【DEEP OSAKA IMPACT2023#01】サダエ☆マヌーフ戦へ、村上彩─01─「試合で殴られるのは怖くない」
【写真】クソ真面目な受け答えに、芯の強さが感じられた(C)SHOJIRO KAMEIKE
4月2日(日)、大阪市の住吉区民センター大ホールで行われるDEEP Osaka Impact2023#01で、村上彩がサダエ☆マヌーフと対戦する。
Text by Shojiro Kameike
2020年にプロMMAデビューした村上は、初戦で須田萌里を判定で下したあと、3連続一本勝ちの成績を収める。しかし昨年9月には、須田との再戦で敗れた。とはいえ、村上もまたベースである柔術の技術以上の、MMAファイターとしての進化を見せていた。その村上に柔術からMMAに至った道のりと、進化のきっかけについて訊いた。
――今週末に大阪でサダエ・マヌーフ選手との対戦を控える村上選手です。村上選手といえば「柔術黒帯コスプレファイター」というキャッチフレーズがついていますが、コスプレイヤーは職業なのでしょうか。
「アハハハ、コスプレは趣味です。でも私のコスプレを楽しみにしてくれている人たちがいて、私自身もやっていて楽しいので、コスプレは続けていこうと思っています(笑)」
――なるほど。MMAPLANETでは初めてのインタビューとなります。まずは格闘技歴から教えてください。
「2012年ぐらいから地元の徳島柔術で柔術を始めました。その頃、アクション系の映画を観に行ったんですよ。昔からジャッキー・チェンが好きだったし、戦うことってカッコイイなと思って。ジャッキー・チェンって少林寺の映画(『少林寺木人拳』)に出ていたじゃないですか。だから空手や合気道の道場を見に行ってみると大会は型が多くて、スパーリングも組み手の試合もなかったんですね。それで友達から『近くに柔術の道場がある』と聞いて見学に行ったら、最初からスパーリングをさせてくれて。楽しかったので、すぐ入会しました」
――当時の徳島柔術といえば、現カルペディエムの橋本知之選手がいた頃ですか。
「橋本さんと一緒に練習していました。橋本さんは当時、紫帯だったかな? 橋本さん以外も、選手志向の人が多かったですね。私も入会した次の日から毎日通っていました」
――徳島柔術に入会した当時、柔術については何か知っていましたか。
「全然知らなかったです。周りに格闘技をやっている人もいましたけど、私は見たこともなくて。ボクシング――あぁ殴るスポーツねっていうレベルでしたね(苦笑)。徳島柔術では紫帯まで昇格したあと、私も仕事でやりたいことがあって上京しました。最初は職場が近い川越のドランゴンズデンに入会して、代表の澤田真琴さんから黒帯を頂いています」
――MMAを始めたのは、上京してからですか。
「はい。ドラゴンズデンに通っていた頃、たまにキックボクシングクラスにも出て、何回か試合に出ていました。でも、その時点ではMMAをやろうと思っていなかったです。黒帯に昇格したあと、MMAの練習もしている女性柔術家から誘われて試合を観に行ったあと、私自身もMMAを始めることになりました」
――なるほど。格闘技を始める前は、何かスポーツをやっていたのでしょうか。
「学生の頃に水泳や陸上をやっていました。子供の頃には少しだけ柔道もやっていましたけど、どのスポーツも長年やっていたわけではないです」
――そこで柔術からMMAに至るまで、格闘技が最も長く続いているわけですね。
「柔術って、たくさん技があるじゃないですか。他のスポーツよりも自分だけの技をつくって、自由に動くことができるのが良いと思いました。自分で考えて、いろんな技を組み合わせたりとか。MMAも、それ以上に技術の幅がある競技ですよね。いろんなタイプのMMAファイターがいて、自分のスタイルを自身でつくっていけるところが好きです」
――ただ、柔術時代の実績からいえば、柔術に専念したいとは思いませんでしたか。
「2018年に茶帯で全日本とアジア選手権で優勝していて、その前の2017年にヨーロピアンの紫帯で優勝した時は、みんな褒めてくれました。ただ、黒帯を頂いたことで満足してしまったのかもしれないですね。その頃にMMAを始めていたので、柔術の練習に専念できていませんでした。黒帯でも全日本に出たけど、負けている試合のほうが多いかもしれないです。柔術は何歳になってもできるものだから、今はMMAをやろうと決めました。でも、MMAでも柔術の練習は大切じゃないですか。だから今でも週1~2回は必ず、カルペディエムで柔術の練習をしています」
――村上選手がアマチュアMMAの試合に出始めたのが2020年、ちょうどコロナ禍の時期でした。
「そうでしたね。だからジムでも練習ができない頃で。プロに昇格するまでは、ほとんどMMAの練習をやっていなかったです。柔術の練習ばかりで」
――確かに、プロデビュー戦となった2020年10月の須田萌里戦は、「柔術家がMMAをやっている」という印象が強かったです。
「当時はまだ月イチで女子の練習会に参加させてもらっていたのと、ちょっと打撃の練習をやっていたぐらいでした。修斗GYM東京で本格的にMMAの練習を始めたのも、プロデビューしたあたりで。ただ、その状態でもプロで試合をしてみて良かったです。
アマチュアで経験を積んでから、プロデビューという流れも良いとは思います。アマチュアで土台を創ることも大切ですよ。でもアマチュアで創った土台って、所詮はアマチュアレベルじゃないですか。それよりもハードなところに飛び込んで、その状況に慣れてしまえば大丈夫だと思うので」
――それは日本MMAのアマチュアルールと、アマチュア女子MMAの競技人口に関する問題でもありますよね。競技人口が少ないなか、パウンドなしのルールで経験を積み続けることが良いのかどうか。
「はい、女子だからっていう部分は大きいですよね。私としては、できるだけハードな状況で試合をしたほうが、早く成長できると思います」
――プロデビュー戦では須田選手に判定勝ちし、以降は3連続一本勝ちを収めました。この頃になるとMMAに慣れてきたのでしょうか。
「うーん、どうなんですかね……。そこまで打撃ができるようになっていたわけじゃないし、まだまだ柔術に頼っていた頃でした。ただ、試合で殴られるのは怖くなくなりました。練習で殴られるのは怖いんですよ。でも試合は怖くない。なぜかは分からないんですけどね(笑)。古瀬美月さんとの試合(2021年12月、腕十字で勝利)はフックでダウンしたのと、顔面にヒザをもらいましたが、痛くはなかったです。『打撃はもらっても良い』と思えるようになって、試合では冷静に戦えるようになったことは大きいと思います」
――3連続の一本勝ち後、須田選手との再戦で敗れました。その内容と結果については、今はどのように捉えていますか。
「相手のほうが練習を頑張っていたんだと思います。私は初戦と同じようにやったら勝てると思っていたところもあって。自分の詰めの甘さが敗因でした」
――あの試合は、須田選手の成長がうかがえた試合でした。同時に、村上選手も「MMAを戦う柔術家」から、MMAファイターに変化してきた内容だったと思います。
「柔術だと襟や袖とか引くところが多いですけど、グラップリングやMMAだと頭しか引くところがないですよね。でも下になると相手の頭は遠い。だとしたら、足から崩せば良いと思いました。それをカルペディエムのノーギクラスで教えてもらっていて。私のなかでも、その展開がしっくり来たのでMMAでも使うようになりました」
<この項、続く>