか。

「14歳の頃、格闘技のジムに体験に行って。ミットを持ってもらって楽しく感じて始めました」

――その時なぜ格闘技のジムに?

「私がティーンエイジャの頃、夜遅くまで遊んでいたりしていて。お母さんが『このままだと娘が良くない方向に進むんじゃないか』と心配して、学校終わりに友達と遊びに行けないように、何か習い事をさせたかったというのが始まりです(笑)。

母から『何でも良いから習い事をやって』と言われた時に、何でも良いなら格闘技をやってみたいと言いました。もともと強い、戦える女性に憧れがあって。子供の頃、女性が主人公の映画が好きだった記憶があります。その影響で『戦えたらカッコイイな』みたいな。そういう気持ちがあったんだと思います」

――やはり戦うヒーローもの、ヒロイン作品に憧れて格闘技を始めるケースは多いですよね。我々も漫画を読んで格闘技の道に進む世代で。

「本当にそんな感じです。最初はお家の近くにあった空手の道場に行ったんですけど、何か自分の想像していたものと違って。そこは辞めて、もう一つ近くにあった坂口道場に行ったんですよ。クラス体験で、窪田幸生さんにミットを持ってもらいました。

私は当時、MMAというスポーツの存在を知らなくて。柔術も知らない。格闘技といえば空手、ボクシング、柔道、レスリングぐらいしか知らない。そんな何も知らない状態で行って……それこそプロで戦うとかは全く考えていなかったです。ちょっと痩せることができて、戦えるようになれば良いなって」

――では学生時代の将来の目標は何だったのでしょうか。

「高校を卒業したらドイツに戻って大学に入ろうと考えていました。ドイツは大学が無償で、良い大学もいっぱいあるし、勉強して就職しようと。ドイツ学園は卒業したらドイツへ戻る子が多く、私もそう考えていました。

でも高2ぐらいで格闘技が楽しくなり始めたんです。同じジムの会員さんがキックボクシングの試合に出た時、応援に行って初めて女性が格闘技の試合をしているのを見ました。すると周りから『サラも試合に出てみればいいじゃん』と言われて。

ちょうどその頃、佐藤将光さんがFIGHT BASEをオープンして、私もFIGHT BASEにも通い始めるようになりました。そのあたりから格闘技の面白さに気づき始めて、試合に出たら完全にハマッてしまったんですよ。でもコロナ禍が起こってしまって……」

――……。

「コロナ禍の頃は、ヨーロッパが凄い状態だったんですよ。本当に家から出ちゃダメで。外出していると警察に捕まってしまったりとか、日本よりも遥かに厳しかったです。そんな時期に高校を卒業して、今ドイツに行っても絶対に楽しくない。だからギャップ・イヤーといって、大学に行かずにコロナ禍が治まるのを待っていた時期がありました。

でも日本にいても、あまり格闘技の練習はできなかったです。親からも『あまり外出しないように』と言われていて。結局はコロナ禍があったために日本に残り、そのまま日本で大学を探すことになりました。

でも最初に言ったとおり、自分は漢字の読み書きができなくて。英語のコースがある大学を探してトライしたけど落ちてしまいました。自分としては格闘技をやりたいし、そこで一度、大学進学は諦めたんです」

――それだけコロナ禍は、多くの人の生活を変えてしまうものでした。

「そうですね。コロナ禍がなかったら、今はヨーロッパにいるかもしれないです。ただ私もコロナ禍が終わる気配もないなか、自分で何か行動を起こさないといけないと思って一度、半年ぐらいベルリンの大学に行ったんですよ。その時はベルリンで格闘技をやろうとジムを探しました。

だけどジムに入っても、ドイツ人はとにかく体が大きくて。女性でも平均体重が60~70キロぐらいある。だから私にとっては相手が大きすぎて、良い練習はできない。だから格闘技が楽しくなくなり、日本に戻りたいという気持ちが強くなって2021年に日本へ戻りました」

――当時通っていたジムとは?

「MMAベルリンというジムです。MMAベルリンのコーチは奥さんが日本人で、コロナ禍の前にはよく日本に行っていたと聞きました。藤井惠さんと仲が良いらしくて(※MMAベルリンはキッズレスリングにも力を入れており、日本の大会にも出場。AACCと交流がある)。私も少しだけ日本にいる気持ちになれるから、いくつかジムを回ったなかでMMAベルリンを選んだという面もあります」

日本に帰国してから、うつ病に……そんななかでも格闘技だけはやりたいという気持ちがあって

――2021年に日本へ戻り、アマチュア時代は2022年に3連敗。しかし2023年から2連勝を収めました。連敗から連勝に移るのは、何か大きなキッカケがあったのでしょうか。

「関係あるかどうか分からないけど――実は2022年5月にアマチュアで初めて負けた時期に、うつ病になったんです」

――えっ……。

「日本に戻ってきたあとアルバイトをしながら、日本にキャンパスを持っている米国の大学に通い始めました。大学に通って、バイトもして、そこで試合も決まって――いろいろと自分の中で抱え込んでしまったんだと思います。なかなか家から出ることもできない。あまり食べる気持ちもなくなったり。

結局、大学は2カ月で辞めました。でも格闘技だけは続けたい。どうしても試合はしたい。親や将光さんにも『今は試合をしなくてもいい。うつ病を治すことを考えよう』と言われていました。でも自分が頑固で、皆の言うことを聞けなかった。そんな状態で試合に出て負けて……自分の中では後悔している試合です。

かといって自分は、言い訳はしたくない。うつ病だから負けた、なんて言いたくないです。ただそういうことも関係していたのか、ちゃんと練習していなかった。ちゃんと試合の対策ができていなかった時期でした」

――アマチュアで連勝した2023年には、うつ病から脱していたのでしょうか。

「波があって――良い時期も良くない時期もありましたね。2023年に入って少しずつ良くなって、仕事も始めました。うつ病になると自分を責めてしまうんです。『こんな情けない状態のままはダメだ。早くお金を稼いで、いっぱい試合に出て、勉強もしたい』と自分を追い込んでいる時期でもありました。

そんな時に将光さんから『ジムで指導してみる? 無理になったらまた自分が指導を変わるから』と、私が立ち直るキッカケを与えてくれたんです。そこから週1で指導に入らせてもらい、『大好きな格闘技なら自分もできるんじゃないかな』と思って。そこからどんどん元気になっていきましたね」

――コロナ禍、うつ病と様々なことが起こりながら、一番好きだった格闘技がサラ選手を救ってくれたわけですね。

「はい。一番辛かった時期でも、格闘技だけはやりたいという気持ちがありました。うつ病のピークの時は何もやりたくない、全部が嫌でした。そんななかでも格闘技だけはやりたいという気持ちがあって。今考えても、格闘技が自分にとって一番大事なものだったんだなって思います」

――そして2024年9月に上瀬あかり戦でプロデビューしましたが、黒星スタートでした。

「ちょっとショックでしたよね……。女子MMAはアマチュアの経験がなくプロになる選手が多いじゃないですか。私はプロになるなら丁寧にやりたいと思っていました、アマチュアで経験を積んでいたから『プロではなかなか負けないんじゃないか』というぐらいになってからプロになろうと考えていて。

それで『準備できた。プロになろう』と思って、プロの初戦で負けたのは自分でもガッカリしましたね。最初は伊澤星花選手のように綺麗なレコードで上がっていきたいと考えていたんですよ。初戦で負けたから、プレッシャーもなくなって気持ちも楽になりました(笑)」

――驚いたのは続くプロ2戦目です。相手が動く前に、前後のステップとフェイントで相手を動かし、自分の距離をつくることができる。パンチをかわして自分の打撃を当てる。失礼ながら『こういう動きができる選手なのか』と思いました。

「その動きは、アマチュアで最後の2~3試合から意識するようになりました。相手に捕まえられたくない。動いていたら捕まらない。レスリングの展開でテイクダウンを切るよりも、ずっと動き続けていたほうが結果的に消耗しないんじゃないかと思って」

――分かります。テイクダウンを切るというのは、相手の力を押し返すことになるわけで。相手の力を受けず、自身の消耗を少なくする。それは現在のUFC——どんどんアタックが多くなっている傾向にも繋がるお話かと思います。

「そうですよね。トップ選手は皆、フットワークが巧いですし。そこは頑張って動き続けるのが正解じゃないかなって思います」

体格は違うけどローズ・ナマジュナスが好きですね。男子ならマックス・ホロウェイとか

――そして今年9月の桐生祐子戦では、しっかり右ストレートで倒す。2試合連続で驚きました。

「ありがとうございます(笑)。自分が動くことで、もともと自分がいたスペースに相手が動いてくる。そこを狙うことができる。ベーシックな打撃の話ではありますけど」

――理想とするスタイルのファイターはいますか。

「女子選手でいえば、体格は違うけどローズ・ナマジュナスが好きですね。テクニカルで、本当に巧い選手です。あまりフィジカルが強いタイプじゃないし、その分テクニックで戦って結果を残している選手だから、すごく参考にしていますね。

男子ならマックス・ホロウェイとか。ホロウェイはリーチが長いわけじゃないのに、自分のパンチを当てて相手の打撃はもらわない。それが凄いです」

――確かに。最近MMAでも流行っているホロウェイの残り10秒ムーブですが、あの凄さは打ち合うことではない。あれだけの至近距離でジャスティン・ゲイジーのパンチを食らわず、自分の右で倒す点にあると思っています。

「そうなんですよ! 打ち合うぞ、っていうサインだけどホロウェイは食らっていなくて。しかも最後に倒すから価値がある。ホロウェイは打撃に対する理解力が高くて、私も勉強になります。やっぱり最後は打撃を当てている選手より、打撃をもらっていないほうが勝つんじゃないかと思っています。それだけディフェンスを大事にしたいですよね」

――まさにそのとおりです。今回対戦する竹林選手に対しては、どのような印象を持っていますか。

「以前は50キロとか52キロで試合をしていましたよね。だから体は強いんだと思います。相手は2年のブランクがあるので、昔の試合がどれだけ参考になるか分からないですけど、気持ちが強い選手だなって感じました。アゴが折れても下がらず打ち合いに来るし、ひるむどころかスイッチが入っていて」

――そういう相手を冷静に捌いて仕留めるのが、佐藤将光スタイルではないですか。

「はい。その戦いが私もできれば良いんですけど――勢いに飲まれないように、打撃戦で面喰わないように、精神的な準備をして臨みます。宜しくお願いします!」

■DEEP JEWELS51視聴方法(予定)
11月23日(日)
午後5時00分~U-NEXT、DEEP/DEEP JEWELS YouTubeチャンネル メンバーシップ

■DEEP JEWELS51 対戦カード

<49キロ契約/5分3R>
浜崎朱加(日本)
イ・イェジ(韓国)

<49キロ契約/5分3R>
パク・シウ(韓国)
彩綺(日本)

<ストロー級/5分3R>
重田ホノカ(日本)
ののか(日本)

<49キロ契約/5分2R>
竹林エル(日本)
サラ(日本)

<ストロー級/5分2R>
月井隼南(日本)
成本優良(日本)

<ストロー級/2分3R>
堀井かりん(日本)
岡美紀(日本)

<ミクロ級/5分2R>
大井すず(日本)
小雪(日本)

<アマチュア ストロー級/3分2R>
山吹マリン(日本)
松村美直(日本)

<アマチュア ストロー級/3分2R>
あきぴ(日本)
谷山心優(日本)

<アマチュア49キロ契約/3分2R>
横江明日香(日本)
五十嵐莉子(日本)

<アマチュア49キロ契約/3分2R>
せりな(日本)
和智美音(日本)

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